香りと手仕事
毎年誕生日が近くなると金木犀の香りがあちこちに漂い始める。
風の中に金木犀の香りを嗅ぐと、ああ、もうすぐ誕生日だ、と思う。
不思議なもので、香りほど好き嫌いがはっきりと分かれるものは無い。
金木犀の香りもそう。
その香りを嗅ぐと、ただちに「トイレ」を思い出して、気持ち悪い、という人がいるのだ。
トイレの芳香剤に「キンモクセイの香り」というものがあって、
多分、その体験でそういった連想をしているのだと思う。
そんな連想をする方には、食べるなんて信じられないのかもしれないが、
庭の金木犀の花を摘んで、シロップを作った、初めて。
キンモクセイの香りが苦手な家人にさえ、「あれ?これなら食べれる」と言わせた金木犀シロップが出来上がったのだ。
さて、シロップを作るには、甘味料が必要。
それを、ザラメにするのか、蜂蜜にするのか、グラニュー糖にするのか、てんさい糖にするのか。
そのチョイスで、色と風味が変わってくる。
健康を気にかけている方々からは、嫌厭されがち、悪者扱いされがちな、白い砂糖だけれど、
ここはあえて白系の砂糖を選んだ。
なるべくストレートに金木犀の香りと色を楽しみたいからだ。
以前にも書いたけれど、手作り、手仕事には、必ず、『基本』となるものがあって、
それをまず知っておきたいという作り手のこだわりが私にはある、職業病とも言う...
勝手な設定かもだけれど、ちゃんとした自分なりの理由もあって白系の砂糖を使って作る、それが私にとっての基本のシロップ作りなのだ。
ところが、白系は白系でも、私が選んだのは「氷砂糖」。でも、ほら、パッケージ見たら、なんだか信頼感もあって美味しそうでしょう?
袋から透けて見える氷砂糖の見た目が美しくてつい、手が伸びてしまったのだが、
なんと、溶かすのに想像以上の時間がかかったのである。
グラニュー糖ならば粒揃い、小粒子、白ワインが温まればその熱でサッと溶ける。
ところが、氷砂糖はいくら煮ても溶けない。
そのうちに、白ワインが蒸発して、とろりといい匂いがしてくる...焦がしてはならない。
他に方法が見つからなくて、分量外の白ワインを何回か加えて、そんなこんなで、なんとかシロップが出来上がった。
そのお味はいかに?
「キンモクセイって、食べられるの?」と言いつつ、既に口に入れている家人たち。
「思ったより、臭くない、むしろいい匂い。」という、感想までいただき、私は心の中でドヤ顔をする。
白ワインの葡萄の風味が加わって、初めての金木犀シロップは大成功!
しかし、手間暇かけて枝を切り、花を摘み、埃や虫をはらい、水で綺麗に洗い...もちろん、蚊にも刺される...
そんな風にたっぷりと時間をかけても、取れた花はたったの9グラム...
用意した瓶の大きさと数(3個)に、自分で自分を笑ってしまう。
どんだけ取ったらこの瓶を満たせるんだろう。
体力的にも時間的にもこれが限界。
「たくさん出来上がったシロップ」は幻だったらしい…それを想像しながらワクワクとしていた自分が可愛く思えた。
翌朝、いつものお白湯にティースプーン半分ほどのシロップを入れていただく。
空っぽの体に金木犀の精が染み渡る。
手作りの世界には、かけがえのない物語がある。
その物語は、多分ドラマチックとはかけ離れた淡々とした世界。
でもそこに流れる血潮を私は見逃していない。
「情熱」とはヤカンが沸騰したようなものだけをいうのではない。
奥深く、そっと毛布をめくるようにしてやっと見えるような、そんな情熱を見つけ、拾い、私は残していきたいのだ。