岩なれども母なり (小説)
母のいない私からすると、日本庭園の橋の手前にある、丸まった人のような花崗岩に、母というものが見えていた。この家を取り仕切る父の母、つまり、私の祖母に、服従を見せるような気弱さが、花崗岩の模様の震えに表れているとさえ思っていた。
私には、この花崗岩が、母に思えてならない。そんなことは、おおよそ、馬鹿げたことである。だが、私は、子供のころより、小川の流れる日本庭園で遊ぶとき、庭園はだだっ広いにもかかわらず、決まってこの花崗岩に立ち止まり、黙って岩の横に腰掛けながら、西の山に日が沈むのを見ていた。その岩の持つ微かな熱が、雪溶けのようにほろろと消えていくにつれて、私は訳もなく涙をはらはらと流していた。
すると祖母が縁側より「戻りなさい。風邪をまた引くから」と私を鋭く呼ぶので、私は岩の下に置いたおもちゃをかき集めながら、家のなかにしぶしぶと戻っていった。そういうとき、心が引っかかるのか、首が自然と花崗岩の方に向いて、二、三度、単なる岩に振り返ったりしていた。
それから、二十年の時が流れた。私は庭の花崗岩などまるで忘れていた。私は、医大を出て、地元の総合病院で解剖医をしていた。祖母は学費を工面してくれたこともあり、感謝の念も尽きることはなく、母の日に、祖母に赤いカーネーションの大きな花束を渡していた。そのたびに、祖母は、若い女に戻ったように、肉のついた頬を赤らめて豪快に笑っていた。
ある夏の夜、祖母が星を見て涼もうと沓脱石から降り、小川に沿って、庭園の広い闇に向かおうと橋に差し掛かったとき、たまたま手もとの懐中電灯の電池が切れたからか、あるいは、あたりに灯籠がなく暗かったからか、あるいは、ただ星空を見あげていたからなのか、あの丸みを帯びた花崗岩のゆいいつ尖った切っ先に足を引っかけてしまった。祖母の足腰は弱っていたのだろう。祖母は体勢を崩してしまい、それでもなお体勢を戻そうと足掻いたか、へんに足をもつれさせて、体が横向きにねじれていって、花崗岩に吸い込まれるように顔の側頭部を強打してしまった。花崗岩の上にうっすらと血溜まりができた。祖母は私の勤める病院で息を引き取った。
私は祖母の体を病理解剖したが、その悲しみはここに綴るに及ばない。だが、一点の不思議、つまり、祖母は、なぜ、あのとき、あの岩につまずいたのか、という不思議、なぜ岩に側頭部を直撃する転び方にいたったのか、という不思議、なぜ、祖母はあのとき死ぬことになったのか、という不思議、この不思議は、どんなに切れ味のよいメスをもってしても、解き明かしがたい不条理として、この虚ろな眼に迫るのだった。
祖母の死は、ただの事故にすぎない。祖母は、不運にも岩につまずいたのである。祖母は、無念かな、打ちどころが悪かったのである。たったそれだけにすぎないのである。私は四十九日の法要の場で、何度も自らをなだめつづけた。
だが、そんな、死を死としか捉えない、うすっぺらな分析ではだめなのである。私の悲しみはまったく清算されなかったのである。
それで、私は科学のすべてを敵に回して、祖母の死に深く切り込むために、このような判断を下さねばならなかった。
これは、みな、母の仕業ではなかったか、という判断を。
祖母に執拗に痛めつけられた母の怨念が、祖母をあの岩に吸い寄せたのではなかったか、という判断を。
あの血にぬれた花崗岩の、ほくそ笑むような模様の震えを見るがよいのだ。
あれは復讐を遂げた者にありがちな歓喜の震えとも思えない、恐怖のとりつくろいではあるまいか。
花崗岩に眠る母が、憎き祖母を一夜のうちに殺めた、それ以外に祖母の死はどうやって説明がつくだろうか。
私は産まれたころに亡くなった母をはげしく憎みはじめている。それで、その憎しみをもとづいて、あの花崗岩を金槌で打ち砕かんと、金槌を振り下ろそうとさえしていた。だが、あわや金槌が下りる直前、私は、幼少期のときの岩との記憶に引き戻されて、金槌は力の抜けた手からふわりと落ちていった。私は金属の跳ねる音を聴きながら、はらはらと泣き出している。私は母だけのいる庭に座り、母をかたく抱きしめながら、声を放って泣き喚いている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?