書きたい思い
【鏡花水月】
鏡に映った花や水に映った月のように、目に見えていながら手に取ることが出来ないものの例え、知覚することはできるが現実に存在しない幻。
《私の中の帝王学 〜心〜陰陽五行の世界》
陰陽とは、表と裏、光と陰、男と女、太陽と月
物事にはいつもその両輪に陰と陽、マイナスとプラス、
相反するもの、または一対。
相対性という物事の捉え方がある、ということ。
五行とは、特に日本人の情報のない古来からの生活を支えてきた万象学。
八百万の神の国日本。万象学とは自然界のあらゆる事象に物事の本質、
として中国から伝来された時にとてもフィットしたようで、
それは四季に彩られる木火土金水、自然界の主な分類はこの5大要素に現れる
という分類学。
物事の“本質”と“根源”を見出し、
古い昔のもっと昔から超自然的な現象の中に人間もまた
生かされている存在だから
春夏秋冬が巡るただ生かされていた時代、
古来中国は長く続く不安定な戦国の時代、
生きづらい環境にいかに適応するかを
あらゆる国の帝王たちは求めて、
学者たちに天体を観測させたのです。
そして導き出された法則性は2500年経った今も揺るぐことのない
私たちを取り巻くエネルギーそのもの
まさに
“目に見えないもの”
自然の営み
私たち人間は、森羅万象の一部だから。
風を感じたり、花に心踊ったり
夏の太陽に心が浮かれてみたり、
秋の夕暮に哀愁を感じてみたり
冬の訪れに何か寂しさを感じていたり、
土用にはうなぎを食べたり?笑
するわけですよ。でも残念なことにこの学問は、明治維新以降、
世の中に出されることがなくなってしまいました。
西洋文化に大きく振ったのにも理由があるのです。
それはまた今度。
でもだから、迷信や占いではなくて、
聖徳太子の時代から日本の法律を定めてきた基準で、
そして私たち日本人の古き良き“心“や、海外で評価される美しさ、独特の文化は
これによるものだと、
この令和の時代だからこそもっとたくさんの人に知って欲しい。
陰陽五行は文献がたくさん研究されているエビデンスの取れた
文献学なのだそうです。
【陰陽暦】
2020年2月4日 立春
旧暦では昨日から新年。
今日は…戊寅の月で、戊寅の日。
私はお仕事に持つエネルギーが戊午で、
これから10年戊午のエネルギーが廻る、
という生まれ持ったバイオリズムがあるそうで、
この戊寅と戊午は、
ミラクルが起きてしまいかもしれない相性
なのだそう。
愛情で尽くす生き方をすると。という条件つき。
むむむ。
だから、私がその“生き方”を陰陽五行の学理を試行錯誤して
もし本当に何かが開花したら
この学問は本当
っていうことになるね、っていう本気で実験w
この日記はその記録。になるかな。と思って今日が吉日かな。。。とか思って。
【キッカケ】
ある時、お師匠様に伺いました。
『私が人生を通じて体験して来た事柄を世のお役に立たせたいと思っても、私の宿命だと抽出してもそれ以上、人に伝えられない、ってことですか?』
3年ほど学んでいて、師の教えを残すための学理収録会というものに参加させていただいていたときのこと。
収録はこの学問の1番最初に教わる内容から改めてスタートしたから、
全ての項目が復習と再認識の連続なんだけど、
ある項目で目に留まったことがフと、不安になって手をあげました。
先生(お師匠様を普段先生とお呼びしていて)は
『中原ちゃんはブログを書くといいよ』って教えてくださって。。。
私の取り柄は多分
素直なところ(自分で言うw)
だから始めました。
天中殺時間が明けるのを待って。
【帝王学】
かつて帝王はこの学問をもとに
”国家安泰たれ“と国を治めてきました。
中国の長い長い戦国の歴史の中で生まれた帝王〜人の上に立つもの〜
リーダーの在り方。
そしてその帝王の母たちは
”人々を幸せに導く帝王にふさわしい子になって“と
お腹を開けました。
そんな時代にお腹開いたら死んでしまうのに。
人々の幸せと国家の平和を祈って、女性たちは命を捧げたんだって。。。
それが、『帝王切開』の語源だと知って衝撃でした。
陰陽五行を用いた算命学が、その帝王切開の日を決める基準になったそうです。
私が中国哲学に出会ったのは2015年。頼りにするものを求めてたくさん本を読んだけど、当時孔子の思想は嫌いでした。
綺麗事にしか見えなかった。だから、老子に荀子に韓非子。
2012年に独立したものの、もともと人を信じないと言い切っていた私は、その在り方で、その“正しさ”で、相手の成果から降りて瞬間自分の理想通りにコントロールしようとする癖がどうしても抜けず、“何にそこまで執着するのか”。。。
認知行動療法を取り入れるも育成に何度も何度も失敗をして、
現実的に仕事に活かせると思って中国の思想にやり方ばかりを探していました。
帝王学の一つとして有名な“貞観政要”もその一つとしては読むものの
