水と戦争 (小説)
ふたつの紙コップがたおれた。片方は右の机で、もう片方は左の机である。ふたつの水は、ふたつの机のあいだで波を合わせる。机の側面はなだらかな山であり、ふたつの机を合わせると砂時計のかたちである。だから、ふたつの水は砂時計のような溝に交じり合って吸い込まれていく。吸い込まれた水は机のうらに水の膜を拡げていき、あふれかえった水から糸が垂れていき、先端の水滴を切り離していく。水滴がゴムタイルの床に次々と落ちて、埃まみれの水たまりが、緩慢に、非情に、拡張している。机の上に目を戻すと、机一面、完膚なきまでに水に侵されており、机のふちから、水がチェルヴォノゴロツキーの滝のように滴り落ちている。
われわれは文学部有志で読書会をしていたのだが、ふたつの紙コップがたおれるとは夢にも思わず、手もとの本を握りしめて、全員で立ち上がっていた。水から一時退避したわけである。われわれはしばらく謎の沈黙に打たれたあと、「拭こう! とにかく拭こう!」と大多数が一致して、大ふきんだの紙ナプキンだのポケットティッシュだの、ありとあらゆる繊維を持ち寄って、水を吸い取っていったのである。しかし、私は、茫然自失の状態で、水のゆくすえを見ていた。ふたつの水は今年の二月二十四日のロシアによるウクライナ侵略と重なって見えた。それは、戦争の現実が分かっていない、青年の世迷言であって、ふたつの水がぶつかった程度で、戦争という言葉に飛躍させることは、無学の至りであるが、私はふたつの水が嘆き悲しむようにぶつかったことを見逃さなかった。ふたつの机のあいだの溝は、何という物悲しいシンボルだろう。一部の水は溝を落ちていき、両軍の兵士は次々と死んでいき、水は床にたまり、死体は地底にたまるばかりである。机のへりから落ちた水は、ウクライナの避難民だろうか。周りが寄ってたかって拭くことは、各国の対露制裁とウクライナ支援だろうか。私の頭はどうかしてしまったのか。しかし、この水の奥に戦争が透かし見える。われわれは平和な国でのうのうと生きているが、われわれは戦争とつながっている。われわらのうらがわに戦争があり、われわれのうちがわに戦争があった。われわれのおもてに戦争が生じないことを祈るが、この紙コップのように、唐突に倒れていくかもわからない。私はこうして熱中して水を見ていたが、周りのひとに肩を触れられた。
「どうしたの? 疲れてるの?」
私は目をぱちくりとして、問いかけた者を見つめた。周りはこの状況を何とかするために懸命に水を拭いていたのであるが、私は先の世迷言を考えていて、その場に呆然と立っていたカカシであった。顔から火の出る思いだった。
「ごめん、ぼっとしてたよ」
私は水を眺めて、水をひとくさり語ったまま、水に何もしなかった。読書会のメンバーは水と勇敢に闘ったが、私はこの場に立ち尽くしたきりだった。ああ! 水! 私は紙ナプキンを手に取って、目に涙さえ滲ませて、ふたつの机の溝に手をのばした。拭いていこうとするたびに、溝の下から勢いよく水滴が落ちていく。私は拝むような気持でゴムタイルの床に紙ナプキンをはりつける。私は水を拭いていく有象無象のひとりであるが、水に対する霊感を深めつづけていく。
読書会の帰り道、私はため息をついた。私の胸は水の惨劇でずぶ濡れであった。どうしようもない思いに駆られながら、雨の降る道を歩いていた。私は排水溝に落ちた日暮をみとめた。雨が日暮をうっていた。私は身を屈めて日暮を拾った。日暮を手にのせて山の中まで歩いていった。杉の根もとの土を掘って日暮を埋めた。そうして身を屈めたまま、指をかたくにぎり、私は何もできない、私には祈ることしかできない、たまらない思いで祈るしかない、この祈りに何の意味もないのに、日暮を埋めて祈ることが限界である、その情けなさと消えもいりたさ、醒めやらぬ霊感、それらに打たれるがまま、言葉を積み上げていくことしかできない。
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画像: キーウの橋から見た夜のドニエプル川(著者撮影)
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