【質問回答】子どもに不機嫌をぶつけて、自分のご機嫌をとらせてしまう。どうしたらいい?
今年の初夏のイタリアはどんより曇りと雨続き。若々しくやる気に満ちた新緑の葉たちが、オレたちのノリと空のノリとが、違いすぎるんだよなァ…と訴えております。
ぼんやりしていると空のノリに引っ張られそうな日々ですが、質問回答というこの無償の活動に、覇気をいただいています。ありがとう。
今日はこちらのご質問に回答いたしますよ。
5歳と3歳のお子さんを子育て中ということで、あなたにまず真っ先にお伝えしたいのは、お疲れさま、ご苦労さま、こんなにも大変な役割を担ってくださって、ありがとう。本当によくやっておられると思います。ということです。
私は、子育てというのは世界で最も大変な仕事だと思っています。喩えでもなければ、大げさに言っているのでもなく、文字通り世界で最も大変な仕事だと思っています。
こんなに大変なことは他にないのです。親の仕事というのは、人の命を預かっていて、そこに責任を問われる立場に立ち、自分の未熟な愛と、子どもから浴びせてもらう残酷なほどの無償の愛を交わしながら、食べ物と寝るところと着るものと衛生管理とをお世話して、子どもの社会への関わりを手伝い見守りながら自分も成長して、歩けもしなかった人間を、一人前の大人として自立させていくという任務です。
このお仕事を、親なら誰でもやっているんだからちゃんとできて当たり前のことだとか、あるいは楽しくてキラキラした喜びいっぱいのことなのだとか、そんなふうに思っている人がいるなら、私は、そんなものは綺麗事なのだと言いたい。人間の親になるというのは、そんな、生易しいことではないのです。
親業を本気でやるとなると、これは苦難の道です。子育てに必死で悪戦苦闘している人、子育てに苦悩している人、子育てを通して自身の一番の歪みと対決して子のために悩んでいる人こそが、良い親なのだと思います。だから、質問者さまのことを、私はとてもいいお母さんだと思いますよ。
さて、そこで、いただいたご質問にあった苦悩について考えてみましょう。
◯子どもをコントロールしてしまう
◯親から未熟な愛を受けて育った
◯子どもの愛に甘えて利用してしまう
◯子どもの前で不機嫌になってしまう
◯子どもに自分の機嫌を取らせてしまう
箇条書きにしてみるとこんな感じですね。
これをまとめてみると、
◯自分の未熟なところは親のせいであると感じている
◯怒りの感情のコントロールができない
となると思うのです。不機嫌をぶつけてしまうのは、怒りや甘えを受け入れてくれる存在として一番身近で使いやすいのがお子さんだというだけであって、他の人に対しても同じだと思います。
相手が大人だと単にやりにくくてやれないだけで、多少の不機嫌を見せたって嫌われないだろうと思える相手が現れれば、やっぱり同じようにしてしまうと思うんですね。
これを改善するのは、とても地道な取り組みだと思います。
地道だけれども、ものすごくやり甲斐があって、収穫も大きく、やってよかったと思えることです。
質問者様がこの性格をお持ちである原因として、親からの未熟な愛を受けて育ったことを挙げておられますが、たしかにそれは大元の原因になったのだろうと思います。そこにムカついていいし、そこを悔しく残念に思って、親を憎んでいいのです。
けれども、それを認めるのであれば、あなたの親御さんもまた、その親から未熟な愛を受けて育ったことが原因で、自分の子供に十分な愛を与えられなかったのだと考えられますよね。だから、ムカつくと同時に、本当にどうしようもないと考えて諦めるしかないことだと言えます。
私は、およそこの世には、これまでも今も、『完璧な子育て』というものをした人は、ひとりも存在しないと思います。だから、我々地球人の全員が、親から完璧に愛されて、完璧に育てられてなどいないと思うのです。
