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すごくどうでもいい金属のハナシをしてもよろしいでしょうか
先日、飲みました。うちゅうブルーイングの "Metatron" という、巷で流行っている #クラフトビール を。結論から申し上げると、大変美味しかったです。聞くところによると、この醸造所の商品は、発売されるとすぐに売り切れてしまうとか。たしかに、筆者が #山梨県 内の酒屋さんに足を運んだときには、いくつかの商品スペースが設けられていましたが、ほとんどが在庫ゼロないし、残り数本といった感じでした。
好きなんだけれども…
高いですよね。値段のハナシです。よなよなエールが発売している商品の一本当たりの値段の3倍はしたでしょうか。 #クラフトビール と言えども、言ってしまえば、ただのビールなわけです。
「たかが」があれば、「されど」があって当然だと思うし、「安い」があれば「高い」があっても良いと思うのです。
「大企業」があれば、「中小零細」があるのと同じように、「大量生産」と「小ロット」があります。
マス向けに大きなロットで効率よく製造することと、ニッチ向けに小さなロットで丹精込めて製造することは、「ビールをつくる」という目的の下では、そこまで大きな違いはありません。
“手法”が違うのであって、“規模”が違うのです。
ただ、“価格”の面で、大手と比較した場合において、小規模 #ブリュワリー が、高い販売価格を顧客に提示しなければならないという現実は、往々にしてあります。
スケールメリットを生かせないし、次の商品を開発するための費用、製造装置の減価償却やメンテナンス対応なんかにも、コストが嵩みます。
だから、値が張ることは理解しているつもりなんです。ただ、現実的な問題として、日常的に飲むことはできないんです。
味覚における“品質”の善し悪しなり、“満足度”は顧客が決めることであります。
おいしさキープ!アルミ缶
酒飲(さけのみ)は、常に #コストパフォーマンス という概念を持ち出します。「一本でどれだけ酔えるか」とか、文字通り「安い割にうまい」という判断基準です。
最近のヒットは、菊水酒造の "生原酒 ふなぐち菊水一番しぼり" です。
日本酒の善し悪しが、未だによくわからないのですが、この商品は、他と比べる必要性がなくなるほど、ガツンとした衝撃があり、飲み甲斐がありましたね。
あと、筆者の仕事柄、「日本酒を、ビンじゃなくて、カンで出す」というところに惹かれました。
どうやら、アルミ缶に封入することで、日本酒が苦手な光の影響を受けずに済むため、品質をキープすることができるんだとか。
消費者としては、「日本酒飲みたいけど、あんなに飲めるかなあ」と、二の足を踏んでしまうのは、酒造メーカーが推す、あの“ビン”という提供手法です。実際に呑み始めてしまえば、あっという間に終わってしまうのでしょうが、「デカい重い。割れたらどうしよう」は、消費者心理に多分に作用します。
リサイクル・フローとして“流す”ことに意義がある
今、アルミの金属相場が高止まりしていることは、ご存じでしょうか。
「13年ぶりの大台200円」というフレーズは、なんともピンとこないでしょう。ただ、自分たちが捨てている、あの空き缶が、「1キロ当たり200円の価値を生むという事実」を見過ごすことはできないでしょう。
よく、オトナは、「エコだの資源だの」といった表層的なハナシを持ち出して、目をキラキラさせながら、「キミにもできるさ」と“リサイクル活動”への参加を強制します。いわゆる、“それ”は奉仕活動の一環であり、「利益を求めてはならない」といった風情です。
都会にある、自動販売機のゴミ箱がきれいに維持されているのは、往々にして、特定の方々に対して、「アルミ缶を拾い集めれば、売れる」というインセンティブを与えているからです。制度上、この行為が法に則っているのか、そんなことはわかりません。ただ、現実的に、「アルミ缶は売れるモノ」なのです。
ハナシが、だいぶ逸れましたが、「アルミ缶をサイクルすることで、社会に貢献できる」というのは、本当です。
詳しいことは、アルミ缶リサイクル協会のウェブサイトをご覧いただければと思います。
アルミって環境負荷高いんだよ
ボーキサイトという鉱石から、アルミナをどうにかこうにか抽出し、それを精錬し、アルミニウムを製造するためには、多大な労力、電力、お金を消費するのです。
同協会が言っているのは、「もし、アルミ缶を再利用して、そのままアルミ缶が製造できれば、エネルギー・コストが97%削減できるよ」ということです。言い換えると、「地面を掘り起こして、アルミをつくること」は、ものすごい環境負荷が高いのです。だから、リサイクル率を上げていきましょうよ、といったハナシになるわけです。
筆者は、「リサイクル率を上げるためには、みんなの気合が必要なんだ!」みたいな熱い思いは、要らないと思っています。
本来であれば、金属相場に追随して“売れるモノ”なわけですから、缶入り飲料を消費した人が、その容器であるアルミ缶をメーカーに売って、利益を得ればいいですよね。
ただ、現実はそうはいかないわけでして。なぜかといえば、そもそも、メーカーとしては、アルミ缶ひとつを工場に持ち込まれても困ってしまうからです。現行は、いわゆるアルミのスクラップを扱っている問屋さんから、〇〇トン単位で買い取っています。
その問屋さん自身も、複数のスクラップ回収業者から買い取りを行ったり、自治体が開催する入札等に参加して、在庫を抱えているわけです。彼らは、メーカーが使いやすいように梱包したり、使いやすいタイミングで必要量を納入する能力があるがゆえに、必要とされているのです。
なんのための、誰のためのリサイクルなのか
これも言い換えれば、「みんなが、今のやり方が一番良いと思っている(もしくは、内情をよく知らない)」から、アルミをリサイクルするためのフローが冗長的なのかもしれません。もっと言えば、「流通コストが高いがために、末端の消費者の“ご協力”無しには、活動を持続できない」のでしょう。
昨今、この国では、ワンウェイ・プラスチックの使用にせよ、「みんなが我慢すれば、環境も良くなるさ」みたいなハナシが横行しています。しかしながら、本当に「環境を良くする」のであれば、確固たるエコシステムをつくって、関与する人間に何らかのインセンティブを創出しない限り、持続的な活動はできません。
今、どんなに素晴らしいプロダクトでも、直接的に環境に悪いモノ、間接的であっても、環境負荷の高いモノは、排除される運命にあります。
今後、益々、世間の目が向ける視線は厳しくなります。製品自体の持つ機能性には限りがありますが、寿命はもう少し伸ばせるかもしれません。
もう少し違った目線で俯瞰すれば、また違った用途に使えるかもしれません。少し工夫すれば、そのまま原料として再生することができるかもしれません。
まさに、欧州が推し進めている《 #サーキュラー・エコノミー 》の根本思想はここにあります。果たして、我が国は、この変化の波にうまくのれるのでしょうか。