『本当の関わりの中で』
気がつけばすっかり春の陽気。
桜は葉桜になりかけていることに少々驚きつつ
出雲に住み始めて、もう2年になったことを知る。
先週末からそらさんが『本質的な叡智のバトン』開催のために出雲に入られたので、
ここ数日を蒼穹でともに過ごさせてもらっている。
蒼穹ではそらさんだけでなく、出雲で深めている方々とも関わらせてもらっているのだけど、
それがとても嬉しく、なんとも言えない安心感の中で深い呼吸を取り戻す感じというか…
本当の意味で人と関わっている感覚があって、とにかく普段の日常をただ過ごしているだけの生活で感じるものとはまるで違うものを感じている。
本当の意味での関わりと言っても、ご飯を食べたり、たまに会話を交わすくらいのことしかしていないのだけど(笑)
ずっと一人の時間が好きで、何かにつけて自分の時間が欲しかった私。
過去の自分は、人から逃れたい願望に近いものがあったように思う。
今でもひとり時間は好きだし全く平気だけど、
自分だけの世界で生きている時間が増えてくると、段々元気がなくなり体調も崩れてくることを最近自覚しだした。
私にとってのひとり時間というものは、人との関わりの中にいて初めて成り立つものだなと今、それを実感している。
そう書くと、人はやっぱり人と関わっていないと寂しいしつまらないよね。
そんなことと捉えられてしまうかもしれないが
もちろんそんなことではない。
または、
この人はずっと人と関わらずに生きてきた人だから、人と関わるのが新鮮なのかな
と思われるかもしれないけれど、そうではなく、
今までもずっと私は友達や仕事、家族も含めて多くの人と関わりながら生きてきた。
そして皆んなと仲良くやってきた、つもり。
でも、そらさんの本質的な叡智のバトンに参加し始めて、本当の意味での関わりというものがあると知ったことは、私の人生の中での最大の安堵感に繋がったと思う。
“本当の人との関わり“
それはどんなものだと人は想像するだろう?
相手に気を使うとか、喜ばすとか、何かをしてあげるとか、、そんな感じかな。
何でも言い合える感じだろうか。
私もそれが関わりだと思ってきたし、それしかやってこなかった。
でも、そらさんが見せてくれる関わりというのは
そんなことがまるで当てはまらない関係性で。
逆にそんなことを何一つしなくても、もうわかり合っているというか
何の否定も生まれない。
人といるのに、ひとり時間の中にいるような感覚なのだ。
だから疲れることがないし、人がいない時間がすごく事務的に過ぎていく感じなのだ。
そんな関係性。
正直、あり得なかった。
そんな関係性が存在するなんて信じていなかった。
だからこそ、ずっと人を避け続けてきたし、関わるのが怖くて仕方がなかったのだから。
そんな風に40歳を過ぎるまで信じ込んできた私が、人との関わりがないとダメになるな…と感じるまでになったことは、自分でも本当に驚く。
そらさんに出会い、バトンに参加したこと。
それが最初の一歩だった。
気づいたら
より自分らしく生きることができるようになっていて、自分でも気が付かないうちに色んな変化が起きていった。
それだけでなく、自分の力ではどうにもできない人生の壮大さや奇跡があるという事実も同時に知った。
本当の意味で、私という人間と関わってくれていることを実感できる関係性の中で。
だからこそ、過去の私のように、人との関わりが苦手な人に届けたい。
人生を諦めて欲しくないから。
より自分らしく生きられることを願いながら。
そんな私は、今、食事の準備をしている。
毎日のように届く、家庭の味をそらさんとゆかちゃんとえりちゃんと
美味しくいただくために。
みんな、何かをするためにここに来ているわけではない。
会話をするためでもない。
でも、こうして人も集まってくるし
美味しい料理も集まってくる。
みんな笑顔で。
michiru
次回の叡智のバトンは4月10日〜18日まで出雲で開催されます。
そら(山本博)さんのブログ
https://ameblo.jp/sora-ni/entry-12664740475.html
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?