だから、あなたの親御さんがもれなくそうだとしても、まあ、それは純粋に親の愛を必要としていた小さな子どものあなたにとって、今思えばめちゃくちゃ悲しくて悔しくて、本当に憎き事実だけれども、でも、どうにもこうにもこればっかりは、しゃーーーーないと思うんです。
親の親にも罪があるし、その親にも罪があるし、ってことはその親にもその親にも…元凶を突き止めようとすると、我らが人類になる前の生物にまで恨みを向けるしかなくなってしまいますもんね。あの単細胞生物の野郎、おかげでアタシがこんなに苦労することになったじゃないのよ!!と思うしかなくなってしまいます。
だから我らは、親の未熟さにムカつくのも当然でありながら、かつ親が完璧な愛を向けられない人格であることは、つくづくどうしようもなかったのだと考えるしかないんですね。当然憎いが、仕方ない。
これをあなた自身に当てはめてみると、今自分が子どもに不機嫌をぶつけてコントロールしてしまうのは仕方ないけれども、では自分もまた、そのことで子どもから憎まれても当然だと考えなくてはなりません。それを思ったときに、親として、人として、自分と子どものために本当に自分を変化させてみたいと思ったら、やれることがひとつあります。
それは、自分で自分を大人にする、ということです。
自分が子どものまま大人になってしまった。それは親のせいだと考えてもよいですが、実は人は親の育て方だけで大人になれるわけではないのです。自分で自分を育てなくちゃならないんですね。これをするかしないかは自分次第なのです。私たちが、自分で自分を育てていくことができるなんて、これは嬉しいことですね。成長が実感できて楽しいチャレンジですし、希望になることではないでしょうか。
大人になるには、まずは、人間みんな完璧じゃないと知ること。みんなどこかが未熟で盲目で病気で、親からもらった愛情もどこか足りないし、自尊心も傷ついているのです。大抵の人は大したことなんかないし、どこかしら自己中心的なところも持ちあわせているのです。人間だものね。
他の人は自分よりも立派に見えるかもしれませんが、そんなものです。私ら地球人はそんなもんなので、そんなもんが子育てをするとなると、それはそれは一筋縄ではいかない厳しい修行なのだと知りましょう。すべての人にとって、子どもを愛し育てるのは超大変なことなのです。自分だけが未熟で自分だけが変なのではないか、他の人は自分よりもマシなのではないか…と感じてしまいがちですが、そんなに自分を特別視しないことです。
それから、大人になるには、全部親のせい、をやめること。自分の今の人格に、自分で責任を持ちましょう。あなたは、根っこに「子どもを尊重する」体感がないということでしたが、これは自分で自分を尊重していくことで、これから自分の中に育てていくことのできるものなんです。
そしてもうひとつ、大人になるには、怒りのコントロールを覚えること。それができれば、機嫌の悪さを表に出したくないときに、出さずにやり過ごせます。
では、どうすれば自分の機嫌の悪さを表に出さないようになれるのでしょうか。これがね、悲報と言ったら良いのか朗報と言ったら良いのか、どちらでもあると思うのですが、出さないと決めて、その場はグッと辛抱する。忍んで受け流す。これを練習するしかないのです。え~それしかないの~?と考えると悲報ですが、それならスポーツや筋トレと同じで、鍛えればいいってことじゃん。誰にでもやれるんだな。と考えれば朗報です。
怒りを表に出さないようにするには、スポーツの練習法がいくつもあるように、いろんなやり方があります。我慢すると言うよりは、流す方法を覚えるのです。子どもさんに不機嫌を見せてしまわないようにするためにできることを、いくつかお伝えします。
まずは、これに取り掛かるための、心構えを作ること。
