58/1096 知ってる?「よかった探し」
吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。
3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で58日。
(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。
そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)
まただ!今日も、あれ?!何日目になった?!58のはずだな?と確認してしまった!だんだんと日数にこだわりがなくなってきている。どういう心理作用なのだろう・・とにかく続けることだけが目的となってきて、何日目なのかということは最後の日まで重要ではないような感覚になっている。
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今日はわたしの好きだった、ある昔のアニメについて書こうと思う。
覚えている方も多いと思うが、『愛少女ポリアンナ物語』という、フジテレビ系の『ハウス世界名作劇場』枠で1986年1月5日から同年12月28日の約1年間に渡って放映されたテレビアニメである。
原作はエレナ・ホグマン・ポーターの『少女パレアナ』(Pollyanna)および『パレアナの青春』(Pollyanna Grows Up)。参考: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
わたしの記憶ではもっと幼いころに観た気がしていたが、1986年というのは、わたしが小学校の5年生だった頃だ。
前年に大ブームとなった、大好きだった「小公女セーラ」が終わってしまってすごくがっかりしていたところで始まったアニメだった。
わたしは小公女セーラみたいには素晴らしくないのではないかと半信半疑で見始めて、すぐに夢中になった。小公女セーラの時と同じく、主人公のポリアンナのことが心配でたまらなく、嫌な人物が出てくるとやきもきして大変だった。
あらすじは大方忘れてしまったが、でも泣きながら見たのは確かだ。
このアニメでどうしても忘れることのできないのが、ポリアンナが、父からの遺言である「よかった探し」をすることだ・・!
これは、どんなに辛いことがあってもその状況において「よかったこと」を探すというもので、わたしは幼心にこれにものすごく心を打たれたのだ。
今そのことを思って感動する気持ちとは全然違って、わたしにもできる!というとてもポジティブな打たれ方をした。
一番よく覚えているのが、たった一人の家族で最愛のお父さんを亡くしたあとですら「よかったこと」を見つけ出すことのできたポリアンナが、事故によって歩けない身体となってしまい、その状況から「よかった探し」をしようとしても、どうしてもできなかったことだ。
あれを見たときに、もし自分が歩けなくなったら考えようとして、とてもリアルに考えられなかったのを覚えている。自分にはどんな感じがするか、本当にはわからないな・・と思った。そのことがとても、残念だった。
けれどそのあとから、外で遊んでいるときに、走る自分の足を感じていつもこのことを思い出すようになったのだ。
それから大人になってからも、ポリアンナのことをときどき思い出す。今日も、娘の勉強について話して夫と険悪になったあと、ポリアンナのことを思い出した。今までどうして毎日投稿に書かなかったのだろう??そう思うと不思議だけれど、これを今書いていて、それだけ自分に長いこと馴染んでいたから、特別話題にしようとすら思っていなかったのだと気が付いた。
わたしも今日はせっかくだから、またよかった探しをしてみようと思う。
わたしの人生で、悲しかったことや悔しかったことはたくさんあるけれど、例えば虐めに遭っていたこと、今思えばその頃があったから、わたしはひとりで自分の心を見つめることがとても得意になった。
ひとりぼっちで修学旅行を回って、寝る部屋での虐めに耐えかねて鼻血があふれ出てしまい、口からもたくさん血が出てきたのを見たときに、「身体が助けてくれた!」と思ったのを今も鮮明に覚えている。
あのおかげでさすがに先生の部屋に連れて行ってもらえて救われたのだけど、身体か、神さまか、仏さまか、何かが自分の味方をしてくれたと心の底から信じ、ありがたく思った。あの日に、自分には自分がついているんだ、、という気持ちの元ができたような、そんな気がするのだ。
「よかった探し」が難しいのは、実家がなくなってしまったことだ。今でも、大好きだった自分の部屋や、あの家でのいろんなことを思い出すと、涙も出せないほどに悲しい・・・
だけど、こんなにも悲しいということにはよかったことがあって、あの家がずっとあるものだと、いつになっても帰れば父と母にそろって会えるものだと当たり前のように思っていたころのことを、真に幸せだったと知ることができたこと・・・・あのおかげで、わたしはその時々の当り前を、当たり前だと思わなくなった。
それは自分にとってものすごく幸福なことだと思う・・だから、あんなに悲しいことがあって、やっぱりよかったのだ!!
どんなに大切でも、娘だって、前夫だって、夫だって、いつかは二度と会えなくなる。わたしだって、いつの日かわたし自身に会えなくなってしまう。わたしは自分の肩の形や肋骨の形、あとはあごの骨が好きだけれど、それとさよならする日が来るのだから、毎日毎日、今日も同じ形だ・・!と思うと嬉しい。もし順風満帆だったら、気が付かないでなんでも当たり前だと思って生きただろう・・・
それから難しいのは、二人目不妊に苦しんだこと。これの良かった点は何だろう。
わたしは赤ちゃんが好きだし、夫がとても子供を持ちたがっていたから、それも何とかして叶えてあげたかった。それに、どこか結婚した以上は子供が望まれて当然だと思っていたところがあった。
なかなか子宝に恵まれずに辛かった間、自分が女性として劣るような気がしていた。夫と関係が悪かったため、子供ができたらきっと夫も喜んで、夫婦仲も良くなるだろうという望みを持っていた。子は鎹(かすがい)というじゃないか!と・・
でも、、そのまま赤ちゃんができていたら、わたしはきっと、夫がどれだけ良い方に変わっても、子供がいるからだろう、自分もその子のお母さんだから大事にされているんだろう、、と、卑屈なままだったと思う。
そして、苦しまなかったら秘行にも出会えなかっただろう・・・
けれども、最大の「よかった」は、今のわたし自身、だ。わたしは何ということがなくても、本当に幸せだ・・人が羨むような人生ではないし、むしろ遠慮したいことばっかりだし(笑)、人生のほとんどがとても大変だけれど、もう無条件で自分というものを経験できてよかったと思うから、もうなんだっていいのだ!!
過去の何が違っても、今のわたしにはなれないのだから、やっぱり過去の全部はひとまとめに良かったことだと思う。本当は出来事ごとに切り取って良かったとか良くなかったということではなくて、本当に、ひとつ、なのだから。。(個人セッションでは、過去へのワーク(特に後悔に関して)があるので、ご希望の方はお伝え下さい!一緒にやりましょう(*^^*))
けれどもそれとはまた別に、ポリアンナの「よかった探し」、わたしは今も好きだ。ピンときた方は是非試して遊んでみてね。
よかった探しでなにか発見された方は、Facebookやtwitterなどできっとお知らせくだされ・・・泣いて喜びます(笑)
それでは今日はこんなところで・・また、明日!
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