世の中で唯一変化しないもの、なんだと思う?
お師匠様が仰いました。
「世の中には、変化するものと変化しないものがある。」と。
【1年間、私が何をしていたかって?】
1年ぶり
本当に1年ぶりに書き始めることにした。
何から話そう、、
とてもたくさんの出来事とたくさんのご縁と
度重なる覚悟の連続で今に至る。
それを今日は振り返ってみようかな。。。
何度も書こうと思っても書けなくなってしまった。
自分自身の心の変化と現実の変化が目まぐるしく、
あまりにも目まぐるしく変化し続けるので、
何をどう伝えるのか整理もせず、
書かなきゃな〜と思うまま、
まるで山の天気のように変わっていくから
朝書き始めたことと、
その日の夕方にはもう全く違う自分になってしまっていて
ネタメモだけ増えてどれだけ
書き途中のままになっていることか(笑)
皆さんはこの1年で何か変わっただろうか。
世の中は、つい1年前は
「最近の若者はマスクなんかして顔も見せずに
挨拶もちゃんとできないのか」
なんて言ってたけど、今じゃ
「あの人、マスクしてないなんて人としてありえない!」
と怒る人すらいるような時代になってしまった。
これから半年先くらいには、
「あの人マスクしてるからワクチンまだだね多分」
なんていうようになるのだろうか。。。
すっかり、メディアでも大騒ぎしていた
”オフィス印鑑出勤”騒動も
Webでの承認で済むものと、
そうでないものの各社取り決めが進んで、
「誰かと同じ」であることより、
「今この問題をどうするか」
に慣れてきてくれてるように側から見て思う。
それでもまだまだ
”人と同じ”ことを
平等
だと思い自分以外のものへのチェックを怠らない人は
たくさんいらっしゃるように思う。
私は、あの2ヶ月の強制休業の間、
世の中が不安に満ち満ちていた
あの2020年4月16日から6月25日までの休業中
なんとも、人生で初めて
心の安らぎ
を得てしまったのでした。
生まれて初めてだった。あんな穏やかな日々。
誰にも縛られず、ルールもなく、
ただ、朝目が覚めて、窓を開けて、シャワーを浴びて、
私服を着て、空を眺め、太陽が元気だありがとう!と思って、
散歩に出かけ、西新宿の熊野神社で毎日のお参りをして、
スーパーに寄って、それからサロンに行く。
道すがら小鳥が肩を横切っては「おはよう」と話しかける、
マスクをしてるから他の人からはわからない。
なんて都合がいいんだろう。
風が通って、木が揺れて、
青い葉がさわさわとおしゃべりをしてくるみたいだった。
いつもなら10時にはもう施術のお客様がいらっしゃるから、
それまでの朝は時間と自分との戦い。だった。
【実際どんな生活してたか、過ぎたことだから言えるけど(笑)】
制服に着替え、床は顔が映るまで磨き、
お手洗いを隅々まで掃除して、
常に3分おきに時計を確認して、植木に水をやり、
今日のお客様の準備をしつつ
メールやラインをチェックして、返信をするのだって、
1分あったら2件返せる。
私にとっての朝の5分はおそらく世の中の
平均的な時間感覚の30分くらいになると思う。
例えば、歩いて移動して30分かかる時間を、
タクシーに乗って5分で済んでしかもその間に
業務連絡1件電話を済ませられる。
リップグロスとピアスだってタクシーの中で
電話しながらつければいい。
話した要点や日時を手帳に書くのは絶対に後回しにできないから、
手帳を書くならピアスとグロスは電車に乗ってからでもいいか、、、
手帳に書く時間もなければ
「悪いんだけど今メモができないから
LINEに日付と要点だけ入れててもらえますか?」
と頼める相手ならお願いして、
頼めなければ耳に携帯を挟んだままタクシーのお会計を
させていただきペコペコと頭を下げて運転手さんにお礼を言いつつ、
駅のお土産売店でスモールプレゼントを買いながら
会計を待つ間に手帳にメモをする、
というような時間の使い方が日常だった。
サロンで朝5分あったら、
お客様からのお化粧品のご注文のお礼の返信をして伝票を書いて、
