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猫一家が漁師町を仕切る。久礼大正町市場の「顔役」

 「須崎の飼い犬が何の用なら。このマーケットはわしらのシマなんぜ」
 「野良猫が何をいきがっとるんなら。須崎の猟犬は芋かもしれんが、猫の風下に立ったことはいっぺんもないんで」
 「ほうか。ほんなら、須崎の犬いうたら子犬一匹通さんけん、そのつもりでおれや」
 「そっちも、吐いたツバのまんとけよ」
 高知県中土佐町久礼の「久礼大正町市場」。
 愛犬マイヤーと通りを歩いていたら、こわもての猫がわらわらと集まって来た。私たちは隣の須崎市に住んでいるのだが、どうやら猫の縄張りに踏み込んでしまったらしい。

悪そうな顔つきの猫一家


 親分と思われる猫が現れ、自分よりはるかに大きいブリタニー・スパニエル犬ににらみをきかせる。視線がぶつかり、バチバチ音を立てる。
 「往生せいや!」「フー!」
 背中の毛が逆立ったとみるや、強烈な猫パンチがマイヤーの顔に飛んだ。
 「キャン」「キャン」
 完全に格が違う。マイヤーは慌てて逃げ出した。
 怖い。映画「仁義なき戦い」ならば、猫親分は菅原文太か。あまりの迫力に、私までビビりまくった。
 体重24㌔。イノシシでさえ追いかける猟犬が、猫に追い出されたのだ。

 

「なんな、こら」。マイヤーに近づく猫親分
マイヤーと対峙する親分猫。この直後、猫パンチが炸裂した

 久礼はカツオの一本釣りで有名な漁師町だ。住宅街の一角で営業する久礼大正町市場は、明治時代から住民の生活を支えてきた。新鮮な魚介類が味わえる飲食店もあり、観光客に人気がある。
 遠くから観察すると、市場を根城にする猫は全部で4匹いる。そろいもそろって不敵な面構えをしている。
 キジトラ、茶トラ、クロ。みんな毛艶が良く、栄養は足りているようだ。しかし、首輪を着けているものはいない。市場の周辺を自由に歩き回り、物陰から訪れる人たちを眺めている。
 マイヤーに猫パンチをくらわした「親分」は、市場のアーケードの下に悠然と座っている。ヒゲがピンと張り、鋭い目で警戒を怠らない。他の3匹はベンチの下や郵便ポストのわきに陣取り、日向ぼっこをしている。
 一見平和な風景だが、4匹とも常に臨戦態勢なのだ。人間が近づいても表情を変えないが、犬とみたら敵意をむき出しにする。
 

「よう、兄弟」と語りかける猫


市場の番をする親分猫(右下)

 マイヤーを電柱につなぎ、猫一家をすぐ近くで見た。よほど人なれしているのだろう。私が犬を連れていないと分かると、足に体をすり寄せてきた。
観光客の中には、猫たちにカメラを向ける人もいる。
 「あっ。猫ちゃんだ。かわいいな!」
 小さな女の子が笑顔を見せた。
 市場では鮮魚店のおばちゃんが客を呼び込み、店先に並べられたカツオのたたきや太刀魚、ハマチなどが次々に売れていく。水揚げされたばかりの魚はピチピチしており、いかにもおいしそうだ。
 しかし、猫の一家は店に近づこうともしない。猫なら魚を盗もうとしても不思議はないのに、みんな「魚は食べ飽きたきねぇ」と言わんばかりだ。
 しかし、4匹は飼い猫には見えない。人なれはしていても、どこか野性味があるのだ。
 猫親分をよくよく見ると、右耳の先端が欠けている。これは、野良猫が不妊去勢手術を受けた際、目印として耳先をカットした「さくらみみ」に違いない。

にぎやかな鮮魚店


新鮮な太刀魚が売られていた
親分猫の右耳先端がカットされている。「地域猫」の目印

 飼い主がいない野良猫は、鳴き声やフンの被害で住民を悩ませる。生きていくために盗みもするし、放置すれば急速に繁殖する。
 そんなトラブルを防ぐため、住民の協力で管理されている猫を「地域猫」と呼ぶ。猫一家はただの野良猫ではない。久礼の人たちの理解で生活を許されている「半のら」のような存在なのだ。
 市場の近くを歩いてみると、庭先に猫のえさ皿を置いた家があった。駐車場の隅には、猫が寝られるクッションがある。やはり、猫一家は食べ物をもらっていた。お腹が空いていないからこそ、市場の商品には手を出さないのだろう。
 野良猫の繁殖は全国各地で問題となっている。リードと首輪でつながれた犬と違い、猫は一見しただけでは飼い主の有無が分からない。不妊去勢手術といった適正な対策をとらない限り、猫は際限なく増えてしまう。

