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ちょいちょい書くかもしれない日記(堆肥)

やんわりした体調の悪さを持て余していたら、午前10時過ぎに頼んでいた堆肥が届いた。
基本的に雑木林のままの庭なので、寒肥は必要ないのだが、そんな中にも、少々甘やかしてやったほうがいい木が数本ある。
あたりのやわらかい堆肥として、最近は、バーク堆肥か竹堆肥を使っている。色んな虫や動物が行き来する庭なので、あまり動物性堆肥の必要性を感じないのだ。
植木屋さんも、「野菜の畑以外のとこは要りませんよ、そんなもん」と仰っていた。
今日は作業はしないが、すぐ使える場所に袋を積んでおく。

寒いので、暖かな仕事部屋の中で、猫がよく寝る。
無印良品の、ペット用のばかでかいクッションがみんなお気に入りで、特に身体がとても大きな男子猫たちには心地よいらしい。
試しに置いたひとつを奪い合うので、もうひとつ置いた。
以来、すこぶる平和である。
本当はお洒落なカバーがついているのだが、毛がつきやすいタイプの生地なので、100円ショップで買ってきた激安のバスタオルですっぽりくるんだ。
お洒落感は雲散霧消したが、生活の中では、メンテナンスの楽さを優先したい。
そもそもお洒落な生活というものに、特に興味はないのであった。

仕事のお供に、「これ去年録画してそれっきりだったわ」と思いながら、見たら消すつもりで「孤独のグルメ」の一気見を流していたら、突然、大きな地震を警告する例の音がテレビから聞こえて飛び上がった。
そうか、これは2024年元日の放送だったのだな。
あの日に受けた衝撃が甦って、目前に迫った阪神淡路大震災から30年の節目をふと思った。
もう30年。まだ30年。
震災を体験していない地元の若い市長が、震災について真摯に発信を続けている姿を、眩しいなあと思いつつ見ている。
心の中には、いつになっても生々しい記憶が沈めてあるけれど、引き上げてもいいものはごくわずかだ。
他人のリアクションがあればあるほど、人は無意識に、よりよき反応が得られるほうへ話を寄せてしまう傾向があるように思う。
語り手がそれを常に意識して自分を戒めない限り、記憶は語られるたび、物語に近づいていく。
その良し悪しは、私にはわからないが。

アスパラを植える予定の場所には水菜が茂っているので、ガッサリ刈り取って鍋野菜にしている。ちょっと固いので客人には出せなかったが、自分で食べる分には、煮たおせば問題ない。
昨日は味噌のおつゆで豚肉の鍋を。
今夜は寄せ鍋のおつゆを薄めて、しゃぶしゃぶにした。
ここでやめておきなさい。そうすれば文句なくヘルシーなんですよアーデルハイド! と心のロッテンマイヤーさんは眦を吊り上げて言うが、はいはいと聞き流して薄切りの餅と乾麵を持ち出す。
更年期ハイジは、炭水化物に確固たる愛を持ち続けているのである。

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椹野道流
こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。