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#99 世界の表象の代理としての記号
哲学の対話を院生の川崎君とラジオで継続中。あらためて学びを考えてみる。
FM805たんばの受信地域外の方も、こちらからインターネットサイマルラジオでお聴きいただけます。
世界とは自分の周り全部。それを人は知覚する。次にそれがなにか認識する。判別するために記号をつける。数字でも文字でも。記号を組み合わせて世界の意味を構造化する。ゆえに文字や記号には意味が付着している。
記号で構造化された記録は劣化せず時系列で再認識できる。時間ベースに次の認識に移れる。つまり世界そのもののもつ意味システムの代理機能として知識と技能がある。しつこく言うが意味がある。
人間のお仕事はこれだ。意味の理解により何事かを成し遂げること。それにより幸福になること。そのお仕事を効率的にやる理性をもつ。知識と技能を獲得し操作し、自然を制御する科学が生まれる。
なので、目的があって知識と技能が獲得される。知識と技能の獲得が目的になったとき、意味システムとしての世界は消えてなくなる。理性的ではない人間が生まれる。
世界の意味システムを理解することが目的。知識と技能はそのための道具。道具の扱い方をしっていてもそれはその道具を使う意味を知らない。通用しない知識と技能は情報である。意味を見出す能力がないなら道具は絵に描いた餅。
そのことが問われている。ひたすら勉強して学んでもそれは意味のない記号でしかない。というより自縄自縛で有害かもしれない。