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1076/1096【質問回答】自分の命より大切なものはある?

吾輩は怠け者である。しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で1076日。
※本題の前に、まずは怠け者が『毎日投稿』に挑戦するにあたっての日々の心境をレポートしています。点線以下が本日の話題です

1076日目。残20日。20日というとまだちょっと時間があるようにも思えるけれど、記事数で言うと20記事しか書けないというのがなんともソワソワ…!!

この毎日投稿の中に書いておきたいことがたくさんあるような気がするのに、実際はどの記事かと言われても思いつかない。宣言どおりに、書き溜めはしないでその日その日に書いて更新することを続けてきたので、毎日フレッシュに思いついたことを書くことが習慣になってしまった。

アドリブ力がついたのがとても嬉しい。そして、毎日投稿が終わった暁には、じっくりと書くことができるのも楽しみ!!

自分にとって比重の大きかった何かが終わるのって、こんなに怖くて喪失感もあるのに、胸の奥ではこんなにも楽しみでわくわくすることなのだ。

ぽっかり穴が空くのって、本当に悪くない。そこに何か知らなかったものが入ってきちゃうのだもの、こりゃあもう楽しみにするしかないでございましょう!わくわくは、必ず未知につながっている。

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本日はこちらのご質問に回答いたしますよ。

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わたしは自分の命をいくら守って生きたとしてもいつかは死ぬということを考えると、それを”最優先だ”と意識して生きることにあまり意味はないような気がします。それよりも、まずは自分や自分の周囲の人が喜びを持って生きられることが大切だと日々感じています。強いて言えば、わたしにとっては、自分の納得や喜びが、生きた時間の長さよりも大切だと言えます。

わたしたち人間にとって、喜びというのは人によりさまざまですよね。
今世で魂の成長のためにしたいことというのは人それぞれです。人の喜び、充足感、挑戦したいこと、耐えてみたいこと、抗ってみたいこと、叶えてみたいことはみんな違います。

だから、たとえば殉死についても、これを是とするか否とするかというのを、他者が勝手に決めることはできないのだと思うのです。

もしも誰かが他者を助けるために亡くなるという瀬戸際に「自分は病に倒れたのではなく、この命を使って他者の命を救うことができた。それはなんと素晴らしいことだろうか。わたしは自分に胸を張って、良い人生だったと言える」と感じたのだとしたら、どうでしょうか。これを他者が勝手に、可哀想だ、間違いだった、悲しい死だ、悲惨だ、否定するべきだ、と考えることはできるでしょうか。わたしはそうは思いません。

あるいは、殉死をした方の中には、「わたしはこれまで、”自分の命など大事にしなくていい、他者のために犠牲になることだけが美しいのだ”と考え、自己を犠牲にばかりしてきてしまったが、自分の命や喜びがなによりも大事だったのではないだろうか。そこに無念を感じないと言えば嘘になる…」という思いをちらと感じた、ということもあるかもしれません。

逆にもしかしたら「自分は年をとって弱って、今はもうベッドの上から動くことができない。今になって思えば、自分が生き延びることばかりを優先して何にもチャレンジしないで歳を重ねてしまったが、もっと違う生き方ができたのではないだろうか。誰かに感謝され、本当に喜んでもらえるのだとしたら、寿命を永らえるよりも嬉しいことがあったのかもしれない…」という思いを持って亡くなる人もいるのかもしれません。

またあるいは、「今自分は病で死のうとしている。こうして命の尽きるまで、本当にわが寿命を生ききった。よくやってきた。自分は命を全うしたんだ、本当に満足だ」と感じながら旅立つ人もいるのかもしれません。

これらについて、他者が勝手に善し悪しや優劣を決めるということは、根本的にできないし意味のないことなのだと思います。彼らにとっても、それからわれわれにとっても、その決めつけをすることが本当に必要なことなのでしょうか。

肉体を全うしてこの世から次のステージに進みゆく時の、まさに命を離れゆく者にしか感じることのできない荘厳で神聖な満足や懺悔や改心に対し、わたしたちが正解不正解を見いださなくてもよいのだとわたしは思います。

そしてまた、それぞれのその思いは、どれもその人の魂にとって完璧に必要なことなのですね。

ただ、生きる者にとって、たとえば戦争は悲しいことだし、戦死をする人を見るのは悲しいと認めることは大切なことだと思います。そのジャッジを亡くなった人に与える必要はありませんが、生きる者にとっては切実な思いだとわかっていたいですよね。

あなたが人生を愛して生きるのに、ご自分の命を何よりも大切だと考えるのも良いですし、この先どこかで、それを投げうってでも守りたいと思うものが現れても良いのだと思います。

それぞれの人が、その時々で、自分はどう感じるのか、自分にとって何が大切なのかを、自分に真っ直ぐに受け取ってあげられることが重要なのではないかと思いますよ。あなたが大事だと思うものを、大事にしてください。

さて、今日はここまで。

それではまた、明日ね。




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菅 美智恵 (壇珠-たんじゅ-)
毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)