【質問回答】いくら言っても、子どもが片付けをしない!どう接すればいい?
海岸で若い二人が 恋をする物語
目を閉じて胸を開いて
ハダカで踊るジルバ
(サザンオールスターズ『チャコの海岸物語』より)
ああ、いい歌だ。そうだ、海岸にいるときは、それから恋をするときは、目を閉じて胸を開くのがいいんだ。人がなにかを思いっきり感じたいときは、目を閉じて、心をオープンにするのがいいんだよ。
と思い、私は陽の当たる窓のそばで、目を閉じて、心をゆるめるように、なんでもいいような、どうでもウエルカムというような、遠く遠くまで自分が広がって揺蕩うような感覚でゆったりしてみた。風が頬に当たる。髪を撫でていく。まばゆいばかり、珊瑚礁…星は何でも知っている…
そうしたらねえ、そのとき、強い香りに襲われたんだ…
どんな香りかって?それはね、近くの魚工場から漂ってきた、いわば磯の香り…つまりちょっと正直になると魚屋さんのにおい…遠慮なく言えば太陽のもとでしばらくさらされた魚の内臓のアロマがしてきたんだ…
でもその時は心がオープンだったからか、私はすぐさま、自分は混沌の中にいるのだと思った。
大丈夫だ。ここはカオスなんだ。海の美しいヴェネツィア。海には海洋生物がいる。だからね、いろいろいろいろあって、この場所にまで彼らの香りが届いたりもするのよ。それがネイチャーなのよ…
かの内臓臭はそのとき、美しいエメラルドグリーンのアドリア海の、単なる別の顔だと思われた。だからいいのさ。僕ァご機嫌だよ…
こうして、海のそばゆえの生臭瞑想により心の広~い状態になったところで、今日はこちらのご質問にお答えしますよ。
そういわれたら、そうだった!と自分で思ってしまうくらい、以前の私は片付けや掃除が自分の理想通りにできませんでした。とくに、なにかに夢中になっていると、つい後回しにしたり、サボっちゃったりするのです。
今になって思い出してみると、それはつい先日のことのようでもあり、同時にどこか前世のように遠いことのようでもあるのですが、今の私はすっかり、掃除や片付けや整理整頓が好きになってしまいました。
これについて、私自身がどうして片付けなどの優先順位が低かったのか、どうやってそこから抜けたのかということをここで話しても仕方がありませんね。人それぞれに、違った理由があるからです。
さて、質問者さまはお子さんに片付けができるように躾をしたいと考えておられるのだと思いますが、それはなぜでしょうか。これについて、改めて理由を考えてみたことがあるでしょうか。
自分に正直になって考えてみたときに、もしかすると、「子どもに片付けを教えられない、躾のできない親だと思われたくない」という感覚があるのかもしれない。
あるいは、「片付けはできて当たり前なんだから、できない人を見ていると、自分が不快だ」という感覚があるのかもしれない。
もしくは、「子どもというのは親の教育で変えられるものだから、子どもが片付けができないと、自分のせいということになる」という感覚があるのかもしれない。
もしもそうなのだとしたら、これはすべて自分のためということになります。そうであれば、とくになんの期待もせずに、そのことをそのまま正直にお子さんに打ち明けてみてください。
すると子どもというのは、それについて考えを巡らせたり、お母さんのためにと思ってなにか言葉をくれたり、場合によっては相談に乗ってくれたり、知恵を出したり、どうすれば一緒に前進できるのかを考えてくれます。
でもそうではなくて、「いや、私は本当に子どもの将来を考えて言っているんだ、自分のためではないのだ」と思ったのだとしたら、その場合はこの事を考えてみて。
あなたのお子さんは本当に、今お母さんから片付けをしろと言われなければ、できない人なのでしょうか。今それによって片付けができるようにならなければ、将来自分の散らかしたものを片付けることのない人になるのでしょうか。それは確定的だと言えますか。どうでしょう。
これは、お母さん自身が向かうべき問題です。あなたは、子どもさんを信じてあげることができるでしょうか。このときの”信じる”というのは、”この子は、将来片付けができるようになるだろう”と信じることではありません。
この子は、このままで大丈夫だ。この子は自分に必要なことをしているんだ。そして、不要なことはしていないんだ。片付けられる人になろうとなるまいと、どちらでもいいんだ。この人の人生は自分のものではないのだから。この人の課題はこの人のもので、それは自分の領域ではないから。この人は、この人の領域をいくらでも好きなようにすることができる。その自由をどこまでも謳歌することができる。この人が、どんな人で、どんな大人になりたいのか、それは私には決してわからないことだ。だから、それはこの人に任せればいい。この人はそれを、立派にやってのけるよ。
