行ってきました、長崎日帰り弾丸旅
今年は作家・遠藤周作の生誕100年ということで、長崎の遠藤周作文学館に行ってきました! 飛行機で日帰りです。朝、6時前に家、出ましたがな。
中部空港を7時30分に出て長崎空港には9時着、帰りは20時05分発、21時20分着。個人的には十分満足できました。いちばんもったいなかったのは、長崎空港と長崎市内を結ぶバスが渋滞に巻き込まれたこと。時刻表では45分ほどになっていますが、1時間以上かかりました。長崎駅付近は、新幹線需要なのかホテルやショッピングモールを鋭意建築中。昔のたたずまいの、小さい駅でええやん。なんだか、どこの駅もみんな一緒になっていく気がするんですよね。
さて、長崎駅から文学館までは路線バスで1時間。そもそも1時間に1本あるかないかのバス、しかも上記の工事によりバス停も仮設。本当にここが該当のバス停なのか、観光案内所でしっかり確認しました。かなりの路線のバスが小さい停留所に同居しているし、文学館に行くバスは乗り換えが必要なものと直行するものとがあるので、ここは要注意です。
文学館直行の「大瀬戸・板の浦」行きに乗り、目指すは「道の駅(文学館入口)」というバス停。入れ替わり立ち替わり、常に地元の方が何人か乗っています。でも、ほとんどのお客さんは5分ほどで降りてしまう。だんだん不安でいっぱいに。ほんとにたどり着けるんだろうか…。長崎市街を抜けると、バス停があるのは小さな集落や漁港、住宅地ばかり。お客さんがいるからあやしいバス(?)ではないと思いましたが…。
しかも、運転手さん飛ばす、飛ばす!! 鈴鹿スカイライン並み(ローカルな例えですみません)のカーブの多さ、車窓を見る限り、すぐ横は海のはずだが、道はほぼ山の中、急峻な崖。雨降ってくる。視界が悪くなり、さらに不安。
そして、揺れるのよ!
バス、古いし!
で、やっと着きました!
間違ってなくてよかった!! よかった!! 無事に着いて!!
ここまでで達成感いっぱい。まだ文学館にはたどり着いてないってば。
バス停から案内の矢印通りに少し歩くと、文学館に到着です。
入館時に、遠いですねえと何気なくつぶやいたら、受付の方曰く、
「よっぽどのファンの方しかいらっしゃらないですねえ」。
そうなの?? いや、私は「よっぽどのファン」を自認しているので構いませんが…。周作氏はきっと、「こーんなところまで来たんかいな」「来れるもんならきてみぃ」「もの好きやなあ」と言うてはるんじゃなかろうか。
私と一緒に入館されたご夫婦は、車を駐車場に止めていらっしゃいましたが、私を見て「え?」という表情をされていました。文学館からバス停は見えませんので、「どこから現れた?」と思われたのでは…。バスで来る人って、あまり多くないのかしら?
館内は充実しておりました。デスク周りの再現、手書き原稿、校正紙、赤えんぴつまで! 幼いころから留学時代、作家として活躍していたころの写真。それらは、ここのところ頑張って読んできた遠藤周作に関する本たちにも掲載されていましたが、ほんものは迫力が違う。目が釘付けになったのは、原稿用紙の裏側に、細かい字でびっしり書かれた「沈黙」の一部分。あの作品はここから生まれたんだ。ため息が出ます。
文学館に行くならと、「沈黙」「深い河」「侍」、そのほか、遠藤周作の研究をしている山根道公さんの本など、いわば周作まつりのように関連する本を再読しました。文学館で、改めて感じたり考え直したりすることもたくさんありました。そういう「読み直し」は岩にのぼるような作業だけれども、楽しい。初めて読むときはストーリーを追うだけになりがち。再読は行間を読む作業。行間を読む・開くのは力がいるけど、そこには全然違う風景がある。「侍」なんて、昔はいったいどこを読んでいたんだろうと思うほど衝撃的だったし、館内の展示で「侍」にかける遠藤周作の思いを強く感じて、もっとていねいに読んでみようと思いました。
この地を、「神様が僕のためにとっておいてくれた場所」と言った遠藤周作。あなたの場所は、こんなにも日本の片隅に、長崎駅からバス停53個分の遠きにあったのですね(あとで、数えました。53個って…)。キリストを敬ったばかりにたくさんの人が苦しみ、悩み、嘘をつき、命を落とし、でも、その中に神を見つけ、神と共に生きてきた場所。そこが自分の場所だという遠藤は、きっとこの空間にふんわりと漂っているんじゃないかな。
全てを見終わって外に出てきました。スコセッシ監督の映画のロケ地にもなった海は残念ながら見えませんでした。「もう一度いらっしゃい」ということか。
本館右手の部屋は、思索空間「アンシャンテ」。受付に申し出れば、だれでも利用できます。入りたいなと思ったけど、周作せんせいが「お悩みか?」「相談にのるでー」と出てきそう…。とりあえず、嵐のような海も見たかったので、屋根のあるベンチでひと休みしました。
何年もこの文学館に行きたいと思いながら、なかなか機会がありませんでした。今春、生誕100年の企画展示があると知り、今だ!と思ってその日に飛行機を予約したこと、本当に良かった。周作せんせい、ありがとうございました。
帰りは途中で乗り換えが必要なバスに乗りました。市電が見えてきたあたりで降りてみることに。下車したのは「住吉」。往路の車窓で「五島うどん」の看板を見かけたからだったのですが、ランチタイムを逃してしまい、閉まっていました。残念。
