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622/1096 胸に刺さった名言たち
吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で622日。
(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)
622日目、今日ははじめに、ここしばらくの間にサポート費を送ってくださったお方への心からのお礼を!!ほんとうにほんとうにありがとうありがとう・・・大切に今後の活動に活かしたいと思います!!
最近わたしが関わっている活動は、それを通して自分の良さや力を発揮するというよりも、感覚的にはまるで充電器のようだ。ブログ執筆や個人セッション、オンラインサロンの他、絵を描いたり友達と接したり、仕事を企画したり。日本にイベントをしにいけないけれど、オンラインだけでもこれだけいろいろなことができる。
家にばかりいるとリラックスが過ぎてしまうのだけれど、ちょっとエキサイトしたり集中したりする機会があると、リラックス時のゆるみとバランスがとれて、なにかがチャージされたくらいイキイキハツラツとしてくる・・!
緩みすぎてしまうとわたしは覇気がなくなり、やる気もなくなり、悲観的にまでなってくる。そうするとたとえばブログを書くのすら大変になることがあるのだけれど、そういう日は逆に書くのにちょっとドキドキするようなことを書くと、バランスがとれて自分が戻ってくる。
ちょっと大変だったりちょっと怖いこと、難しそうだったり緊張したりすることへのチャレンジを適度に混ぜると、簡単で緩んで楽しくいられることばかりを重ねているよりも元気になる。楽ばかりをしていると、気分がどん詰まりになってきてしまうのがよくわかる。
人生は波乗りみたいに、いろいろな現実を乗りこなしていくものだと思うのが好きだ!楽ばかりするのは、波から逃げて沈んでいるのだと思う。いろいろな事が起こるけれど、波を変えようとか波に影響しようと言うよりは、波を乗りこなしていくのをカッコいいなあと思う。そう、ただカッコいいなあと思うだけなのだけど。
自分が鎮座していられるように、波自体が来ない海でありますようにと考えるとわたしは人生がとてもつらい。けれど、波が来たら乗りこなすぞと思っていると、なんだかこう、「トラブル・・?フッ・・それもまたいいさ(世負い目で微笑む)」という気がしてくるのだけれど、この感じが好きだ。厨二病のせいでなく!
どうして人生にはいろいろ起こるのだろう・・・と自分を責めそうになったり外側へ怒りが湧いたときなどに、どう考えたら良いのかわからなくなることがある。けれども、そうして方角がわからなくなった時に、「いや逆にこれに乗ろう、乗ってみよう、乗りこなしちゃおう、波を遊ぼう、楽しもう!偏りに気づいてバランスを取ってみよう!」と思うと何かがクルッと切り替わることがある。
そんな北極星があるって、なんかいいな。
残る474日、これをブログ執筆にも活かしていこう!
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わたしは10代後半のころに『名言集』なるものに出会い、以降それに夢中になってしまいました。世界の偉人の残した名言を集めて載せたものでした。
そこに紹介されているさまざまな名言に胸を打たれ、そのたびに思い切りそのことについて考えてしまい、ときには涙を流したり、自分はなんとダメなやつなのだろうと思って悶絶したりしました。それらの中には、いまだに覚えているほど心に刺さったものがいくつもあります。
今日はふと思いついたので、自分の心に残った名言をみなさんにご紹介してみようと思います。同じ名言がちょっと違った翻訳をされていたりすることもあるので、一字一句がみなさんのご存知のものと同じではないかも知れませんが、覚えている限りで書いてみたいと思います!
二人の囚人が鉄格子から外を眺めた。 一人は泥を見た。一人は星を見た。
『フレデリック・ラングブリッジ』(アイルランド)
(1849~1923)「不滅の詩」より。
なぜこれがいちばん先に出てきたのかわかりませんが、初めて見たときに思い切り胸を打たれた、決して忘れることのない言葉です。はじめて読んだときに、「ああ!!そうだ、同じ環境にあっても、そこから悪いところにばかり目を向けて嘆く人もいれば、良いところだけに目を向けて幸せを感じる人もいるのだ!!」と思い、そこに熱い思いがわいてきて拳を震わせるほどでした。
わたしはすぐに悪いことに目を向けてはいないだろうか?すぐに不平を、不満を、不安を、足りないものを探しては、自ら嘆いていないだろうか?と思うと、思い当たるフシがたくさんありました。
そのとき、これからは自分も星をみるひとになろう、世界を違った目で見よう!!と思うとそれだけで嬉しかった。宝石よりも価値のある叡智に触れた気がして感動しました。
そうしてわたしはいい大人になって、今は漫画にしか目を向けていません。で、でもそれが、星空のように美しいからいいでございましょう!!(笑)
良心に照らして少しもやましいところがなければ何を悩むことがあろうか。何を恐れることがあろうか。
