ちょいちょい書くかもしれない日記(鉛)
noteにアクセスすると、細かくこの手のデータを教えてくれる。
運営側が、「データがモチベーションに直結している」ことを熟知しておられるのだろうな、と思う。
そのとおりだ。
日記は、特に誰に読まれずとも、自分の心のうちを備忘録的に書き留めるためのものだが、やはりリアクションがあると嬉しい。
というわけで、ここは、エンタメ性については敢えて考えず好きにやる感じですが、よろしければ今後ともどうぞよろしくお願い致します。
夜明け前、末っ子猫に「お腹がすきました!」と叩き起こされたとき、全身がバキバキに痛くなっていて驚いた。
いや、たった一日の強行軍でこんなことになってどうするの私。
身体のあちこちに鉛の塊を埋め込まれたみたいな動きになっている。
これがアニメなら、何かするたびに蝶番が軋むような効果音が入るに違いない。
というか、たった数時間の睡眠中に、身体は全力でメンテナンス作業をしてくれていると実感する。偉い。偉すぎる。
でも、これは嫌な疲れではない。
二度寝して、野菜ジュースを飲んでから仕事に出た。
今日は補講だ。
学校はいつも以上に遠いが、実働時間はいつもより少し短い。
補講といっても、相手ははじめましての学生たちである。
つまるところ、本来の講義で解剖学を担当した先生が、何らかの理由で学生が納得する講義ができず(婉曲表現)、補講の時間を設けるから、ちゃんと教えられる奴を探してこい! となったらしい。
そこで勤めている先生のひとりが私の教え子で、その縁で頼み込まれたというのが、ことのあらましだ。
前にもあったぞ、このパターン。
でもまあ「先生の講義が凄く楽しかったから、自分の教え子にも聞かせたい」と言われたら、引き受けざるを得ない。
7割がお世辞だったとしても、自分に少しなりとも役に立てる要素があるなら、それは嬉しいことだ。
というか、隙あらば遊ぼうとするはずの学生のほうから、三連休を潰して補講をしてほしいという希望が出たというのは、なかなかにシリアスな事態である。
仕方がない。学びを欲する子供のためなら、大人は万難を排さねばならぬ。
ギャラの交渉も今回はきちんとした。
講義中、何を喋っても学生たちが「ほえー」という顔をするので、「もうこれは教わってるよね?」と不安になって何度も確認した。
そのたび、元気よく首を横に振られたので、正直、途方に暮れた。
本当に教わっていないかどうかを知る由はないが、もし本当なら、初手から教えねばならない。
いや、実際頭に入っていないなら大問題なことばかりだ。どのみち総まくりせねばならない。
つまり、圧倒的に時間が足りない。
「逆に、正規の講義で何を教わったんだよ君たち」という疑問を何度も飲み下しながら、とにかく講義時間と話すべき内容に折り合いをつけながら初日をこなした。
「最初から先生の講義を聞きたかった! 来年からは先生が全部やって!」というのは最高の賛辞ではあるが、同時に「そいつぁ無理な相談だ」と言わねばならないことのでつらい。
定期的に通うには、さすがに遠すぎる。
今日は自動車通勤にしたら、帰りに市中、高速道路の両方で渋滞に巻き込まれ、大変だった。
明日と明後日は電車にしよう。
車中で聞いていたラジオで、能登の大雨のことを知る。
よりにもよって、どうしてそこに……と思ったが、現地の方々はもっとそう思っているに違いない。
でも、たくさんの人が「能登だけは勘弁してやってくれ」と思ったし、能登がまたしても大変なことになったと理解しているし、きっと、「できることがあったらしよう」と心の財布を握り締めていると思う。
私もそうだ。
これまでと同じように、日々の生活の中で、自分なりにかの地のためにできることを見つけ、淡々と、そして細々とやり続けるだけ。
支援には、瞬発力の人と持続力の人、両方が必要なのだ。
帰りに寄ったスーパーにいいスルメイカがあったので、今日は焼き豆腐と炊き合わせて、まずは父に供えよう。
大好物だったもんね。
こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。