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のと鉄道「地酒列車」の思い出

 10年ほど前のことになる。

 2014年10月、のと鉄道が主催する「能登地酒列車」に乗車した。七尾駅から終点・穴水駅まで、車中で能登の酒を飲みながら鉄路を行く。穴水からはバスに乗り換え、能登町にある酒蔵を訪ねる――という日帰りコース。旅日和の晴天だった。
 まず集合場所まで行くのに一苦労だった。このツアーは「金沢集合」と「七尾集合」が選べた。ツアー代金には運賃も含まれており、料金は金沢集合の方が1500円ほど高かった。私は七尾駅集合を選んだ。「秋のJR乗り放題パス」を持っていて、七尾までは自力で行けたからだ。前泊した直江津から朝早く、えちごトキめき鉄道、IRいしかわ鉄道と乗り継ぎ、まずは金沢駅へ。JRに乗り換える。津幡へ戻るような格好で、七尾線に乗車した。この七尾線が、存外時間を要した。金沢から七尾までは1時間半かかる。土曜日で部活動らしき学生が多い。これから酒を浴びに行くオバチャンの目に、爽やかなスポーツ刈りの若者たちはまぶしすぎた。

 七尾駅前の公園で、金沢で買った蟹めしを食べた。空きっ腹に酒を流し込んではいけない。蟹の形を模した、真っ赤な弁当箱。蓋を開けると、ほろほろの蟹の身がご飯に敷き詰められていた。蟹の身の、赤と白のコントラストがきれい。もちろん蟹はうまかった。箱は持って帰ってきてしばらく眺めて楽しんだ。

 のと鉄道七尾駅はこぢんまりとした、いかにも「ローカル線らしい駅」だった。七尾出身の絵師・長谷川等伯のゆるキャラ「とうはくん」のパネルがセンターにどんと据えられている。桃山時代の神絵師も400年経つとこんなかわゆいゆるキャラになってしまうのね。
 ホームに長机を出しただけの簡単な受付があった。
 「地酒列車にご参加の方ですか」
 鮮やかな水色のはっぴを着たお兄さんが愛想よく声をかけてきた。どうやら私が一番乗りだったらしい。列車は2両編成で、1両は永井豪先生(輪島市出身)のキャラクターラッピング車両。もう1両は「劇場版 花咲くいろは」のラッピング車両。この絵柄の温度差よ。
 地酒列車としてわれら呑兵衛が乗車するのは、永井豪車両。花咲くいろはの方は一般の人が利用していた。通常ダイヤの中でイベント車両を走らせる。うまくやり繰りしているのだなあと感心した。
 永井豪車両の車体には、マジンガーZやデビルマン、キューティーハニーがドドンと描かれている。車内の窓上広告部分や運転室・トイレの外壁面にもハニーちゃんや兜甲児くんのカッコいいイラストが。水木一郎アニキが乗車した際のサインもあった。

のと鉄道の永井豪キャラクターラッピング車両=2014年10月

 続々と参加者が集まり、満員御礼で出発。早速はっぴのお兄さんたちが酒をついで回る。お兄さんたちはれっきとした、のと鉄道の職員さんだ。便宜上「のと鉄くん」と呼ばせていただく。きき酒師(こちらは外部講師)が日本酒について簡単なレクチャーを始めた。進行方向右手に海が見えてきた。美しく穏やかな、紺碧の海。どの辺りだったろうか、牡蛎養殖の筏が浮かんでいた。
 ツアーはこのシーズンで4回実施され、私が参加したのは最終回だった。参加者の中には何度も乗車した〝ご常連〟もいた。全回参加したというおっさんは、電車に乗る前からしたたか酔っていた。というか、酔っ払っているのが通常運転のような、ご陽気なおっさんだ。どこから来たんだと話しかけられ、
 「藤沢(って言ってもわかんねーか)……湘南です」
 と答えた。道中、おっさんは私のことを「湘南」と呼んだ。おっさんは自前で持ち込んだ地酒「宗玄」のカップ酒を私に寄越した。車中でふるまわれる酒を飲んでいたので、未開封のまま持って帰ってきた。