それは、子どもさんの将来を思うことです。お子さんは、この先成長して、学校や職場などの社会に出て、他の人と関係を作り、精神的な成長を経て、何らかの方法で糧を得て、自立して、この世界で生きていかなくてはなりませんよね。生きて生きて、最後は死ななくてはならないんです。
その生涯において、親の不機嫌に対応した経験は、どのような影響をもたらすでしょうか。子どもは、親のことを肯定して育ちます。現に今子どもさんは、お母さんが頻繁に不機嫌になっても、そんなお母さんを肯定してくれているはずです。この経験により、相手が不機嫌であることを肯定する下地を持つことになるのです。そのような経験のある人は、相手が不機嫌なのは自分が悪いせいだと考えやすくなります。不機嫌な相手に怯えたり、怒りを感じたり、相手の機嫌を伺って生きるベースを持つということです。
これをあなたが、どれだけ、嫌だと思うか。どれだけ、させてなるものか!と考えるか。そこをよくよく見つめてみることで、お子さんに簡単に不機嫌な顔を見せないようにする、心構えができると思います。これは親のプライドです。
そこで、あとは工夫をしていきましょう。
たとえば、不機嫌になったときには、1分でもいいので一旦一人になる。このとき、できれば自分の機嫌が切り替わることをする。たとえば、音楽を聴く。Despacitoを、時代を、バッハのG線上のアリアかプレリュードを聴く。他にも、ガーッと腹筋をするとか。
このために、普段から自分の機嫌が良くなるトリガーを見つけておくのです。機嫌が良くなるものが見つからないときは、気分が切り替わるもの。どうしても笑っちゃう動画とか、感動で涙の出る動画を見つけておく。パンチするためのボールを持っておく。お気に入りのドラマの続きを見る。恨みノートに恨み言を書き連ねる。何が何でも、自分の機嫌を取ってやるのです。それを死守すると決めて、いっちょやってみましょう。なだめ、すかし、笑わせ、感動させ、抱きしめ、慰め、気をそらさせ、くすぐってまで笑顔にしてやるのです。
はじめのうちは、これがかなり、難しくて大変なことに感じられると思います。でも、慣れって恐ろしいもので、今の自分は不機嫌だ。一旦切り替えねば。と思った途端に、パッと切り替わりのプロセスに入ってしまうくらいに、早く、イージーになってきます。すごい人格者にならなくても、慣れるというだけでできるようになるのです。自転車の運転とか、包丁さばきのように、慣れると楽にできる。
慣れるまでの間、これをやっていると、いろんな気付きがあると思います。
ああ私はこれまで、自分の人格は親のせいなのだから、自分は悪くないと思っていたんだな。
こう育ってしまった以上は、もうどうしようもないと思っていたんだな。
親としての自覚が甘かったな。
自分に自信がないんだな。
自分は誰かに甘えたかったんだな。
誰かが愛して満たしてくれるのを待っていたんだな。
それを自分でやらなきゃならないなんて、悔しくて嫌だったんだな。
嫌な出来事を受け流す技術が、育っていなかったんだな…
そんな気付きとともに、自分が成長していくのが感じられるはずです。
かくいう私も、まだまだ未熟者で、道の途中です。一緒にがんばりましょう。なんで私が自分で頑張らなきゃいけないのかという気持ちにもなるでしょうけれどもね。悔しいよね。ごめんね。あなたのお母さんが完璧じゃなくて、あなたの先祖が完璧じゃなくて、十分に子どもを愛せなくてごめん。そのまた先祖のそのまた先祖が、不遇で愛を知らなくてごめん。それを生み出した自然界がクソでごめんね。神がイヤミな野郎でごめんね。でもそれでも、私たちはやったりましょう。
食べて、寝て、着て、洗って拭いて歩いて走って、働いて、生きて、生きて、この世を生き抜いて、身体がだめになり、いつかは死んでこの世を去らねばならぬお子さんのためにも、お母さんがどうか、自分を愛する一環でもあるこのチャレンジに、楽しみながらも本気で向かってみてください。
応援しています。
それでは、またね。