思い出して見よう企画
思い出して見よう企画:
①聞かなかったのは自分の方だった
「お母さんは、一番はじめにお父さんと出会ったのはいつ?」
母はやや意外そうな表情を浮かべた後、「24の時。今思えば早かったねー」と答えた。
「おばあちゃんが、お見合いの写真を持ってきとったとよ。ほら、おばあちゃん世話好きやん。『誰かおらんやろうか』って(写真を)預かって来とってさ。面白半分で『じゃあ私が会ってやってもいいよ、そのかわり服買って』って言ってね。それで天神でよか服を買ってもらって。で、その御礼に1回会おうってなって。それがなんかすごい意気投合してね。近所にいっぱい回っとったみたいよ、お父さんの写真が。回覧板のように(笑)」
話をしていくうちにどんどん母の記憶が蘇っていく。本人にとっては当たり前のことであっても、自分にとっては全てが驚きである。当時のいろいろな状況や人間関係について「そうだったのか!」と、個人的にはかなり驚愕な新事実が淡々と明かされていった。7年前の出来事である。
それにしてもこんな話、今まで全く聞かされたことがなかった!
どうして母はそんな話を、今の今までしてこなかったのだろうか。
母は言う。
「だって誰も聞いてこんやん。こんな話、する相手もいないし」
確かに。
聞かなかったのは自分の方だった。
②質問は心の扉を開ける「鍵」
こうして考えてみると、質問というのは心の扉を開ける「鍵」のようなものに思えてくる。世の中には「鍵穴」が、いくつも存在する。しかし肝心の「鍵」がなければ、扉は開かない。質問とはすなわちこの「鍵」を、「扉」に差してみるという行為にほかならない。冒頭の話のように、予想だにしない答えが返ってくることもある。開けてみて「こんなもんか」と油断していると、扉の奥にまだ隠し扉が続いていた、なんてこともあり得る。
ところで、このQ&Aというシステムは、よくできている。
「いつ(When)」と聞けば「〜歳の時に」という答えが、「誰が(Who)」と聞けば「○○さんが」という答えが、「なぜ(Why)」と聞けば「〜がほしかったから」という答えが返ってくる。
当たり前だけど、聞いたことに対応する答えが返ってくるのだ。
ということは、聞きたいことと異なる意図の質問をしてしまうと、的外れな答えが返ってくるということになる。よって、「知らない」という状態は、おおよそ(1)聞こうという発想がそもそもない、(2)聞き方がわからなくて聞けずにいる(3)聞いたと勝手に思い込んでいる(質問の設定がおかしくて適切な回答が得られていない)の、いずれかによって生じるものと推測できる。これは取材やアンケート調査だけでなく、占いや神託(神の意を伺うこと)の領域についても同じことが言える。
③放置されたままの「部屋」がたくさんある
以前、授業で学生たちに「今から30分時間をあげるからキャンパス内にいる誰か知らない人に声をかけて話を聞いてきて」と課題を出してみたことがある。学生たちはキャンパス内にいる、書店の店員さん、警備のおじさん、学校見学に来ていた親御さん、そしてなぜいるのかわからないが自衛隊員などに声をかけ、話を聞いてきたようである。
最初は「えー」と首を傾げながら教室を出ていったものの、しばらくするとみんなが目を輝かせながら帰ってきた。中には「ポッキーもらいました!」といって、教室で嬉しそうに友達とポッキーを食べ始めていた学生までいた(お菓子メーカーのグ○コを辞めて今は馬に乗って旅をするのにハマっているという人にもらったらしい。なぜそんな人がキャンパスに...)。
ある学生が話していた。学内の警備のおじさん曰く、「最近は喫煙所のマナーが悪くて困っている」そうだ。毎日通学し、その度に挨拶したりすれ違ったりしている警備のおじさんが、そんなことを考えながらあの場にいたなんて、全く知らなかった学生は驚いていた。
最初は相手してもらえるのかと不安だったけれど、いざ話しててわかったのは「なんなら待ってた感があった」ということだったと、その学生は話してくれた。みんな聞いてほしくてウズウズしているのだ。本当に足りないのはお金でも時間でもなくキッカケなんじゃないか、といろいろ想像してしまう。
何が言いたいかと言うと、開けたことのない扉が、まだまだ世の中にはたくさんある、ということである。開け方を知らないがために、放置されたままの部屋がたくさんあるのだ。
④「鍵穴」は錆びつき、いつか無くなる
ところがそんな「扉」も、自然と風化してなくなっていくことがある。
父が亡くなって、かれこれ約10年以上の月日が経つ。
