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カレン族の魔法〜空っぽにならないお米の壺
自分たちのことを「自然の一部」として
「パガニョ(人間)」と呼ぶカレンの人々。
もう30年程前のことになってしまいましたが
カレンの村に家族で住んでいた頃
家は建てさせてもらったけれど
当然ながら土地は持っていないので
自分たちの田んぼはありません。
チェンマイの町にも
アパートを借りていたので、
日本に電話をしたり、
用事を済ませに町に下りた時に、
米も町から買って行っていました。
ある時、町から戻って
買ってきた米を入れようとすると、
米を入れていた壺の中は、
なぜか八部目くらいまで入っている‥
米の妖精さん🧝♀️?
最初は、お米がなくなったと思ったのが
勘違いだったかと思いました。
けれど
何度かそういうことがあり
勘違いではなかったことはわかりました。
お世話になっていたおばさんや
村の人たちが、
私たちの留守中に時々見にきては
補充してくれていたのだと思います。
他人であって他人じゃない。
誰かの「足りない」を他の誰かが補充する。
そういえば、
以前長老が日本に招かれて有楽町のホールで
パネリストとして登壇した時のこと。
目にした車いすのマークを不思議がったので
「バリアフリー」という言葉と一緒に説明すると
ふぅ〜〜〜〜〜〜〜ん
と気の入らない返事の後で
「パガニョ(カレン族)なら、
みんなでおぶったり担ぐから
要らないけどね」
と言っていました。
お米の話に戻します。
そうやって、
いつもこっそりお米を補充してくれていた誰か。
もしかすると
一人じゃなかったのかもしれません。
その時その時で、
たくさんある人が出してくれていたのかも。
最初は、
お米をくれた本人にお礼をしたいと思いました。
でも、なかなか教えてもらえません。
お礼を言うとかお返しをするとか
そんなことしなくていいんだよ、
と村の人たちは言いました。
わたしたちも、
村の誰かのために
みんなのために、
自分のできることをすればいいっていうこと?
しかもおばさんたち曰く、
こうしてわたしたちが
村に来て住んでいることが
すでにお礼に値すると言うのです。
こちらとしては、村に押しかけて
お世話になった上に
庭先に家まで建てさせてもらって
迷惑しかかけていないように思えるのですが
それが喜ばれているなんて、
そんなこと
本当にあるのかな?
つくづく、
自分で考えられる世界の狭さを感じます。
自分が思っているより
世界はずっとずっと広いんでしょうね。
追記
その時夫婦で話したのは
「わたしたち、ここにいる限りは
お金持ちにはなれないかもしれないけど
飢えて○ぬことだけは絶対にないね」
世界の中に
そんな場所があるって
幸せだな、
と心から思います。