在庫を出して佐川急便に集荷の手配の電話ができるのだ。
3分あったら在庫の不足をチェックして発注書をFAXできるのだ。
だから予定より早く来る人がいようものなら
実際には心から『オーマイガー!!』と思っていました
(ごめんなさい^^;)
完全予約制にしていても、
ご予約時間になってからの御来店のお願いをしていても、
何をしていても早くいらっしゃる方は、そこそこいらっしゃる。
そんな時は、
「5分でも早く会ってお話がしたいと
思ってくださるのだから有り難いことだ」
「たった5分でもお外で待てというのは失礼だから
いいじゃないかお入りいただきなさい」
と私の中の天使さんたちが私を諭すのです(笑)
そして、今目の前にやらなければならないことのしわ寄せや責任は自分が取ると決めて、手放す。
今目の前の出来事や物へ脳を集中させていたのを、
今玄関で靴を脱いでお履き替えくださってる方に
集中先を変えるのに一瞬物凄いエネルギーを使って(笑)
自分の”施術者モード”のチューニングをする。
ここで失敗するとお客様が心地良く迎えられたと
思っていただけないからとても重要なポイントだった。
そんな私の慌てふためき加減を見て、
お時間ぴったりになるようにお越しくださる方々もたくさんいらして、
そのようなお心遣いに本当にとても癒されたものだった。
どうあれこんなテンテコ舞いな私のところに
お越しくださっていた皆様の、
今もお顔が思い浮かぶけれど、
心から感謝しかないT^T
そしてお茶を入れる間に冷静にもう一度やりかけた仕事を、
今出来ない代わりにいつやるかも瞬時に手帳を見て、
必要なら先方に
「間に合わないので〇〇時までには必ずご連絡します」など、
取り急ぎのご連絡なら30秒で瞬時に切り替える。
カタをつけてから全身全霊でお客様に集中するのだ。
そうしないと、
お客様の身体の声をちゃんと聞いて、心を共にして、
痛みをお取りすることができないから、
お時間内にある程度のその方が求めるレベルまでの
成果を創ることができなくなるのです。
私自身の心と発するもののチューニングがとってもとっても大事。
そしてお客様一人終わると、
隙間なく次のお客様がチャイムを鳴らす。。。
これも、コロナが始まって2020年3月からは
合間を30分とってハイター消毒を床もテーブル椅子も、
ドアノブもハンガーも全部拭き取る。
でもきっちり30分なんて取れない、
実際には次の方がいらっしゃらないから
まだお帰りにならない。
なぜなら人には習慣というものがあって、
次の人が立て続けにくる=次の人がきたら帰る=まだ来ないから居てもいい
という憩いの場となっていたのです。
カラダは魂の器
私のところにいらっしゃる方のほとんどは、
お話しする時間も含めて、
ベルフルールを愛してくださっていました。
それがわかっているから、
自分の時間と仕事の量と質と、
心の設定に
かなりのセルフマネジメントが必要だった。
自分を律して、自分を鼓舞して、
自分の行き先を見失わず、否定的な感情は肯定的な感情に。
だから、素戔嗚にお参りいくのも毎朝神棚仏壇に手を合わせるのも、
空や小鳥に話しかけるのも、常に自分自身が
「有難う有難う有難う有難う」と有難うのエネルギーに満たすことで、
自分自身を肯定的に保っている必要があったからでした。
【今に至るまでの変化】
東洋思想に巡り合ったのはもう丸12年も前のことですが、
その頃の私は自分のエゴと向き合いながら、
愛しているのに自分の正しさを突きつけてしまう
コントロールできない自分自身に苦悩していて、
「利他」
という言葉を知って以来、
東洋思想に興味を持ち始めて、
守屋洋先生の中国古典をたくさん読むようになりました。
子供の頃から教育は武家の習いの残った祖母や
親族の中で育てられたので、
同じ歳の子供たちとは分かり合えることも少なく、
私が育てられた「正しさ」は同級生たちからは
鬱陶しいものだったようで、
今思っても、とても生きづらい日々だったと思う。
だいたい「徳を積め」とか小学生に言わないしw
