#5.「自己肯定感」というワードがしっくりこない理由とその対策
令和になって頻繁に見聞きするようになった「自己肯定感」というニューワード。(実はずっと前からあるらしいですが)
「今の自分に満足するな!まだまだ頑張りが足らん!根性でなんとかしろ!」
という自己否定から始まる「昭和の根性論」と共に時代を歩み、心の竹刀を
自分にビシバシ振り回しながら生きてきた私は、「自己肯定感」という言葉を聞いた時、まったく
「え、どういうこと?」
だった。昭和→平成ではあんなに愛されていたはずの「竹刀ビシバシ根性論」は切り捨てられ、いつの間にか「ありのままでいい、それだけで価値がある。もっと自分を好きになれ!」という価値観に見事にひっくり返ってしまっていた。これまでの私は一体なんだったの?って騙された気分。
自己否定をベースとした昭和の風潮から、「自分を好きになれ!」だなんてナルシストじゃあるまいし、そこまで方向転換するなら、一体どうしてそうなったかというプロセスから説明してくれないと我らオバハンには理解できるわけがないと、私と同様、自己肯定感低めの同世代の友人と飲みながらグダグダ語り合ったこともあるくらい。(そのあと、中田あっちゃんの自己肯定感を高めるテーマのYouTube動画をシェアしたっけ。笑)
そんなモヤモヤの中、去年の末くらいにオススメで流れてきたYouTube動画(アベマニュースか何かだったかな)の内容が妙に腑に落ちた。それによると
「自己肯定感」というのは元々日本で生まれた概念ではなく、アメリカの研究者が使っていた「Self-esteem」という心理学用語を、日本のある大学教授が「自己肯定感」と訳したことをきっかけに広まったとのこと。
この「esteem」、直訳すると「尊厳、尊重」という意味らしく、そもそもそれを「肯定」とするのが日本人の感覚にしっくりきてるかというと、ちょっとどうだろう?というのがアベマコメンテーター談だった。
なるほど!「自己肯定感」を否定するつもりはないけど、ぬぐいきれない違和感はそこだったかもと納得。「自分を好きになって!」なんて急に言われたら「うっ」となるけど、「尊重して!」なら少しハードルは下がる。
「esteem」、はて何と訳せば昭和生まれの私にもしっくりくるかと勝手に考えてみた。広義に捉えて
「受容、認める、受け入れる」
という感じでゆる~く訳してしてみたらどうか。
「Self-esteem」=「自己受容感」(仮)
自分には色んな短所があって、完璧とは程遠いけど、全部含めて自分なんだし、バランス悪くても別にいいじゃん。
、、、という風に自分を認めて受け入れる。「肯定」よりはしっくりくる気がする。
だってにんげんだもの byみつを
そして自己肯定感を語る時、よく使われるのが
「人と比べない」
うーんわかるけどねー、わかるんだけど、この社会で生きる限り、なかなかハードな課題。突き抜けた才能を持ってる人なら別だけど、普通に生きていて他の誰かと自分を比べない人っています?比べることに意味がないってわかっちゃいるけど、どうしても比べちゃうのが人間の性。
そんな時、何かと便利なのが相田みつをさんの「だってにんげんだもの」。という魔法ワード。葛藤を伴う様々なシーンに、このワードを使えば折り合いをつけやすくなることが何かと多くて助かっている。例えば
「また誰かと比べてヘコんじゃった、、でもしょうがないよね、だってにんげんだもの。」
という調子で、語尾に魔法ワードを加えるだけで、ダメな自分を「しょうがないな」って受け入れやすくなる上、身近にいる人の行動でモヤっとすることがあっても、「だってにんげんだもの」で、心の器がぐんと広がり、無駄にイライラしなくて済んでいる。
「にんげん」はみんな未熟だから、磨き合って修行してるんだと思う。生きてる以上、誰もがその過程にあるから、今の自分をもどかしく思えたり、現状に焦ったり愕然としたり、怒りを感じたりするのは当然のこと。
だからどんな自分もいったん受け容れた上で、なるべく明るく、軽やかに生きようと心がけるのが、無駄に自己肯定感をすり減らすことなく、楽しく生きるコツなんじゃないかと思ってます。