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1090/1096【質問回答】仕事もバリバリやりたいが男性とも仲良くなりたい…男性性と女性性のバランスをとるには?

吾輩は怠け者である。しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、己の夢を叶えようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で1090日。
※本題の前に、まずは怠け者が『毎日投稿』に挑戦するにあたっての日々の心境をレポートしています。点線以下が本日の話題です

1090日目。G線上のアリアを聴きながらこれを書いている。わたしがこの毎日投稿を書き始める前、4歳の娘を連れてイタリアに来て、なにもかもがうまくいっていなかったある日、YouTubeでこの曲を聴いてあまりの神々しさに泣き崩れたことがある。

わたしには少しの貯金もなく、イタリア語も話せず、仕事もなく、イタリア現地に頼れる友達もおらず、家族友人は遠く離れた祖国にいて、夫との仲は最悪で、身体にはあちこちに病気があって、寂しさと心細さと劣等感と自己嫌悪にまみれていたころだった。車の免許もなく、手に職もなく、資格もなく、周囲に嫌われないよう追い出されないようにとばかり考える苦しい毎日に耐え抜いていたころ。

あのときどうしてこの曲を聴こうと思ったのかはっきりとは覚えていないのだけれども、なにかで曲名を見かけたときに、聴いてみようと思った。開始数秒で心がブルブルと震えだし、同情でも媚でも諦めでも励ましでもなく、哀れみや慈しみを超えて、「神のほうを向く」という選択肢があったことを思い出させる旋律に胸のど真ん中を打たれた。

まるで自分の目の前にはいつも神がいたことを悟ったような、神聖な気持ちだった。あのとき、自分に天からの光が射しているみたいだった。強烈な浄化だった。

世界にはこんなにも素晴らしい音楽がある。人間とは、こんなにも素晴らしいものを創り出す存在なのだ…!!われら人間とは、なんと神々しく涙ぐましく清らかな存在だろう!!と思った。わたしはそんな世界にいるのだ。そしてこんなにすごいものを創りだす生物なのだ。それが信じがたい奇跡だと思った。

それなのに自分は、自分の世界の悲しい方にばかり目を向けていた。希望も優しさも愛も奇跡もそこら中にあるのに、自分はそれだけを見ていようとしていないのだと思った。自分があまりに愚かで心から情けなく、そして無性に嬉しかった。わたしはずっと天国にいたのだ…これからもそこにいられるのだ…大げさでなく、そんな風に思った。

これまでも、この曲が何度も毎日投稿を書くのを助けてくれた。今もこの曲を聴くと涙が出てくる。人間が超絶に素晴らしすぎて、そこにいつも感激する。バッハという人がこうして時空を超えて作曲で助けてくれたことが、すごすぎてどうしよう。これを読んでくださっているあなたよ、われらは素敵ですね。

素敵で、かわいくて、清らかで、美しくて、邪念を愛に昇華させる神の創り出したあなたに、さらなる幸がありますよう。

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本日はこちらのご質問にお答えしてみますよ。

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質問者さまは、自分の中の男性性と女性性というものが、どちらかだけが優先的に発揮されるものなのだと考えているのかもしれませんね。

けれども、男性性・女性性というのは、そういうものではないのです。男性にも男性性と女性性が、女性にも男性性と女性性がどちらもあって、それらは良い方に高まるときは一緒に高まり、沈む時は一緒に沈むものなのだと考えるとわかりやすいと思います。

だから、どちらかを優先したり、どちらかを選んだり、どちらかを抑えてバランスをとるというようなものではないのです。

趣味に燃えたり力を使うことをやったからと言って、男性性が高いというわけでもありません。その趣味をやってみたい!という好奇心をもったのが女性性の働きで、それを叶えてあげようとして実際に行動しているのが男性性であるということができます。

また、「異性と仲良くなりたい」という感覚が、女性性の働きというわけではないのです。また、女性性とはおしゃれや恋だけを感じる源というわけではありませんよ。

わたしたちが行動を起こすときというのは、「なにかをやってみたい、興味が湧いた、知ってみたい、味わってみたい、という思いつきや喜びの予感」と、「実際にそのために必要なものや情報を集めたり、計画を立てたり、行動に移してゴールに向かう」という働きかけの両方があってのことですよね。