「義が通らんぞ」とか叱らないしw
で、そんな環境で子供の頃から
菩提寺の御院家さんのお説法を聞いて育った私としては、
三つ子の魂で、まさかの31歳から目覚めていくという。。。
苦悩の最中に思ったのは「観音様になりたい。。。(TT)」
愛する人や大切にしている人たちが自分のせいでいなくなることに
心から悲しみと苦しみを味わいまくっていた頃に「
利他」なんて知ってしまったものだから
「観音様はただそこに佇んで、自分は何も欲さずに、
ただ人を慈しみ愛だけを伝えて生きている、私は観音様になりたい、こんなに愛しているのに、どうして私が大切にする人たちは愛せば愛するほど、居なくなってしまうのか」
と当時自己観察トレーニングをスタートして3年目、
トレーナーの先生に泣いて訴えたほどだった。
愛するほど、一所懸命に関わるほど、
大切なスタッフたちが私のもとを去っていく体験をしてたのでした。
トレーナーはけろっとして、笑って
「そーりゃあなた、人間だからね、無理よ」
と言ったのだけれど、それが本当に ガーン終わった。。。
という体験になるくらい現実を見るのが苦しかった。
その後2016年に開いた西新宿のサロンのコンセプトは
その観音様から発想したものだった。
森の奥の小さな泉。
絶え間なく湧き出でる命の水、
それは観音様の足元から湧き出す清らかな水で、
絶えることのない光と愛で、現実に疲れて森を彷徨う人たちが、
森の奥で見つけたその命の水を、
小鳥や鹿や兎と一緒に人も動物も分け隔てなく、
その水を啄ばむと、やがてみるみる元気になって、
また本来の地へと帰っていく。
目を閉じるとそんな絵が浮かんでくる、
だからあの場所にあのサロンを出したのでした。
当時の開店の葉書に「コンセプトは森の中の小さな泉」
と書いているのはこのことだった。
今も大切に、当時のスタッフたちと満面の笑みで
新緑の中で撮った写真を使ったこの葉書を額に入れて、
引き出しにしまってある。私の宝物の一つだ。
時系列はめちゃくちゃだけれど、
あの休業に入る前の私は、
2016年出店から、4年間でたくさんの出来事があって
(それはまたおいおい)
大好きだったマネジメントも育成も、
自己観察トレーニングも、
21年家族のように愛してきた人たちとのご縁も手放して、
たくさんの決意を繰り返して、
ベルフルールはスタッフたちの夢の基地だったけど、
その自分の未熟さから生んでいる現実もしっかりと受け入れて、
そして帝王学を実業家として現実に
大きな実績を持って生きていらっしゃり、
目の前の人を慈しみ尽くす姿を目の前で見せてくださる
師との出会いが大きな人生の転機となったのでした。
【覚悟したんだ、あの時】
「逃げるな!腹を括れ!」
2017年8月、
一番後ろの席で、
ドアの側で一番遠くから飛んできた師の声に
一瞬にして心を射抜かれてハッとして
そして次の瞬間
「逃げたいよ。。。」と怯んだ声で呟いた
自分の目から一筋涙がこぼれたことに驚いて
そしてその時に
「よし!!!もう一回!もう一回やろっ美知子!!」
と、自分の中で目が開いた感じがしたのでした。
しっかりと地に足つけてもう一度、何度でも、
もう失うものもない、十分傷ついてきた、
たくさん傷つけてもきたし、何ももう怖いものなんかない、
人にどう思われてもいい、
どうせ子供の頃から変人だったし(笑)
今更誰かと比べるよな人生でもない!!
すごく開き直って、すごく力が湧いて、
なんでもできる気がして、そして覚悟したのでした。
夢を実現するために、一度身軽になる。
つましい暮らしでいい、スタッフたちに給与を払って
施設を維持して仕入れを回して、
そのために住まいも手放して
床に寝てでも守り抜いたサロンは、
一人になってもやる。
スタッフたちと夢の実現のために出したけど、
そのスタッフたちは今はいないけど
それでもここは、
私のサロンだ。
自分が自分のために生きているんだと、
受け入れざるを得ない状況で初めて
「利他」と「誰かのためにやっていることで自己の満足を満たす」
