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日米合同委員会廃止 日米地位協定改定を求める 

#日米合同委員会 #日米地位協定 #裁判権放棄


この議事録を秘密にすることで合意。だが国民には裁判権を獲得したと宣伝… これを属国と言わずに何と言うのでしょうか。


この植民地支配から脱却しなければ、この国に未来はないと、自分は思います。

戦後の日米間に横たわる軍事上の様々な密約を、無数のアメリカの機密解禁文書の中から独力で発掘し、広く日本社会に知らしめてきたのが、新原昭治氏。

基地権密約・裁判権放棄密約や、砂川裁判・最高裁判決へのマッカーサー駐日大使の不正な工作を証明する超重要文書など、その活動範囲は信じられないほど広く、まさに「密約研究の創始者」「密約研究の父」とまで言われる。


全ては根本は属国政治、この国の政治で新自由主義が横行するのも、米国に首根っこ押さえつけられているからです。


最新版、日米合同委員会組織図

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裁判権放棄迫る米国、屈服する日本政府vs国民世論

 在日米軍関係者の裁判権をめぐっては戦後、長いたたたいが続いてきました。

法の一般原則は、犯罪はそれが行われた国の司法で裁かれるというものです。

例外的に他国に駐留する軍隊の関係者については、一定の条件のもとで派遣国の裁判権を認める協定が結ばれてきました。

しかし米国は、米軍関係者をできるだけ他国の司法で裁かせないという姿勢をとってきました。

その立場から日本に裁判権放棄を迫る米国と屈服する日本政府、それに対する日本での犯罪は日本で裁けという国民世論のせめぎあい―これが裁判権をめぐる基本的構図となってきました。


●屈服しながら国民をあざむいた1953年の密約

 この問題の出発点が、1953年の裁判権放棄密約です。

旧安保条約の下で結ばれた1952年の日米行政協定では日本国内での米軍関係者の犯罪はすべて米国に裁判権がありました。

それではまるで植民地だという批判が日本国内で広がる下で翌五三年に同行政協定を改定して、「公務中」以外は日本に第一次裁判権があるとし、その後の日米地位協定に引き継がれました。


 米国は、表向きは改定に同意していましたが、非公式協議の中では、公務中以外でも特に重要な事件以外は第一次裁判権を放棄せよと日本に迫りました。政府は一定の抵抗を見せましたが、最終的には同年10月28日の日米合同委員会の部会で、法務省刑事局の津田総務課長が、「(米軍関係者の事件について)日本にとって著しく重要と考えられる事件以外については第一次裁判権を行使するつもりはないと述べることができる」と声明して署名し、この議事録を秘密にすることで合意したのです。国民には裁判権を獲得したと宣伝しつつ、裏では実質放棄する密約を交わしていた―許しがたい屈従ぶりです。


 この秘密議事録を国際問題研究者の新原昭治氏が米国立公文書館で2008年に発見しましたが、政府は存在を否定してきました。しかし、外務省は昨年8月末、米国のみに保存されていたとして秘密議事録の存在を認め、関係資料とともに公開しました。一方、公開前日に日米合同委員会を開き、「日本の一方的宣言であり、合意を一度も構成したことはなかった」と日米で確認したと発表しました。日米で口裏を合わせた形です。しかし、別表にある経緯をみれば、これが日米間の合意であることは明白です。米国は当初公開議事録での声明を求めましたが、日本側が秘密議事録を提案し、米国は「形式にこだわらず、実質を確保」したのです。


井上哲士 参院議員ブログより。

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