1056/1096【質問回答】やると決めたことがやれない、手が動かない、腰が重い
吾輩は怠け者である。しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で1056日。
※本題の前に、まずは怠け者が『毎日投稿』に挑戦するにあたっての日々の心境をレポートしています。その下の点線以下が本日の話題です
1056日目。残るはあと40日。これまでこれを書いてきた日々の自分が、夢の中だったように思える。まとまった3年弱の時間ではなくて、バラバラのその日その日を、おなじ催眠の中で過ごしていたのだと感じられる。
本当はその日その日が、毎時間毎分毎秒の時間が切り離されて自由であるのに、さあ!!あなたは今日から三年間毎日ブログを書くのです!!という決意に乗っ取られ続け、それに突き動かされて書いてきた。本当はロールキャベツでもポトフーでも、なにに使ってもよかったキャベツを、ずっと馬鹿のひとつ覚えみたいに千切りにばかりしてきた、という感じ。
そう、決意とは催眠である。自分を催眠術にかけることである。わたしたちはなにかを決意すると、その通りに動いてしまう。その決意とは違う行動を取れなくなる。だから決めてもそのとおりにやれない、という人は、本当には決意していないと言える。自分を催眠にかけることに失敗しているのだ。
もっと言うと、思い込みとは催眠である。思い込みのない人はいないので、わたしたちはみな、それぞれに別の催眠にかかって生きていると言える。
大抵の人は、たとえば「ゴキブリは気持ちが悪い」という催眠にかかっているので、見るとすごい反応を起こす。
催眠にかかりやすい人というのは、想像力のある人。青い空と大自然、というフレーズを読んでもなんとなく青い色が少しだけ頭に出てくるような人もいれば、それを読んだだけで、無限に奥行きのある真っ青に吸い込まれそうな空と見惚れるような雄大な自然の景色が、ズバア!!っと心のパノラマに広がる人とがいる。言わずもがな、後者が催眠にかかりやすい人である。
たとえば、映画などを観てもあまり心酔できない人よりも、その世界観に一気にハマって夢中になれる人が催眠にかかりやすい。前者は決意が叶った世界を想像しにくく、決意による自己催眠にかかりにくい。後者は自分の決意に身も心も奪われやすく、その世界観を実現するパワーを出しやすい。
ある催眠術師が言うには、催眠にかかりやすい人には共通点があって、彼らはディズニーランドが好きなのだそうだ。ディズニーの世界観に入り込める人。なにかの世界観を遠巻きに見る人よりも、自らがその世界に入っていける人のほうが催眠にかかりやすいということだろう。当事者感がある人は自己催眠にもかかりやすく、自分の決意にも染まりやすいと言えると思う。
これって面白いことではないだろうか。ディズニー好きな人は、自分の決意で自分を突き動かして、思い描くビジョンに近づくということが得意…つまり夢を叶えるということがしやすいだなんて。うっとりしやすい人は、夢を叶えやすい。(ちなみにそういう女性の方がオーガズムに達しやすいです)
冷静でクールな賢い人は、その賢さでうまく進んでいける。でもそれだけが夢を叶える方法ではない。熱しやすくて染まりやすくてちょっとバカみたいに見える人が、すごいパワーで夢を叶えてしまうことはよくある。後者は自己催眠を武器にすればいい。
自己催眠にかかった亀は、冷めた兎を凌ぐほど強いことがある。わたしは今日までの自分を、自己催眠にかかった亀だったと思う。そうでなきゃ、書いてこられなかったのがよくわかる。この毎日投稿により、自分を催眠にかける感覚をハッキリと覚えてしまった。いいことを知ってしまったなあ!!
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毎日投稿がラストスパートというのもあって、ご質問をたくさん頂いております。質問箱を開いて約一年半なのですが、これまでの回答数が507件、未回答が68件あります。
残りが40日なので、すべてをブログに採用することはできないのですが、あとからまたできるかぎり質問箱上でご回答を差し上げたいと思います。お待たせしてしまってごめんね。
本日はこちらのご質問にご回答いたしますよ。
こういうことってありますよね。環境も揃っていて自分で決めたことなのに、手が動かない。こういうときは、主に以下のようなことが原因になっています。
①ひとつは、実力以上のことをしようとしている。自分で自分に強いプレッシャーを与えているということですね。
②もうひとつは、それをしたことによるメリットが薄い。その論文を書いて得られるメリットについて、自分の感情に強く訴えかけるほどのビジョンがないということです。
もちろん例外はありますけれども、この2つのどちらか、あるいは両方が理由になっていることはとても多いです。どちらか一方でも、両方だとしても、やらなきゃやらなきゃと思いはするけれども、情熱がついてこなくて手がつけられないものですよね。
①が強い場合、始めようとするととても気が散るうえに、どことなく緊張して現実逃避したくなり、作業に向かいたくない気持ちになってしまいます。②が強い場合は、とにかく面倒です。ひたすら後回しにしたい。
もしもこれらに当てはまっていると感じるのであれば、①であれば「今の自分のできることをすればいい」と考えてみること。きっとそこで感じられる抵抗は大きいのだと思いますが、そこで思い切り抵抗を感じることが「だったらプレッシャーに応えてやってやろうじゃねえか」という気持ちに火をつけることもあります。
しかしここで、「自分にできることをすればいい」とも思えず、プレッシャー自体もガソリンにできないと感じるときは、その論文を書くこと自体をもう一度見直してみるのが良いのです。本当にやりたいのか、そこを根本的に問われているときだということです。
②であれば、改めてメリットを洗い出して、それについてあれこれと思いを馳せてリアルに感じてみることが気持ちの変化につながります。
これも、もしも心に訴えかけるメリットがあまりないと感じた場合は、やはりあなたはあまり書きたいと思っていないのです。ここでそれを無理に自分にやらせようと思っても、どうにもこうにも気持ちが盛り上がりません。
その場合も、なぜその研究をしているのか、なぜ論文を書こうと決めたのか、その理由は本当に自分の「書きたい!書いて〇〇を得たい!書いたあとにこうなりたい!」という情熱によるものなのか、それを見直してみる良い機会だということです。
わたしたちには、自分の頭ではやりたい、やるべきだ、やったほうが役に立つ、得をする、認められる、と思っても、自分自身が言うことを聞かない事ってありますよね。なんと便利でありがたいセンサー機能でしょうか。そういうときは、自分の頭で良かれと思うことが、自分のハートの喜びとズレてしまっているときです。
そのあたりの根本的なところから見直してみると、とても良い発見や展開につながる機会だと思います。ぜひたった今の感覚を大切に、同時に長い目で見て人生を尊重して、自分という大切な人に取らせる行動を決めてあげてください。情熱と喜びをコンパスにして、進んでみてくださいね。さすればきっと、想定外でとても意外な、良きことがありますよ!
さて、今日はここまで。
それではまた、明日ね。