ことの違いを知って
本当の意味で「責任をとる」と言うことを知った気がした。
誰かのためにと言っている間は、
自分の理想を満たそうとする自己満足だと思った。
私がやりたいからやっている。
全ての源は私自身。
それを社会で教育されたのは19歳からだったが、
本当にそのことにハッとしたのは、
この時までの様々な人生の体験があって、
そのタイミングに師との出会いがあって、
今この時にパーツが揃ったのだと思った。
それからは1日のうち16~17時間をサロンで過ごした。
来る日も来る日も。
プライベートサロンとして一人、
ただ目の前の方の痛みに寄り添うことをしながら、
そのいただくお代金を使わせていただき、
自分自身の夢の実現へと決意し乗り出した。
2018年国家資格なんてまさか自分の人生に
そんなものが入る隙間があるとは思わなかったけど、
なんてちょうどいい世間体だろうかと思った。
名札に過ぎないが美容サロンでマネジメントしてましたと
言うよりは広く聞く耳を持ってもらえるだろうと思って
国家資格キャリアコンサルタントを取得した。
この時すでに人生でカウンセリングと呼べるものを数えると
12,000件をすでに超えていた。
それは、受験の結果にしっかりと反映されて、
カウンセリング実施試験での明確な評価表は、
自分が身につけてきたことは大きな自信にもなった。
人は不思議なもので、やると決めるとできてしまう。
半年、学校にも行きながら一人でサロンも経営し
3人で回していた予約を一人で回す。
帝王学も受講する。
資格学費と塾費とサロン経費、
維持するだけの売り上げも生み出す必要があるし、
施術だから時間確保できないと仕事にならない、
受験勉強もする、サロンの後片付けは深夜になる。
お客様は全て自分と一対一、
逃げ道はないから誠実に向き合わなければ
おそらく去っていかれるだろう。
売り上げは直結して信頼と結びつく
スタッフたちに「売り上げはお客様からの投票」
と言い続けて育ててきたが
まさに今また自分自身に突きつけられる。
その上2018年11月から女性就業支援テレジアを
始めることにして新たにカウンセリングサロンとして
もう一部屋借りた。
11月サイトオープンに向けてたくさんの方を巻き込んで
力をお借りして立ち上げも同時に進めた。
「全部やる!!」
決めたんだ、全部やる。人生に違いを作りたい。
観音様にならなくていいしなれなくていい、ただ、夢を実現したい。
夢を実現する人たちをたくさん育みたい、というその夢を実現したい。
そのために今全部やる。やれることは全部やる。
それが正しいか正しくないかはやってみないとわからない。
人は言う、
「キャッシュポイントはどこ?」
「中原さんは稼ぐのが下手ですね笑」
「夢みたいなこと言ってないで」
「ビジネスになったらまた来て」
私は、お金儲けがしたいのではない、
豊かな暮らしもしたいけど、今やりたいのは、
夢を実現する人をこの日本にたくさん生み出すことがしたい
それだけでいい。今は。
「それじゃ飯が食えん」そんなことも言われた。
が、飯は食える。
上京した時も、離婚した時も、
全て手放すと決める直前も、
人生に3度、全財産が百円を切った(笑)
恥を忍んで仕事をした、死に物狂いで仕事をした。
若い頃は深夜までバイトもして、
離婚した後は米にピーマンとケチャップ入れて炊いて
何日もそれだけを食べた。
社員やスタッフに給与を払いながらサロンを維持するために、
手術して傷が開いても働いたし持ってるブランド品は全て売った。
仕事をくださいと頭も下げたし、
詫びたくない相手に詫びもした、
悔しくて虚しくて死んでしまいたいくらいのこともあったけど、
死んだ友人たちのことを思い出すと、
無駄には死ねなかったし、
彼らの笑顔を思い出すと頑張ることしかできなかった。
死んだ父に恥じるようなこと以外は全てやった。
そうやって、必死で生きてきたことに比べたら
キャッシュポイントがなんでしょう?
稼げないことが恥ずかしいですか?
