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「話す」とは、自分の思いを言葉にして解き放つこと
「気持ちを込めて」ってどうすればいいの?
小学校の学芸会で主役になりました。
セリフも動きも完璧。
自信満々で劇の練習に臨んだとき、担任の先生に言われた一言です。
「みちよさん、もっと気持ちを込めて言いましょう」
その時からもうすぐ50年が経とうとしているのにはっきり覚えています。
気持ちを込めて話すって何?
どうすればいいのい?
先生は国語や算数は「こうやりましょう」ってやり方を教えてくれるのに、気持ちを込めて話す話し方は教えてくれませんでした。
それからずっと「気持ちを込めて話すにはどうすればいいのか」考えています。今も。
経歴・活動実績
1、学生時代
中学校で演劇部に入りました。
正直消去法です。
運動…何もかも全くだめ
音楽…歌も楽器もあんまり
美術…道具が面倒
残ったのが演劇でした。
顧問の先生は名ばかりで、指導者は先輩。
日頃はうちの中学の演劇部に伝わるテキストに沿って発声やエチュードなどのレッスン、文化祭の前は公演に向けての稽古をします。
中学一年の文化祭が初舞台でした。
学校の大きな体育館、観客は全校生徒、演目は『銀の燭台』。
お話の中に入り込んで演じていると「気持ちを込めて話」せている気がします。
細かな出来事は今となっては遙かな記憶の彼方に行ってしまいましたが、カーテンコールの高揚感は忘れられません。
そこから演劇にハマりました。
高校では、部活は演劇部、委員会は放送委員会、発声練習に明け暮れる毎日です。
放送委員の先輩に「演劇部なら放送コンテストの朗読部門に出なよ」と言われ、初めてマイクの前で朗読しました。
今にして思えば、ただ自分が気分よく読んでいただけで、「気持ちを込めて」を履き違えた朗読だったと思います。
でも、誰も指摘してくれなかったので、ずっとそれでいいと思っていました。
高3の時、全国大会前の練習会でHNKのアナウンサーさんに「“うたう”読み方では聞き手に内容が伝わらない」と指摘され、「伝わる読み方は文頭を高く、文末を低く」と初めて教わりました。
目から鱗です。
でも、身についた“うたう”読み方はなかなか治りませんでした。
大学時代、日本文学科だった私は沖縄文学を専攻しました。
その学びも「気持ちを込めて話す」に通じることが多々あり、サークルではラジオドラマを作ったりしましたが、これもまた「気持ちを込めて話す」活動です。
2年生の時、大学でマスコミ就職を目指す学生に向けた「自主マスコミ講座」という講座が始まり、先輩に誘われるままに参加しました。
私はこれまでずっと声を出す活動をしてきたのでそこそこそれっぽくやれている気がしていましたが、やっぱり現役アナウンサーの方に指摘されたのです。
「うたってはいけない。助詞をあげて読むから変な節回しになる。気持ちを込めて読んでいるつもりかもしれないが、それでは内容が伝わらない」
私が気持ちを込めて読むと伝わらないと言われます。
なぜだろう…。
試行錯誤は就活中も続き、それはアナウンサーになってからも続きました。
さまざまに迷い悩みつつも自由を謳歌した楽しい大学時代、今思い返すと、当時の私の周囲には常に言葉があり表現がありました。
それが私の基盤になったと感じています。
2、局アナ時代
就活中も色々あったのでその話はまたの機会にするとして、私は運良く地元局のアナウンサーになりました。
今の私があるのはファーストキャリアが局アナだったからだと思います。
局アナ時代の様々な経験や学びが今の仕事に繋がっているのでとても感謝していますが、当時は常に悶々としていました。
「女子アナ」という、会社員でありながらタレント的要素もあった当時のアナウンサーの扱いにもうんざりもしていました。
カメラの前で言葉を発する度に「伝えたい内容が本当に伝わっているのかな?伝える人が私である必要があるのかな?」と懐疑的な気持ちになります。
「伝える」ってなんだろう。
結局答えが出ないまま、結婚を機に退職しました。
3、お母さん時代
退職後、すぐに長男を妊娠しました。
生むまで続いたつわりで気持ちが後ろ向きになっていたところに、出産後は体が弱く手のかかる息子をワンオペ。
毎日つらくてつらくて育児うつになりかけた私を救ってくれたのは絵本の読み聞かせでした。
地元の書店の読み聞かせボランティアは託児があり、我が子を預けて他の子たちに絵本を読んであげるのです。
私が読む本に夢中になっている子どもたち、「おもしろかったです。ありがとうございました」と声をかけてくれるお母さん。