“帝王学”と聞くと『私は帝王じゃないからそんなの読むのがおこがましい』と思っていました。
。。。2016年6月に出店、その後、育成も経営も悪化。
寝る間もなく、儘ならないストレスに四六時中苛まれながら、通常1,5センチ程度の卵巣が4センチほどに腫れて経過観察4年目の夏、
定期検診に行く日に限ってサロンでトラブル。だいぶ遅れてやっと行けたら7センチに腫れあがり緊急手術だと言われました。
ところが私は卵巣どころではなくて、今私が休んだらこの店は潰れてしまう。この子達はきっと今私が立てなくなったら崩壊する。そう思い込んでいたのでそのことに忙しく、『先生、私仕事休めないんで1番早くて1ヶ月後ですね』って言ったら『破裂しても知りませんよ』って言われたけど、
『別に』って思ってた。“私なんかがお母さんになったら子供がかわいそう”
愛し方がわからなかったり、愛してるのに壊していく自分の生き方に直面して苦しんでいたから、一度結婚をしたこともあるけど、子供が欲しいと思ったことは一度もありませんでした。
なのに。
秋、卵巣嚢腫の手術の前日、
執刀医に全摘の可能性もあることを確認された時、
生まれて初めて子供を産むということに対して執着が湧きました。
それまで仕事しか生き甲斐を感じられず願望はありませんでした。
なのに、涙が頬を伝い『先生、取らないで、家族が欲しい』って
言った自分に自分で驚きました。
術後、麻酔が切れてきて驚いたのは全身の激痛でした。たかだかこの程度で、こんなに痛いのかと本当に驚きました。“武士すごっ。。。”そんなこと思いながらw一人で天井をボーと見ながら
『痛い』って意識の中で呟いたけど側に誰もいないこの一瞬が自分の人生の全てに思えて、身動きもできないのに涙が勝手に落ちました。多分あの時の感情に名前をつけるならきっと“絶望”って言うのかな。。。わからないけど。何一つ見えませんでした。身体が私のものであって私のものではないことを痛感しました。動かない脚、ガチガチになった肩と首は激痛でちっとも動かせないし、顔は何かテープで止められてる。全身麻酔だから挿管してあって何一つ自由にならない。もっと重症なご病気の方々はどうしてるんだろう、お父さん、、、もっときつかったんだろうな。。。。。意識と肉体。。。手放したらきっととてもラクになるんだろうな。。。なんて思ってたら看護師さんがきて『あら目が覚めちゃったのね』って言われて顔も見えないけどすごくホッとしたのを覚えています。また麻酔を入れてくれてすぐに閉じていきました。そのまま目覚めなくてもいいのにって瞬間思いながら、こんなに痛いのにまだ生きなきゃいけないんだなって思いながら。
帝王切開の話を聞いたのはその1ヶ月後。
術後の経過が悪くて高熱が続いて1ヶ月仕事できなくて焦って、座薬も効かないし病院でもどうしようもなくて、
現場に立たないとお店も潰れるしこれ以上赤字出せない、、、必死で積み重ねてきたものが壊れていく、お客様も離れていってしまうって思い詰めて、誰もいない自宅に一人で寝込んでいても憂鬱に襲われて気が狂うかと思いました。
”誰も助けてくれない、泣いても叫んでも誰もどうにもしてくれないんだ“
って食いしばって、バスの車内でよろめいて転んでしまうほど痩せ細った足で立って。
必死でサロンに向かって、1日に施術できるのは一人が限界だったとしても
それでも立って施術して。”信じられるのは自分だけ“と本気で思っていた時でした。本当は多分、誰かに支えて欲しかった。でもそんなこと認めたら
崩れ落ちてしまうから、何も見ずに、ただ前だけ見ていた頃。
ある男性のお客様に『帝王切開ってご存知ですか?』
そのお客様は名のある企業で役職にお付きの方で
とても信頼できる身の上の方だったから
帝王切開の話もだけど、
『僕のお師匠様に会ってみて』といわれたので、手術からもうすぐ2ヶ月経つかという頃、素直に説明会というものに行ったのでした。
まだ回復してなくて、精神的なものからか出血しながら、右下腹部が痛くて脚を少し引きずって。今思うと、ただただ心から手放しに信じられるものが欲しかったんだと思います。
そしてそこに現れたのは、とっても不思議な方でした。
200人くらいの参加者の前に登壇なされたその方は、
どこか捉えどころのない、それでいて力強く、
時々お茶目なジョークを突然言ってみたりw
そのお話の中身はとても神秘的なようでいて科学的で、理論的で、
何か深く、そして温かいエネルギーで私たちを包んでしまう。
そんな不思議な方でした。
“あ、この人。。。”
って思ったけど、自分でもそれが何なのか今もわかりません。でもすごく直感的なことだったから言葉にするととても安っぽくて、一瞬で消えてしまう。そんな感情。そして、
“もう一度だけ頑張ってみよう”
精根尽きたように人生を諦めかけていた時、そう思って
