神が宿る巨木 「大谷のクスノキ」は2000年を生き抜いた
高知県須崎市大谷の須賀神社境内に立つ「大谷のクスノキ」。樹齢2000年以上とされる巨木は、傷つきながらも樹勢が全く衰えていない。根元の周囲は25㍍もあり、人が出入りできる空洞には「楠神様」(くすかみさま)が祀られている。クスノキとしては四国最大級で、1924(大正13)年に国の天然記念物となった。須崎で生まれ育ちながら、実際に見たのは今回が初めて。そこには人間の存在をはるかに超越し、自然の力に満ちた神のような姿があった。
須賀神社は土佐湾に面した野見漁港から、約300㍍山側に入った小さな集落に建っている。毎年秋の祭礼で披露される「花取踊り」が有名だが、神職は常駐していない。昔ながらの村の鎮守さまだ。
大谷のクスノキの高さは30㍍ほどだろうか。神社の境内に入ると、四方八方に伸びた枝葉が空一面を覆っている。
何よりもすごいのは、幹の太さだ。どっしりと大地に根付いた巨木は力強く、節くれだった腕を広げている。想像以上に大きい。子どもが手をつないで根元を囲むなら、20人以上は必要なスケール感だ。
主幹部分の根元内部には、外からは見えない大きな空洞ができている。幅50㌢ほどの亀裂から潜り込むと、内部で楽に立つことができた。高さ3㍍、最大幅は1㍍以上ある。大人が2人並んでも、肩が触れない。思ったよりも広いことに驚く。
空洞には電球が灯され、しめ縄が渡されている。ここに「楠神様」が祀られているのだ。よく見ると、日本酒が数本供えられていた。
クスノキはもともと御神木のひとつとされ、厄除けに効果があると信じられてきた。大谷のクスノキに祀られた楠神様を参拝すれば、病弱な人も元気になれるそうだ。
この木が生まれたのは弥生時代以前である。その内部に入れば、木の神様から力がもらえるかもしれない。子どもの健やかな成長を祈るため、わざわざ訪れる人もいるという。
木の中に立つというのは、何だか不思議な感覚だ。でも、外界と隔てられた空間は静かで、頼りがいのある者に守られているという安心感がある。
大谷のクスノキはその大きさから、1990年の環境庁の調査で全国第10位にランクインしている。「屋久島の縄文杉」のように有名ではないが、同じ時代をともに生きてきた貴重な巨木である。
南国の高知は毎年のように台風や暴風雨に見舞われる。クスノキも過去に何度か被害に遭い、太い幹が何本も折れている。
幹の切断部分には、雨水の侵入を防ぐための覆いが付けられている。暴風対策なのか。何本かの幹や枝は頑丈なワイヤで支えられている。満身創痍ともいえる状態なのに、樹勢は旺盛だ。ちょっとやそっとの台風では、この老木はびくともしない。
須崎市には684(天武天皇13)年に起きた白鳳地震で、大坊千軒と呼ばれて栄えた町が海の底に沈んだという伝承がある。地震は南海トラフで起き、大津波が土佐湾沿岸を飲み込んだと推定される。
大谷のクスノキは海から300㍍しか離れておらず、海抜も5㍍足らずしかない。弥生時代から生きてきて老木は、町を壊滅させた大津波にも耐えた。
須賀神社を訪ねた時、境内では5、6人の小、中学生が野球の真似事をして遊んでいた。拝殿の前に座り、お菓子を食べる子もいる。
地元の人たちはこうして、クスノキの下で育ったのだ。長い、長い年月が流れ、人は生まれ、また死んでいった。歴史の教科書一冊分の時代が流れ、地べたで寝ていた人間は飛行機で空を飛ぶようになった。それでも、クスノキは何も変わらない姿で立っている。
樹齢2000年。それに比べれば、長生きしてもたかだか100年の人間の人生は問題にならないほど短い。それなのに、人は富や権力に執着し、いつの時代も戦いが絶えない。現在も一部の権力者が仕掛けた戦争で、多くの人たちが命を落としている。愚かなことだ。
大谷のクスノキにとっては、人間の人生などほんの一瞬ではないか。時を超越した巨木の前では、私自身の存在もちっぽけで、はかない。
そんなことを考えていたら、少しだけ心が楽になった気がした。ざわざわと風に揺れるクスノキの葉の下で、どこかの猫が「にゃあ」と鳴いた。
大谷のクスノキは、高知自動車道須崎東インターから車で約15分。須賀神社前に駐車場と公衆トイレがある。