せっかくなので表通りから一筋入り、ふつうの商店街らしきところへ…。魚屋さん、八百屋さん、果物屋さん、公設市場もあり、買いもののおばちゃんやおばあちゃんたちがおしゃべりしてました。ちょっと入ってみたかったけれど、おしゃべりしてるところには割り込みにくい(笑)。花屋さん、花屋さんには生花だけでなく、造花がいっぱいありました。そういう風習があるのかなあ。
気が付くとイオンモールに出てしまったので、今度は市電に乗りました。やっぱり行かねばなるまいと思い、平和公園へ。
どうして、私は人の死んだところに行ってしまうのだろう。
理不尽な死に何かを感じるから、かなあ。
雨の平和公園では、若いバスガイドさんが先輩と二人でガイドの練習をしていました。声や語りって、嘘がすぐに伝わる。「暗記しました」では、平和公園のガイドはきっとできないと思うのです。強くなる雨の中、つまることなく、しかし力強く語る新人ガイドさんの姿と声には、なにか救われるものがありました。あの姿を見ただけでも、平和公園に行った甲斐があったなと。
公園内にこんな頑丈そうな扉がありました。広島でも似たようなものを見たことがあります。
いまだに遺族にお渡しすることができず、広島市が預かっている遺骨の部屋、原爆供養塔の扉です。
長崎にも同じような方々、遺骨になってずっと家族を待ち続けている方がたくさんいらっしゃるはず。もちろん、ここがそういう場所ではないかもしれないけれど、扉は遺骨になってしまった方にふっと思いをはせるきっかけをくれました。
公園内には、とにかく「碑」がたくさんあります。しっかり調べていかなかったことを後悔しつつ、少しずつ見て回りました。今度来るときには、長崎の被爆についても、もう少し勉強することにしよう、と。
長崎に行くと話したら、母が「時間があれば行きなさい」と勧めてくれました。そこで、永井隆博士の記念館と如己堂へ。道標に沿って、平和公園から少しそれつつ住宅街を歩いていきます。
これは…。うっかりすると見逃して通り過ぎてしまうような大きさ。2畳しかありません。
記念館はわずか教室一つ分ほどのスペースしかないにもかかわらず、とても充実した内容で、勧められてやってきただけの私も永井博士の来し方、戦中、戦後の生活について概要を知ることができました。
ああ。やっぱりこの掲示を見つけました。「無縁死没者遺骨名簿」。広島でも同じものを見ました。
これ、全国の役所にも掲示されているんですよね。名古屋市内の我が区の区役所には玄関に大きく張り出されています。
行き当たりばったりで歩くうち、浦上天主堂の下にたどり着きました。が、この階段をのぼっていく気力がなくてですねえ…。左ひざを痛めていたこともあり、一度見たことがあるからいいや、と眺めて終わりました。
石垣は被爆したものが遺してあります。
雨もひどくなってきましたので、とりあえず長崎駅に戻ることにしました。
雨の中を歩き続けて、そろそろ何か食べたいなあと思い、だってお昼を食べてないしぃ。駅で、長崎名物・皿うどんをいただきました。これが絶品!駅ビルの中のお店やん、支店やん…などと侮ってはいけません。麺が細いので、あんとよくからみます。そこがそのへんの皿うどんとは違うなあ。お酢をかけて、味変しつつ、ペロッと平らげました。感動して、おみやげに皿うどんセットを買いました。そのあたりは、割と単純なんだなあ。
長崎のおみやげ定番・福砂屋のカステラも買い、実家などには発送をお願いしました。持って帰るのはかさばるし、めんどくさい!! ちなみに、福砂屋のカステラ、焼き立てはカステラと紙の間にざらめが残るんだそう。日が経つにつれ、ざらめはとけていきます。福砂屋は各地にありますが、やっぱり本拠地のものを食べてみたい。本店に行ってみたかったけれど、雨もかなり強くなっていて、断念しました。
小さなキューブ型のカステラ(2切れ入り)があり、これはお友だちへのおみやげとしていくつか購入。箱もデザインもカワイイ。
少し早めに長崎駅から空港行きのバスに乗りました。このバス乗り場が古い古い、味のある建物・県営バス 高速バスターミナル。なんというか、いい意味で「うらびれている」のですね。ここからどこへ行ってしまうんだろう…という雰囲気を醸し出しています。北国でなくてよかった。この建物が北国だったら、気分的に重いなあ。そんな建物です。そこからバスは出発して、夕方の渋滞の中をゆるゆる走っていきます。傘をさした人が足早に歩いて行く。旅情ってこういう気分かなあ。
1時間半ほど、空港内で過ごしました。歩き疲れたというのもありますが、温かいものを飲みながら、訪ねた先々でのできごとを簡単にメモしたり、チケットの半券やパンフレット類、レシートなどを整理したり…そんな時間がとても好きなのです。長崎へ日帰りっていうと、「ええええ、それって忙しくない?」と言われます。でも、歩くだけ歩いて行きたいところにしっかり行って、見たいものをちゃんと見ると、気持ちがおなかいっぱいになるんですよね。それで、こういう時間が出てきます。乗りものを待ちながら、こんな時間を持てるのは、逆に「旅してる」感があっていいと思うんですよね。
飛行機は定刻通りに出発。よかったよかった。格安航空じゃない、久しぶりのANA、やっぱりいいよなあ(笑)。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?