それはその人の中の女性性と男性性の協力によって起こっていることです。単純化すると、女性性の方が思いつきを得て、男性性が形にする。という形で協力しあって望みを叶えているということができます。

ですから、現実的になにかしたいことがあって、自分の女性性もしくは男性性が常に邪魔をしていると感じているのであれば、それは大きな誤解です。原因は、自分の中の男性性と女性性の仲が悪く、協力しあえていないということなのです。

あなた自身がなにをどうしたいのかがハッキリと定まっていないから、協力のしようがない状態なのだと言うことができます。

もしも邪魔をしているものがあるとすれば、それはあなたの『「男性と仲良くなったりおしゃれを楽しむこと」と「仕事で認められてバリバリ働くこと」は”両立できないものだ”』という思い込みそのものだと思いますよ。

どうしたいのかを、制限を取っ払って感じてみてください。
自分の中の「本当はこうなったら嬉しい!」というのを、思い込みの邪魔を入れずに感じ取ってみること。ここが女性性の解放です。

そして、「わたしは仕事も楽しんで男性とも仲良くなりたい!」という望みがあるのであれば、それを叶えるために実際に動くのです。ここが男性性の解放というわけです。

自分の希望を我慢せずに花開かせる。
その自分の希望を汲み取って動いて叶えてあげる。

これはまさに、「アダム、わたしはこれが欲しいわ!」「いいともイブ、僕が叶えてあげよう!」という恋人同士のようですね。

そう、男性性と女性性は一緒に高まるものなのです。

女性性が「わたしはこれがほしいわ」といったときに男性性が「よしじゃあ俺がやってやろう」と動く。女性性はますます高まって「じゃあ次はこれ!」というと男性性が「どんと来いだ!」と動く。こうして高まっていきます。

これが、女性性が「わたしこれが味わいたいわ」といったときに男性性が「それはどうかと思う」といって動かない。女性性は元気をなくして、不信になって「じゃあこれを言ってもやってくれないわよね」となり、男性性が「俺を見くびってるんだな」となる。仲が悪くなり、協力ができなくなり、一緒に沈んでしまうものなのです。

この自分の中の女性性と男性性が、真に愛し合う恋人同士のように仲良くなると、自分の願いをまっすぐに叶えていけます。どちらかを抑えたりどちらかを選んだりしようとせずに、仲睦まじい協力を意識してみてください。

なのでわたしについても、女性性を凌ぐ「荒ぶる男性性」というものがあるわけではないのです。自分の「わたしはこれがしたいわ!」という女性性の思いつきは相当なわがままで、それを叶えるためにいっちょ腕まくりをする自分の男性性は優しくて頼りがいがあると思っています。

この三年毎日投稿も、わたしの単なるわがままな思いつきでした。イブ壇珠に「三年間毎日書き続けたらどうなるか見てみたいわ!」という思いが湧いたのです。それをアダム壇珠(なんかAV男優風の名前…)が一瞬は「いやいや俺三日坊主だし、無理だろ…大変すぎるよ」といって拒否しそうになってしまいました。けれども、男性性アダム壇珠がそんな弱気なことを言って願いを却下したら、女性性イブ壇珠が悲しみますよね。だから叶えてあげようと思って書き始めたというわけです。おかげで自分への信頼も増し、自分のわがままもさらに増しました。わたしの中のアダムとイブは仲良しです。

あなたは、なにがしたいのか。どうなりたいのか。それを無邪気に天真爛漫に、ふわふわ気楽に感じ取ってみて。全部叶うのだとしたら、いったいどうしたいのか。

それをどこかで無理だと決めつけて拒否しているから、現実もちぐはぐになって噛み合っていないだけなのだと思いますよ。男性性と女性性についての考え方を根本から見直してみてください。きっと良い切り替わりがあるはずです!遊びのように、楽しんでね❤

さて、今日はここまで。

それではまた、明日ね。


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菅 美智恵 (壇珠-たんじゅ-)
毎日無料で書いておりますが、お布施を送っていただくと本当に喜びます。愛と感謝の念を送りつけます。(笑)