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桜の頃に

1月16日(木)
横綱・照ノ富士関が引退を表明した。

久しぶりに休場開けた今場所はなかなか厳しい内容が続いていたので、ある程度心の準備はしていたが。
やはり寂しいね。横綱として活躍する姿をもっと見たかった。

普段「〇〇送って」とかしか連絡よこさない東京の息子(社会人一年目)が、「照ちゃんが!!」とLINEしてきた。
いくら相撲オタクだからってさ、照ちゃんて、おいおい親しすぎないか?


1月17日(金)
実家の父の一周忌の日取りが決まったと、母から連絡があった。

4月は私が桜の時期で忙しいだろうから3月中ごろにしようか、などと言っていたが、教会の神父様の都合で結局4月初旬、命日の前日になった。

実は私がnoteを書き始めたのはあんこが上手に炊けたからではなく、自分の精神を保つためだった。

2023年の末に父は交通事故に遭った。
一命を取り留めたが重体で意識は戻らず、そのままいわゆる植物状態に陥っていた。
混乱と悔しさと何も出来ないもどかしさで、やがて私は突然涙が止まらなくなったり、めまいがしたり、日常生活が危なっかしい状態になっていた。

これではまずい、この状況を客観視できたら少しは落ち着くのではと始めたのがこのnoteだった。
書き始めたら、涙もめまいも確実に減った。

結局迷って公開はしていなかったので、その下書きが今もたくさん残っている。
いつかこの日記に交えて公開するかもしれないし、しないかもしれない。



1月18日(土)
アメリカのホストマザーに、クリスマスカードを書く。
「今年こそは!」とカード自体は早めに買っていたのに、例年以上に盛大に書く時期を逃してしまった。
いやそれさすがに逃し過ぎやで……

彼女は私が高校時代に一年間オハイオ州に交換留学した際のホストマザー。
ちょっと取っ付きにくい面もあるが、30年以上も前のアメリカで、原爆の犠牲者追悼イベントに参加するような、fair-minded な人だった。
最近はもっぱらSNSを通じての交流だが、こうして一年に一度は手書きのメッセージをもらうのは実にしみじみする。じゃあ自分も早く書けよ、って話だが。

12月に届いていたカードには、分断進むアメリカで苦しみながら、でも希望を捨てないよという言葉。
心強いし、泣けてくる。

会いたいけどなかなか会えない人が、この世にもあの世にもいっぱいいるのだ。

(タイトル写真は去年の梅小路公園の八重桜)