どうして冒頭のような質問を母に投げかけたのかというと、父が亡くなってから父の肉声や手記など、彼自身を知るための記録がほぼ家の中に残っていない、という事実に気づいたからだった。
ということは、大人になってから家のルーツを辿ろうと思っても、もはや辿るための情報源がない、ということである。ときどき「いったいあの日々はなんだったのか」「そういえばあの人、いつもいたけど誰だったんだ」とふと振り返るようなことはきっと誰にでもあると思う。
聞けるうちに聞いておこうと思ったのだ。
葬儀後、父の物入れの引き出しの中から1枚の謎のCD-Rのようなディスクが出てきた。表面には何も書かれていなかった。
もしや何か重要な手がかりが残されているのではないか。
僕はそのディスクを、恐る恐るPCに入れて再生してみた。
ディスクを飲み込んだPCからはブゥーンと回転数の上がる音が聞こえてくる。
と同時にWindows Media Playerが立ち上がる。
そこに表示されたのは、驚愕の画面だった。
ビリーズブートキャンプのDVDだった。
確かに親父、やたらと腹筋のトレーニングをしていた記憶がある。PCの前で、僕はゲラゲラ笑いながら、違う意味で腹筋を鍛えていた。
父親がどんな思いで子育てしたり、仕事に悩んだりしていたのか。
意外と手元に残されているものは、限られていたりする。
⑤質問リスト
というわけで、実はここからが本題。
別に家族の話をしてノスタルジーに浸りたかったわけではなく、「こういうこともあるよね」という文脈や具体例を共有した上で、みなさんに「質問」をしてみたかったのだ(想起してくれさえすれればいいので、別に返事は要らないのだけど)。ある意味、編集者やインタビュアーというのは鍵屋さん、つまり「鍵」をつくるのが仕事なところがあると感じている。
そういうわけで、実はこの半年間、どんな面白い質問があり得るのか、と実験的な質問づくりを、ひたすら考え続けてきた。トイレの合間、電車での移動中、布団に潜り込んだ瞬間に...。
出来る限り「そんなこと聞かれるまで、考えたこともなかった!」と思えるような質問を用意してみた。それゆえ「どんな食べ物が好きですか?」とか「将来の夢はなんですか?」といったようなありきたりの質問ではなく、明らかに「風変わりな」質問をセレクトしている。そんなこと聞いてどうしたいの、と思われるかもしれないが、たくさん問いがあれば1つくらいは何か引っかかるものでもあるのではないだろうか。この半年間で、思いついた時にメモしてきた質問リストを以下に公開してみたい。
もちろん全く思い出せないものもあるかもしれないけれど、たぶんこの質問リストは読んだだけで、脳内で「何か」が刺激されるようになっている(と勝手に思っているし、実際に友人で実験済み、笑)。
思い出せる限り、思い出してみてほしい。あるいは、このリストをヒントにあなたが自分で質問を考えて、誰かに聞いてみるのもいい。
意外な発見があるかもしれない。
(1)自分が生まれてきた瞬間のことを覚えていますか?(もし覚えていなければ、どこから自分の記憶は始まっていますか?)
(2)一番最初に覚えたポケモンの名前は何ですか?
(3)自分がのび太くんより年上になっていることに気づいた瞬間はいつですか?
(4)親がいつかは死んでこの世からいなくなってしまうことに最初に気づいた時、何を考えましたか?
(5)小学校の校舎の床の色や材質がどんなだったか、覚えてますか?
(6)信号が赤から青に変わった瞬間、どっちの足から先に踏み出していますか?
(7)嘘をつくとき、口先と眉毛の形はどうなっていますか?
(8)よくタイプミス、変換ミスしてしまうワードはなんですか?
(9)目が覚めたらまったく知らないところにいたことはありますか?
(10)スマホを落として画面が割れてしまった時、真っ先に考えたことは何ですか?
(11)かくれんぼで隠れている時、何を考えていましたか?
(12)利き目が左から右、右から左に切り替わった瞬間はありますか?
(13)泥棒の目線で自分の家を眺めてみたことはありますか?
(14)横断歩道では「手を挙げる」と教わったけど、そんなの実際誰もやってないことに気づいて自分もやらなくなった時のことを覚えていますか?
(15)自分の名前はなんと読み間違えられやすいですか?
(16)家の中に、誰かから借りたまま返していないものはありますか?
以上。
※思いついた順に載せているので順番に特に意味はありません。何か気づきや発見があったら、こっそり教えてください。
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