自分を奮い立たせた決断でした。
それから丸3年。
光陰矢の如し
本当にあっという間
なのに私の激しい人生の中のどの3年間より
最も濃く熱く豊かで
愛する人たちとの出会いと別れをたくさんたくさん体験して
始まりの日のことがもう何年も前のような感覚。
だけど、全て溢すことなく昨日のことのように思い出される鮮烈な記憶。
それが幻か現実かは私にしかわからない。
だって、私が体験してきたことだから。
私にとっては“真実”。
だけど現実に起きた出来事と、そのものの捉え方の変化の連続でしかない
誰かにとっては別世界のお話。
【最近思うこと】
人はそんな“現実”と“真実”と“幻”の狭間を行ったり来たりしながら
ただ与えられた命を全うするものなのだろう、と最近思う。
“浮き世”っていうけど、そうやって漂ってなんとなく
どんなに必死に生きた過去も、どんなに愛した人たちも
二度と手に触ることができない
儚いもの。
もののあわれ
いとおしき
【書きたい思い】
私がこれを書き始めたのは、目には見えても物質として残すことが出来ない、大切な〜心〜を残しておきたかったから。
誰かが見てるとか、誰かのためにとか、そういうことではなくて、いつまでも忘れたくないなあって思うんです、最近。
こんなことは初めてで、一瞬一瞬が刺激で、
大切な日々と、心と、私の大切な人たちとの沢山の体験が、
“本当に在った”
ということを、私がいつかおばあちゃんになった時のために残しておきたかったから。
これは“日記”みたいなもので。
過去のことも今のことも、未来のことも
書きたい時に書きたいことを書く
好き勝手に書きたい
ちょっと覗いてみたい方だけ、どうぞw
大切な人たちとの出会い
大切な人たちとの記憶
大切なことたちの気づき
大切な“思い”と共に生きる人生
私は、“帝王学” に出会って、
もっと正確に言うと
“帝王学”を地で生きようとする熱い人たちに出会って、
人生が豊かになった。
景色が色鮮やかになりました。
その中に、私にはもう一人有難い出会いがありました。ちょうど1年前に出会ったその方は、もし私が東洋思想に出会っていなかったら、もし帝王学を学んでも教わることを実践してなかったら、目の前の現実に直面して“生き方”を変えようとしていなかったら、、、そしてもしあの時あの場所へ行くと選択しなかったら。
永遠に出会うことはなかったであろう尊敬する方。
その方が私に言ってくださった『僕は中原さんのブログ、好きですけどね。』
この一言が、半年以上を経て胸に残って、今回この“記録”を始めることの後押しになりました。
2015年 11月 天変地異のように突然降ってきたいろんな出来事。
2016年 6月 西新宿サロンオープン
10月 卵巣嚢腫手術
11月 “帝王学”師との出会い
2017年 4月 心友の死。陰陽五行論塾開始
5月 独立後4年半を完了。現実を見る。
2018年 5月 “手放す”ということ。 自分との誓い、チャレンジを選択
6月 21年目脱退。試練。愛するということ。受容。
7月 キャリア支援Be-a-live開業
8月 国家資格キャリアコンサルタント資格取得目指し通学。両立
11月 女性就業支援THERESIAオープン グランマルシェ開催
2019年 2月 国試合格
2019年5月 夢実現プロジェクト始動
6月 夢プロ福岡拠点開発
8月 夢プロ名古屋発足
8月 テレジア定例会開始
11月 総合美容ベルフルール7周年
12月 夢実現プロジェクトin名古屋夢マルシェオープン
2020年2月5日 “鏡花水月” 吉書。
身を剥がされるような思いをした日々もそれがなかったらきっと
“帝王学”なんて私には関係ないって素通りしてた。
2017年、心も体も限界になってもまだ握りしめて離さなかったものと向き合って、
2019年“流れに身を任せなさい”という言葉を授かった。
心から今、人生は瑞々しく、その彩は豊かだと思う。
2020年2月伝えたいことを伝えることを始める。
この3年間で
自分のことを好きになって
心から大好きと伝えられるようになって
愛する人たちを愛せるようになった
私の人生の記録がどなたかの何かのきっかけになれたらいいな
これまでの40年ちょっとと、これからの40年ちょっと?
を、誰かと一緒にチャレンジして生きていけたらいいな
“人生は自由に選択することができる”
そのことを自分の人生を通じて実験しよう。
“私にもできたからあなたにもできるよ”って
伝えながら生きていきたい。
目に見えて手に取れないものこそ
本当に大切で、
美しいと知って欲しい。
もし今世に使命があったとしても
私は大切なことを“伝えて”生きていきたい。
2020年2月5日
中原美知子
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