 前述のとおり、車中では能登の酒が振る舞われた。供されたのは
 ▽松波酒造=能登町 純米大江山酒
 ▽ 〃   純米吟醸金の星ひやおろし(いちょうの絵のラベルがきれい)
 ▽宗玄=珠洲市 純米石川門
 ▽〃  本醸造原酒 隧道蔵(トンネル内で貯蔵した酒。トンネル内は湿度や温度が一定かつ冷暗なので、酒の貯蔵に好適)
 ▽日吉酒造店=輪島市 ささのつゆ純米吟醸
 ▽清水酒造=輪島市 千枚田……など。

 酒造りのリーダーを「杜氏」という。ここ石川県には「能登杜氏」と呼ばれるスペシャリストたちがいて、「日本四大杜氏」の一角を担っている。ちなみにあとの3つは、南部杜氏=岩手県、越後杜氏=新潟県、但馬杜氏=兵庫県。どこも酒どころである。
 能登の酒は、濃厚で華やかといわれる。個人的には「華やか」というより、地に足の着いた、芯のある、それでいてやさしい酒が多いように感じた。能登の土地柄、人柄を体現しているようにも思える。

 能登中島駅の留置線に青い車両が停まっている。青の濃淡2色のまだら模様かと思うほど塗装が剥げ、上塗りされている。屋根に近い高い位置に、明かり取り程度の小さな窓が7つある。余計な装飾もない。ほぼ鉄の箱である。車体には誇らしげな赤い〒マーク。郵便車オユ10形だ。鉄路を走りながら、つまり移動しながら、同時に鉄の箱の中では掛員が郵便物を仕分けしていた。なるほど効率的ではある。昭和32~46年に72両製造され、鉄道郵便が廃止された昭和61年まで全国で活躍した。ここにいるのは、国内に2両しか保存されていないうちの1両だという。色斑は海辺に留置される宿命かもしれない。
 昭和の時代、郵便は全盛だった。遠く離れた友人への手紙。ふるさとの親御さんから送られる、愛情詰まった荷物もあったろう。手紙や荷物と一緒に、送り主の思いも載せて走った大ベテラン。車窓から一礼した。

 能登鹿島駅には「能登さくら駅」の別名がある。桜の木がホームに並んで植えられている。今は枝木と黄葉でいささかさみしい。
 「春にはホームが、わーっとピンク色に染まるんですよ」
 酒を注いで回っていた、のと鉄くんが誇らしげに言った。彼は20代後半くらいだろうか。若い人が自分のまちを、鉄道を、こうしてうれしそうに、大事そうに自慢する姿は、接していて気持ちがいい。ホームの先には海。ここに桜が加わればさぞ美しいことだろう。次は春に来よう。のと鉄くんに酒を所望した。

能登鹿島駅=2014年10月

 前後の乗客とも打ち解けてきた頃。のと鉄くんが地元の話をしてくれた。能登半島の地形を説明するのに、彼は自分の左の手のひらをこちらに見せた。人差し指から小指までの4本はピシッとそろえる。「前へならえ」の格好。親指は立て、第一関節を45度もたげる。その親指を指して
 「これが! 能登半島です!」
 とドヤ顔で言う。彼は手つきが慣れていて、明らかに今思いついたものではなかった。聞けば石川県辺りでは子どもの頃から、能登半島とその周辺の地形をこの手振りで覚えるらしい。親指は能登半島、人差し指~手の甲は新潟~富山の陸地を表す。曲げた第一関節の内側辺りが、のと鉄道終着の穴水駅。「フレミングの法則」ならぬ「能登半島の法則」、しかと覚えた。

 ツマミとして乾き物を2、3持ってきたが、すぐになくなってしまった。どこの席からか、タッパーに入った惣菜や確かせんべいなどが回ってきた。地元の人はピクニック感覚で参加しているのだろう。ありがたくご相伴にあずかった。

 40分ほど列車に揺られ穴水駅に到着した。「フレミングの能登半島」法則を使えば、穴水は親指の第一関節を曲げた内側に位置する。現在のと鉄道の終着である。2005年までは、親指の腹の先、蛸島駅まで、のと鉄道能登線が敷かれていた。残念ながら穴水から先は廃線となった。
 ここからバスに乗り換える。能登町鵜川地区にある鶴野酒造店を目指す。およそ30分ほどの道のり。乗客は往路の列車内でしたたか酒を飲んだせいか、バスの中ではおとなしかった。というか、ほとんどが寝ていた。さすがにバスの中でまで呑む人はいない。私も黙って車窓の景色を見ていた。そのうちに眠くなった。
 (行程表では、2軒の酒蔵を訪ねることになっているが、1軒しか行っていないと記憶している。写真も残っていないから、恐らく急遽予定変更したのだろうと思う。もし他の蔵に行っていて、私の記憶と記録がないだけだったら申し訳ない)