そんなことより、私は、
本当に大切なことを伝えて生きていきたい。
でもそんな理想と現実は、また人が去り、
新しく来てはまた去っていく。
でも。やり続けているうちに、
今一緒に創ってくれる仲間ができたし、
去ったけれど、私の姿を見て戻ってきた人たちもいた。
最初に立ち上げる時に私に助言してくれた方が居なくなって、
女性に限る必要がなくなって、
私はただやりたいことだけやれればよくて、
そうしているうちに
夢実現プロジェクト
が動き始めた。
女性就業支援テレジアの立ち上げメンバー9名が
全員居なくなった瞬間に
本当にやりたいことが動き始めた。2019年3月。
そして2019年5月、
夢実現プロジェクトコミュニティー活動が始まったのでした。
2020年。コロナがやってきて、休業が始まって、
私は人生で初めて、
ゆったりとした時間を過ごしました。
【私に流れる穏やかな感情】
小鳥が囀り、誰と時間の約束をすることもなく、
社会全体が止まっていて
誰かの要求に一所懸命に応えることもない。
子供の頃は熱を出して一人で寝てる居間の時計の音だけ響いて、
泣こうが吐こうが誰も助けてくれないのが
人生の全てに思えて幼稚園の頃にはもう耐えがたいものだった。
寂しいという感情も封印してしまって大人になって、
人と生きるのがとても苦悩で、
愛し方も愛され方もわからなくて本当に大変だったけど
このコロナの休業の2ヶ月は、
自分と初めて一緒に過ごした時間でした。
愛することも愛されることも知って、
求められることに応えなくちゃと義務になっていく
自分のことも受け入れていて、そしてその上で、
自分の目の前に現れる方を事実愛している自分をちゃんと知っていて、
時間より早くいらっしゃる方も、夜中にメッセージが来る方も(笑)
愛してくださってるのね、って愛おしくなれる自分もいて、
その上で、忙しさに余裕がなくなっていく自分を、
責めるのではなく、そればダメよって
ちゃんと正していくこともできるようになって、
その上で神様が私に与えてくださった休養2ヶ月。だった。
毎日サロンに行って、休業のお葉書を書いて、
動画を撮ってみたり、チアできることを探してFB掲載してみたり、
無料で美容講座してみたり、
溜まっていた専門書を何時間も読んでみたり、
お師匠様おすすめの「火の鳥」「ブッタ」を読んでみたり♫
ある尊敬する方のおすすめの「坂の上の雲」を
オンデマンド契約してみてみたり。
休業で誰も来ないのにサロンがとても好きで、
心地よくて、この場所を愛していて、
そして一人一人のお客様へ5周年の葉書を書いて、
お客様一人ひとりのお顔が浮かんで
どの方とのエピソードも愛おしくて、サロンと同じくらい
愛してる
私がいました。
こんな思いの人たちが帝王学を学べる場所を作りたい。
その瞬間に思いついたのです。
オンラインで、スクールをやろう!
「人に関わる仕事の人のための 心の学校、仕事学校」
私に最初に帝王学を入れてくれたのは
あの厳しいおばあちゃん(笑)
おばあちゃんの戒名を取って「慈光院」にしよう!!
(おばあちゃん、慈光院釈尼翠蓮 さんなんです、
12歳からずっとおばあちゃんの戒名いいな、綺麗だな、
ずるいなと思ってたの。
なんでずるいと思ったかはめちゃくちゃ
厳しかったからだと思います(笑))
で、これまた人様を巻き込んで、企画は作って、
オンライン全面配信でコミュニティとセットにして、
オンラインとオフラインでって、
補助金申請まで通ってて、あとはやるだけ、
っていう時に、お師匠様に
「こんなことをさせていただきます」
とお許しをいただきに伺って、
とても喜んでくださり応援してくださっている
お姿を拝見してふと。。。
「先生、私、自分の食い扶持は自分でつくるので、
先生のところで一緒にお仕事をさせてください。」
と言ったのでした。
気がついたのです。
私がどんなに頑張っても所詮小さなことしか生み出せない。
本当に世の中のために命を賭すなら、
今すでにそれをなされていらっしゃるお師匠様の元で
どうせ自分の名を残したいわけでもなく、
自分が海の藻屑や宇宙の塵のようなどんなに小さな存在でも、
この大きな流れの小さな一雫でいい。
私がやりたいことをすでにしていらっしゃる
この方のなさりたいことの一つでも
たんぽぽの綿毛のように私がどこかに飛んでいって
そこで生きる人たちに、伝え広げていけばいい。
それはきっと私がやりたかった
人の輝きを育んで生きていきたい
その人生そのものじゃないか。
スーーーーっと。
何かが私から剥がれ落ちるような感じがして、
ごく自然に。とても心地よく、
たくさんの緊張が流されていくような体感でした。
そこから人生を大きく変える覚悟をしたのです。
この続きはまた今度。
お師匠様は仰います。
世の中に変化するものと変化しないものがある。
諸行無常
世の中は変転変化を繰り返す。
永久に続くものはない。
全ての事象は変化するのだ。
唯一変化しないことは
物事は変化する
という事実だけなのだ。
変化することを恐れるな。
変化し続けることの中にこそ豊かさと安定がある。
その物事の本質に早く気が付きなさい。
と。
辛丑年
甲午月
丙戌日
【鏡花水月】
鏡に映った花や水に映った月のように、目に見えていながら手に取ることが出来ないものの例え、知覚することはできるが現実に存在しない幻。
美知子
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