どんなに子育てをがんばっても誰も褒めてくれない虚しさに鬱々としていた私でしたが、「元アナウンサーのスキルが役に立っている」と思えたおかげで前向きになれました。
そして何より、自分の声で絵本の世界を表現することがとにかく楽しかったのです。
読み聞かせの仲間にも恵まれました。
仲間はみんな、ごくごく普通のお母さんたちです。
でも、しゃべりのプロでなくても「お話の楽しさを子どもたちに伝えたい」という思いで発する言葉は聞き手の心に届くのです。
アナウンサーがどれだけうまく読んでも、そこに気持ちが伴わないとことばは聞き手を素通りしていきます。
「気持ちを込めて話す」にはどうしたらいいのか、少しわかってきたような気がしました。
4、先生時代
その後も読み聞かせ活動はずっと続けつつ、野球少年の息子たちのサポートやPTA、部活の保護者会などなど、ごく普通のお母さんとして家事育児に追われる日々でした。
そんな私に転機が訪れたのは46歳の時。
ひょんなことから元同僚に頼まれ、学生たちにスピーチを指導する先生になったのです。
この時も元アナウンサーのスキルや読み聞かせ活動の経験、大学時代にとった国語教諭の免許などが大いに役に立ちました。
1年目、2年目と自分なりに工夫して、学生たちのスピーチ力も向上し授業がうまくいっていると自信がついてきた3年目。
学生たちに違和感を感じるようになりました。
なんだか、グループワークが楽しくなさそう…。
話を聞くと、多くの学生がこんな風に思っていたのです。
自分語りは人の迷惑
・私の話なんか面白くないので、だれかに聞いてもらうのは申し訳ない
・自分の話に対して周りがどう思うか気になる。失敗が怖い
・人前で緊張してうまく話せない。
・うまくできなかった時の周りの目が気になる。グループワークが苦手
・自分の意見がどう思われるか心配で言えない。
・陰キャなのでコミュ力なく、仲良くなることが苦手。
・いつも仕切り役になる。調子に乗っていると思われる。
スピーチなんて「自分語り」の最たるもの。
それが迷惑だと思っていたら、私の授業が楽しいわけありません。
なんとかならないか探す中で見つけたのがシアターゲームでした。
さらに調べていくと、演劇的手法を用いたワークショップがコミュニケーション教育に大いに役立っているとのこと。
これまた、演劇部だった私の経験が生かせると思いました。
その後、まるで導かれるように幸運が訪れます。
絶対東京まで行かないと受講できないと思っていた演劇ワークショップの講座が、まさかの長野で、しかも驚きの安価で開催されているとわかる
→ 早速受講その講座で、夏に劇作家大会が上田で開催されると知る。しかも、演劇と教育について平田オリザさんの講演がある
→ 早速申し込み劇作家大会で、平田オリザさんの講演の後に青山学院大学の苅宿先生の講演を聞く
→ ワークショップってそういうことか!なんとしても、息子たちが東京にいるうちに青学のワークショップデザイナー育成プログラムを受講したいと考える
→ 受講料(当時の私の年収とトントン)と、東京に通う交通費(宿泊は息子の家)の算段新型コロナ感染拡大→なんとWSD(青学のワークショップデザイナー育成プログラム)に完全オンラインコースができた!
→ 早速申し込み、レポートと面接を経て合格
WSDすごい、もう、私が生まれ変わる感じ
→ でも、学べば学ぶほど自分の子育てを反省…社会教育士という出来立てほやほやの資格があると知る
→ その資格を取りたい各地で社会教育士になるための社会教育主事講習が開催されているが、信州大学では4年に1回しか開講しない
→ なんとその年ちょうど開講!またまたたまたまその年に佐久平女性大学開校
→ 様々な繋がりで黒沢梢学長と出会う
タイミングに恵まれ、縁に恵まれ、今私は自分のこれまでの経験を生かした仕事ができています。
そして、ずっと私の課題だった「伝えるってどうすることなんだろう」「気持ちを込めて話すにはどうしたらいいんだろう」ということについてもいくつかの方法を見つけ、あちこちに出向いて皆さんに体験してもらっています。
「誰かに何かを伝える」「気持ちを込めて話す」ために、安心安全な場でぜひ自分なりの話し方を試してみてください。
話すとは、自分の思いを言葉にして解き放つこと
「『話す』は『放す』。話すとは、自分の思いを言葉にして解き放つこと」という大学時代にお聞きした先生の言葉が、今も私の指針になっています。
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