 鶴野酒造店は寛政~享和年間(1789―1804年)創業。200年以上続く酒蔵だ。まるで時代劇のセットに入り込んだかのような木造の店構えで、軒下には茶色に褪せた杉玉が堂々とぶら下がっている。主力銘柄は「谷泉」。女性の杜氏さんが蔵を案内してくれた。蔵の中は薄暗く、ヒヤリと涼しい。酒米を蒸す甑や酒を搾る際の「ふね」は木製で、年季、いや、歴史を感じられた。現代日本では、メンテナンスが大変だろう。琺瑯のタンクには、蔵人のものだろうか、寄せ書きがしてあった。
 「おいしく育てよ~!」
 「福の酒になる 谷泉」
 このタンクで、この人たちに醸された酒は、絶対にうまいだろう。

鶴野酒造店。主力銘柄は「谷泉」=2014年10月

 列車内であれだけ呑んだというのに、試飲コーナーに群がる参加者。買い物に精を出す人もいる。バスの中の静けさは、このための小休止だったのか。店を出て風に当たった。海が近く、やわらかい湿った潮風が漂う。店の脇には、酒しか売っていない自販機があった。並んでいるのは各社のビールやチューハイ、そして谷泉のカップ酒。30種販売できるベンダーだったが、うち7つは谷泉のカップ酒。売り場面積(?)約4分の1がカップ酒という、思わず笑っちゃうような自販機だった。

 復路のバス車内も静かだった。さすがに呑み疲れたのか、賑やかにしゃべる人はいない。
 穴水から再び鉄道に乗る。不思議なことに、鉄道に乗ると皆、杯を傾け始めた。バスではあんなにおとなしかったのに。打ち解けた者同士でボックスシートに陣取る。供された弁当をつまみに、往路で呑みきれなかった酒を瓶で回す。車内を酒瓶がぐるぐると回遊する。和らぎ水(チェイサー)の準備もあった。体内でアルコールと中和させるように、がぶがぶ飲んだ。不思議とトイレには行かなかった。

 七尾駅で解散。私を含め、引き続き金沢まで行く参加者はJRに乗り換えた。件のおっさんが
 「湘南! 湘南!」
 と私を呼ぶ。おっさんは菓子折を私に半ば押しつけ、持って行けと言う。七尾駅の売店で買ったらしい。いやいや悪いよといったんは断ったが、押し切られた。売店のおばちゃんもおっさんの馴染みらしく「もらっておいて」と笑う。酒もお菓子も、おっさんなりのもてなしなのだろう。
 赤だかピンクだかの、かわいらしいうさぎのパッケージのおまんじゅう。酔っ払いのおっさんのくせに、女の私よりチョイスがファンシーだった。なんか悔しい。

 七尾から金沢までは、一般の乗客もいる、普通の列車だ。先ほどまでのように堂々と飲酒はしづらい。4人がけのボックスシートに女性の一人参加者ときき酒師が集って、こそこそ、ちびちび、だらだらと呑んだ。酒の話や世間話、とりとめのない話を肴にした。全員そこそこ酔っ払っているから、些細なことでもみんなが笑う。酒癖の悪い人はいない。みな和やかに、穏やかに笑う。上品な酒飲みだなと思った。金沢駅に着く頃には、車窓の外はすっかり暗くなっていた。
 「またどこかで」
 改札口を出たところで、旅の友と爽やかに別れた。連絡先も聞かなかったけれど、それでいい。縁があれば必ず逢える。


 2014年10月、のと鉄道に乗車した際の思い出です。
 
 列車内で一緒に酒を呑んだ皆さんが、健やかでありますように。
 かわゆいお菓子をくれたあのヨッパライのおっさんも、好きなお酒を飲めていますように。
 のと鉄くんが、今日も元気に能登で働いていますように。
 また必ず乗りに行きます。のと鉄くん激推しの、能登鹿島の桜を見に行きます。

 1月1日、能登の皆さんへ思いを馳せつつ。
 
 ※永井豪キャラクターラッピング車両は、2018年10月に運行を終了したとのことです。

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たかはしみっちっち
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