と、信じるのです。なかなか難しいことだと思うかもしれませんが、うん、本当にねぇ!良い親であろうとすることは、誰にとっても非常に難しいチャレンジですね。でも、それでいいのです。難しくなかったら嘘です。
質問者さまの問題がどこにあるのかというと、子どもさんを自分の思い通りにコントロールしようとしていることです。
まずは、自分の領域とお子さんの領域とをはっきりさせてみましょう。
片付けをするのか、しないのか。これは、子どもさんの領分なのです。お子さん自身の問題であって、お母さんの問題ではないんです。
そこに踏み込んでいってしまうと、お子さんもそれを「お母さんの問題なんだ」と思ってしまいます。お母さんの問題なので、当然放ったらかしになります。どれほど口酸っぱく言おうとも怒鳴ろうとも、テコでも動かなくなります。だって、お母さんの問題だから。
お母さんが、「私が言ってあげないとやらないんだわ」「私がなんとかしなきゃいけないんだわ」「これは親の責任なんだわ」と考えれば考えるほど、子どもにはその深層心理が伝わって、これは親の責任であり親の領分である、ということを受け入れてしまいます。なので、すっかりお母さん任せにして、本人がそこに介入しなくなってしまうというわけです。
ですから、自分で片付けられるようになってほしいと思うのであれば、まずはそのことを、子どもさんの領分として明け渡さなくてはなりません。自分で使ったものの片付け部署の責任者は、お子さん自身です。
片付けをしないことで、物が見つかりにくかったり、間違って捨てられてしまったりしても、お子さん自身に問題が降りかかるだけなのです。
逆に、片付けをすることで気分がスッキリしたり、生活がしやすくなったとしても、そのメリットもまた、お子さんのものです。
それらには干渉しないで、もしも手伝いを要請してきたならば一緒に協力するなどしてあげれば良いし、もしもお子さんが片付けをしていることでこちらの気分まで良くなることがあったならば、お子さんに感謝をすればいいですね。あくまでも、ご近所さんのように、家の中のことまでは口出ししないけれども、親しく親切にし合うような感覚で接してみるということです。
それから最後に、これまで口うるさく言ってきて、それでも片付けをしないことに変化がないのであれば、その方法は通用しないのだとわからなくてはなりません。
たとえば、鍵穴に鍵を挿して回そうとしてみても、回らなかったとする。すると、そのドアは、その鍵では開かないのがわかりますよね。
なのに、同じ鍵で何度も開けようとしてみるというのは、考えてみればクレイジーなことではないでしょうか。駄目なものは駄目なので、そこはバッサリと切り替えて考える必要があります。別の方法が思いつかないのであれば、試さないほうがまだマシです。だって、別の鍵が見つかるまでは、この鍵で試すね。って、これもクレイジーですもんね。
なので、この『口うるさく言ってみよう作戦』については、ハッキリと、通用しないのだと考えて、その時の感覚を感じてみてください。がっつりと、この方法ではどうにもならないんだと烙印を押して、その感じを体感してください。効果のない方法なんだ…無駄なんだ…と思いながらにして、「片付けなさい~」と言ってみる。あるいは、同じように思いながら、言うのをやめてみる。さまざまに試して感覚を味わってみてください。
身体ごと、『通用しないとわかっているモード』を味わってみるんですね。このようにしてやってみると、無駄なんだ…が身にしみるまで、さほど時間はかかりません。
そこから、子どもさんの領分であることにハッキリと自覚を持ってみる。
そして、上に書いたように、子どもを魂ごと、生命体として、自分とは別個の存在として、丸ごと信じてみる。
これを試してみることできっと、お母さん自身が、自分を信頼していなかったこと、自分の領分を他人に明け渡していたことが、よくよく感じられるはずです。これらに気づいて目が覚めていく過程は、素晴らしい体験ですよ。お母さんがそれに出会えるように、お子さんが協力して、片付けの問題を起こしてくれているんですね。
そんなふうに考えて、楽しみながらチャレンジしてみてね。
参考になるところがありますように。
それでは、またね!