マイヤーに「はよう去(い)ねや」と圧力をかける猫


大あくびをする親分猫。さすがの貫禄


こちらの猫も市場を警戒中

 太平洋に面した高知県には、大小さまざまな漁港が点在する。漁師たちは毎日船を出し、大量の魚を水揚げする。漁港では競りが行われ、威勢のいい掛け声が飛び交う。漁港と漁船、それに魚。沖に黒潮を望む高知では、昔から変わらぬ漁師の営みが続く。
 漁港に行くと、売り物にならない小魚が市場の隅に落ちている。野良猫たちはえさを求めて集まり、時には釣り人の獲物を横取りしようとする。
 私も堤防釣りをしていた時に、せっかく釣り上げたサバを野良猫に取られたことがある。アオリイカを狙った夜には、えさのアジがいつの間にか消えていた。夜釣りでライトを点灯すると、堤防のあちこちで猫の目が光る。足元に子猫が寄ってきて、「何かちょうだい」と催促されたこともある。
 高知は温暖な土地柄だから、食べ物さえあれば野良猫は生きられる。不心得な人たちは、平気で猫を漁港に捨てる。久礼の猫一家も、もともとは人間の被害者なのだ。


招き猫の看板

 久礼大正町市場の入り口には、千客万来を祈る「招き猫」の看板が掲げられている。人間に捨てられた野良猫たちは、魚のにおいに誘われて市場に来たのかもしれない。
 久礼の人たちは土佐弁がきついが、情に厚い。飢えた猫にえさを与え、命を救った。これ以上繁殖させないため、避妊去勢手術の費用も出した。
 「おまんら、魚を盗んだらいかんぜ。ご飯はちゃんとやるき、おとなしゅうしいよ」
 「おんちゃん、おばちゃん、ありがとう。ぼくらぁは悪いことはせんぜ。世話になる代わりに、市場の番をするきねぇ」
 もしかしたら、人間と猫の間でこんなやり取りがあったのかもしれない。
猫一家は犬に喧嘩を売っても、お客さんに迷惑をかけることはない。連中は同じ動物の犬が、市場の商品を荒らすと思い込んでいるらしい。

漁港に面した久礼の町


狭い裏道が入り組んでいる
のんびりした漁港の眺め。野良猫も集まる

 海と山に囲まれた久礼の町は、狭い裏道が複雑に入り組んでいる。漁船が係留された港と町は高い堤防で隔てられているが、どこにいても潮風が感じられる。
 日本全国どこに行っても、漁師町の雰囲気は共通している。ふいと角を曲がれば、猫と出くわす。魚を追って生計を立てる漁師たちは、板子一枚下は地獄の漁場で働く。必死に生きる野良猫を見ると、同情するのだろうか。船の上から小魚を投げ、猫に与える姿を何度か見た。

これは飼い猫。鈴が付いた首輪が見える

  ある民家の軒先には、猫を描いた正体不明の看板が立っている。絵柄を見る限り、捨て猫を禁じる注意看板には見えない。猫に絵は分からないから、まさか「侵入禁止」の呼びかけでもない。
 しばらく考えた末に、これは車のドライバーに対する注意喚起ではないかと気づいた。
 「この先は猫が歩いています。ひかないようにしてください」
久礼には優しい人がいる。家がない猫のことを心配しているのだ。

猫をあしらった注意看板

 久礼の町では、犬の姿をあまり見ない。最近は室内飼いの小型犬が人気だから、寒い冬はあまり外出しないのだろうか。
 久礼大正町市場近くで出会った犬は、家の軒先に座ってのんびりしていた。冬の空は青く澄み渡り、太陽の光が降りそそぐ。マイヤーに気づくと一瞬顔を向けたが、興味なさそうにすましている。
 猫も犬も人間も、生き物には違いない。
 久礼の猫一家だって、マイヤーの仲間なのだ。
 だから、猫親分に言いたい。
 「犬は市場で悪さをしないよ。今度来たら、仲良くしてやってね」と。

日向ぼっこする犬


民家の軒先の置物。犬と猫が並んでいる


久礼の灯台。この沖に黒潮が流れている

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