ちょいちょい書くかもしれない日記(収録)
朝、寝ぼけ眼であれこれやっていたら、ジョロウグモのでっかい巣に頭から突っ込んでしまった。ねぱねぱである。
一瞬で大作を破壊してしまって、まことに申し訳ない……とはいえ、そこは毎日通るところなので、どうか移動をとお願いする。
2週間前はスリムだったジョロウグモたち、今やぱんぱんに大きくなって迫力がある。蚊をたくさん取ってくれると助かるのだけれど、どうかな。
午後は、拙著「最後の晩ごはん」シリーズのAudible音源収録に、遠隔で立ち会わせていただいた。
さすがに「その場にいるように」とはいかないが(それなりに音声は乱れる)、そして収録1日分のみの参加ではあるが、声優さんの声を自宅からリアタイで拝聴でき、声優さんと音響監督からの質問を受けられ、何か言うべきことがあるときは音響監督にお伝えできる環境であり、感謝に堪えない。
というか、それが当たり前なのだ。
何度だって言うけれども。
原作者が「すべてお任せします」と言わない限りは、他メディア展開の現場責任者(この場合は音響監督)がトップであるということは決して忘れず、でも、作品と読者に対してきちんと責任を果たす機会が原作者に与えられるべきだと私は思っている。
むろん餅は餅屋だが、自分が作った餅米が原材料なら、餅屋がつく餅の出来映えは気になるだろう。アドバイスを求められたらするだろう。
ただ、こういう餅をつけ、とまでは言えないし、決して言わない。
私の中ではそんな感じだ。
Audibleの収録を始める前から、いつか原作に追いつかれ、一段落になることはわかっていたけれど、いよいよその日が来るとビックリするほど寂しい。
ついに最新刊の収録である。
シリーズを通して、たくさんのキャラクターと地の文、つまり一切合切をひとりで演じきってくださった橋本雅史さんが、すっかり私のキャラクターたちをご自分のものにしておられてビビリ倒す。
私が原稿を書くとき、キャラクターは橋本さんの声で喋っているときもあるし、ドラマのときの役者さんの声で喋っているときもある。
早く新作を書いて、忘れられないうちにやっていただかなくては! という気持ちになる。
もはや橋本さんも、「最後の晩ごはん」の制作陣のひとりだと勝手に感じている。
いつだって、商業誌はひとりで作るわけではないのだ。
担当編集氏、イラストレーターさん、デザイナーさん、校閲さん(関西人だから、さん付けするほうが自然なのだ。商業仕事ではないので許されたい)ほか、本当にたくさんの方々が、1冊の本が世に出るまで力を貸してくださる。
時には書店員さんたち、図書館の司書さんたち、読者さんたちが、作品を推してくださる。
こうやって、色んな人たちの手で、作品はより伸びやかに育っていける。
本当にありがたいことだと思うし、座長にあたる私がもっと頑張らねばとも思う。……残念ながら、今は体調をよくすることが優先なのだが。
冷蔵庫の野菜室で、尻尾側半分の細い大根がシワシワのヤワヤワになっていた。
とりあえず四苦八苦しながら大根おろしにして、さて、これをどうやって食べるかな、となったとき、同じ野菜室にある半端な野菜を、なるべく単純に調理することにした。
先日、Xで見かけて粉を買ってみた焼きてんぷらが格好のメニューだろう。
野菜の切片の薄さと火加減の調節にもっと熟練が必要だが、衣がカリカリに仕上がり、それが維持されるので、思った以上に軽くて美味しい。
ズッキーニ、かぼちゃ、れんこん、アスパラ、まいたけ。
すべてとても美味しく揚がった。
油だって、本当に少しでいい。ほぼ残らないから、片付けも楽だ。
たぶん、かきあげがとても上手にできるという予感がする。
蕎麦や素麺にあわせるときは、むしろ焼き天ぷらのほうが食感的に相性がいいかもしれない。
家で食べるときは、てんぷらに大根おろしをどっさり載せて食べられるので嬉しい。
お店の大根おろし、全然足りないのだ。みんなはあれで十分なのだろうか。
こんなご時世なのでお気遣いなく、気楽に楽しんでいってください。でも、もしいただけてしまった場合は、猫と私のおやつが増えます。