『孔子』(中国)
(B.C.551-B.C.479)中国の哲学者で儒教の祖。
これはどこか別の記事でもご紹介したことがあるけれど、当時のわたしにとって、目が覚めるような思いがした言葉。
ほんとうに!!そのとおりじゃないか!!他になにか照らし合わせるべきものなどあるのだろうか!!自分はなにをごちゃごちゃ考えていたんだ!!大たわけ者め!!と思い、これも手のひらに爪の跡が残るほどに拳を握って震わせた言葉です。そのあと、わーわー泣いたのを覚えています。
良心に照らし合わせる・・このときに、大切にするべきものがなんなのかをいつも自分に問われます。そこには自分自身も含まれますが、かといってそれだけでは良心とは一致しません・・・・
周囲の人を大切にしたいという感覚でもあって、それを選んで良い気分になれるのはほかでもない自分なのだということをいつも覚えておきたいと思っています。昨日も良心に従って、貴重な『辛ラーメン』のつゆを母に分けてあげました。つゆの少ないラーメンは少し食べにくいのですが、もちろんおかげでついでに、自分も良いことをした気になれました。これでいいのですよね、孔子のアニキ・・・!!ww
簡単すぎる人生に、生きる価値などない。
『ソクラテス』(古代ギリシャ)
(~紀元前399年)
恥ずかしながら、当時のわたしがこれを初めて読んだときは、単に「うわソクラテスかっけええええええ」と思ってしまいました。でも、あとからあとからスルメのように、頭の中で噛めば噛むほどこの言葉の深さがわかってきました。
わたしの人生にもし、なんの苦難もなかったのなら。なんの問題も起こらず、なんの苦悩もなく。痛い思いもせず、貧しさや孤独の辛さを知らなかったのなら。お金もあり余るほどあって、どんな相手からも完璧に愛されていて、なにをしてもうまくいって、菩薩様のような人としか知り合うことがなく、この世の苦をなにも体験することがなかったのなら。すべてが手に入る、ただの極楽生活だったのなら。
葛藤も知らず、人の痛みがわかることもなく、なにかを乗り越えた喜びも知らず・・・考えれば考えるだに、虚しい人生だ・・・・恐ろしいことだ・・
「俺の人生にドラマをくれ!!」と、
「なにか苦難をくれ!!せっかく生まれたんだから天国にいても仕方がねえ!!」と、「そこからほら、あるじゃん。苦難を乗り越えた涙の感動とかさ。欲しいんだよ!!!」と思ってしまいます。
そして漫画やドラマの主人公を羨ましく思うことでしょう・・
いいよなお前は世紀末に生まれてさ。まず世界が荒廃してていいよな。そこで生涯に一片の悔いもない最強の男が宿敵でさ。
いいよなお前は身寄りのない寂しい男で、流れ着いた街でボクシングをやることになってさ。そこで自分に頑張れって言ってくれるおっさんが眼帯してて歯が抜けてていいよな。そんで最後に灰みたいに真っ白とかさ、かっこいいよな。
いいよなお前はしっぽがあってさ、あるとき金髪になってめちゃ強くなったり、ザーボンとかドドリアとかいう手下のいる白くて強えやつと戦う羽目になってさ。ドラマチックだよな。羨ましいぜ・・・・などなどと・・・
ならばわたしたちはどこかで、人生に苦難のあることを「それもまた幸福の素」と悟ることで解放されるのではないでしょうか。この言葉は、「楽しい人生には苦難がないわけじゃない、それは大きな誤解なのだな」とはじめて思ったキッカケとなったものでした。
心がすべてである。
あなたはあなたの考えたとおりになる。
『釈迦』(北インド)
わたしはこれを「名言」と言っていいのかわかりませんが、わたしにとってはこれほどにショックだった言葉はありません。
は、、、マジか、、、と思いました。
意味もわからず、よく飲み込めないし、よく咀嚼もできないのだけれど、とにかくヤバいと思ってしまいました。なんかヤバい。なにがヤバいのかわからないけどなんかヤバい。涙がドバドバ出てくるのはなぜだろう。
とにかく、なにひとつ言い訳のできないところに投げ込まれるやつだと思いました。まず、とてもじゃないが受け入れられない。拷問のように耐え難い。心がすべてなら、何もかも自分のせいだ。
なのに同時に、これ以上救われる言葉もない。だって、心がすべてなら、いかようにもできるっつーことでもあるじゃないか!!バンザーイ!!
いやしかしやはり耐え難い。でもこの上なく自由で嬉しい。ぬぬぬぬぬぬ、うぎゃあーー!!(狂
どうとも取れるし、どうすればいいのかわからなくなりました。生きるのが嫌に思え、希望しかないとも思えました。
お釈迦さま、この言葉はわたしが人生で最も心を打たれ、最も自分を自分の人生のために投げうってみたい」と思わせてくれたキッカケでございます。
おかげさまでその後も、この言葉を「どういうこっちゃ?!」と思うことによって、何度も自分の危機を客観視することができました。数千年の時空を超えて、お礼を申し上げます。ほんとうに、ありがとう。(なぜだか書きながら号泣)
というわけで今日は、わたしのお気に入りの名言のいち部をご紹介してみました。読んだお方が楽しんでくださいますように。
それではまた、明日ね!!
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