見出し画像

子育と家事は、難しい。事に気が付いた

子供が生まれるまで、子育てすることも、したこともないのが男・。・多分。子育てしながら自分が”まだまだ自分が子供だっと気がついた”気に なってる。のが僕。

勝手な意見だけど女性は、母性で子供がいなくても子育ての準備やノウハウを生まれてきてから蓄積してると思うようになった。

子育てと家事は、家族の仕事。基本友達にも仲間に応援頼んでもしてくれませんし、第一したくない。父母に数時間 子供の面倒みてもらっても、子育ての責任は親、家事は家族の仕事と理解出来始めたのが最近。

と僕は気が付いたと偉そうに言ってますが、やってることは大したことじゃない。やってることの前に、当たり前というフレーズをつけてみたら他(両親以外)にする人が居ないのがわかる。

当たり前、子供の服の着替えの手伝い。
当たり前、子供の登園の送迎。
当たり前、子供の風呂、トイレの面倒。
当たり前、子供の食事の補助。
当たり前、子供の遊びの補助。
当たり前、子供の寝かしつけ。
当たり前、掃除、洗濯、料理、家事 買い物
当たり前、仕事と家事と子育ては同列。

当たり前だけど、出来ないから、しないから もめる。 出来ない事が起きるから負担がかかる。だからこそ、出来るときにする。自分の生活だからこそする。

しかし相手がある事ですので、たとえ子育てと家事をしても、相手にとって不足があれば、”ちがう” ”出来てない。”というクレームが出ます。そのクレームに自分の怒りを感じると、そこで、アウト。 

自分がした事の後片付け、掃除、自分の身の回りの事をするのは自分の事というくらい落とし込んで当たらないといけないと思ってきました。

まず、やってみて難しさがわかった事。

子育ては  毎日子供達が喜んでぐずらないほど、おりこうさんには出来ないい。
掃除は 毎日綺麗に掃除が出来る程じゃない。
洗濯は 毎日洗濯物をたたんでタンスに入れられる程じゃない。
料理は 毎日家族においしいものを食べさせられる程じゃない。
休日は いつも必ず休日がとれる程じゃない。

そこから、すこーし進んで感じるようになってきたこと。

子育てとまでも言えないが、とにかく、近くにいて関わる事。(正解かは別です)
掃除とまでも言えないが、誰が汚しても、そこにある汚れをなくせばよい。
洗濯とまで言えないが、綺麗に洗うのは洗濯機と洗剤、干して、たたんでこそ。(苦手)
料理とまでは言えないが、自分の作った料理はおいしくない。ひと様につくってもらえるのがどれだけおいしい事か。
余暇を楽しむというほど予定をとれませんが、休みの時には手伝います精神になった。

↑が今の自分。娘5歳手前、息子1歳半の2020年。

この記事をスタート地点として これまでとこれからが どのように感じるようになるかな? 

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?