3.11から13年… 原発事故被害者相双の会会長の國分富夫さん その後の福島、その後の震災、その後の人生
2011.3.11から13年経ちました。#福島原発 #東日本大震災
震災以降「福島、いつかは行ってみたい」と思いながら、13年たちようやく行くことが出来ました。
震災前は仕事で来たことはありましたが、震災以降、仕事で来ることもなくなり、「震災、原発事故後の福島」をこの目で見なければ…
当時の状況、そして今…
福島県の人と話すことが出来ました。
原発事故被災者の生活再建を目的とした住民グループ「#原発事故被害者相双の会」の会長の國分富夫さんに色々とお話しを聞きました。
事故発生13年、福島第一の実情。
初日は南相馬市のお祭り「相馬野馬追」に参加しました。
新社会党岡﨑宏美委員長、岡﨑彩子・新社会党兵庫県本部副書記長、計7人が、初めて見る馬の迫力に圧倒され、そして相馬の人々の盛り上がりに圧倒された初日。
その後は國分さんからお話をお聞きしました。
小児甲状腺ガンの増加。甲状腺ガンは本来、100万人に1人〜3人だったが、原発事故以降、2015年で1843人に1人となり、チェルノブイリ原発事故の先例と比較しても、あまりにも多すぎる。
核のゴミを捨てる場所がなくなっているが、自治体は補助金欲しさに手を挙げる。
日本は原発にこだわりすぎて、再生可能エネルギーが出遅れている。
汚染土は黒いフレコンバッグに置き、そのまま放置されている。
原発作業員、廃炉作業員は被爆している。
などなど、、、
2日目は福島原発そばの浪江町に足を伸ばしました。
新社会党岡﨑委員長はこう自分に対して言っていました。
「とにかく現場に行って何かを感じてほしい」
震災遺構 浪江町立請戸小学校に足を運びました。
浪江町立請戸小学校は、海から1キロほどしか離れていないが、小学生たちは2階に上がり津波に流されることはなかったといいます。
その請戸小学校では、震災の状況がそのままになっていました。
立ち話や車の中での國分さんのご友人のお話や、その時の状況…
テレビからや人からの伝わる話ではなく、その時のリアルな話に言葉を失いました。
「東日本大震災・原子力災害伝承館」では、その日に参加していた中学生に対して、館の案内人の人が「原子力明るい未来のエネルギー」と子どもたちに対して掛け声をかけていました。
この期に及んで何を言ってるんだ。当時の大人の無責任さがこの悲劇を生んだ。
国策で推し進めたにも関わらず、何も責任を取らない政府。
大人が13年前に恐らく産まれたばかりの子どもたちに対していまだにこんな当時の無責任なキャッチフレーズを呼びかけ、復唱させる、「風化させたい大人、原子力の安全神話」にいまだに囚われた大人たち…
避難区域のため、ほとんど無人の駅の前に建てようとする大きな建物、事故後に工場を誘致して建っている新しい建物…
「綺麗な建物が立てば、そこに人がいようがいまいが、『復興した』という一番のアピールになる」「(交付金の)お金ほしさに福島に来て、その後にすぐ撤退する企業」…
事故後に福島を見てきた國分さんの説得力。
アピール、お金、そして無責任な大人や企業…
人々の未来や幸せを奪った原子力。
無責任に国策として推し進めた政府。
國分さんは「東電は多少責任は取っているが、国策として原発を推し進めた政府は全く責任を取っていない。国策として推し進めた政府がしっかり責任を取るべきだ」と強調していました。
自分もいつもそう思っていました。
国策として物事を推し進める割には、なにか失敗をしても全く責任は取らずに、なかったようなフリをして国策を推し進める政治。
大人が嘘をついているのに、子どもに「嘘をついてはダメだよ」なんて言えるわけがない。
無責任な大人、無責任な政治。
こんな政治を変えたいんです。
「自分が今やっているのは、未来の世代に責任を取りたいから」とも國分さんは仰っていました。
これからは相双の会はもちろんのこと、「ノーモア原発郊外市民連絡会、ALPS処理汚染水、国に対して原発事故の責任を求める」事を重要課題としてやっていきたい、と。
南相馬市で「横田のバラ園」とやられている横田さんからもお話しをお聞きしました。
原発事故が起き、埼玉へ避難し、たまにバスで居住困難地域のご自宅に帰り、避難先で2年ほどを過ごした。
以前は梨農家をやっていたが、原発事故後に除染は国がやったが、梨農家の除染をするというのは、木を切る事。
福島産の野菜は値下がりし、売れなくなり、事故前までは70件ほど近所に住まわれている方はいたが、現在戻られた方は15.6件。人との交流を取り戻す為に、バラ園を作った、と。
311で人生が大きく変わった人たち。
この旅でお話を聞けたのは國分さんと横田さんのお二人でしたが、当然ながらもっともっとこの震災、そして原発事故で人生が大きく変わった人がいる。
「地震は人の力では止められないが、原発は人の力で止められる」
なぜ、国策として推し進めたのにも関わらず、政治は無責任なことしか行わないのか。
そして、いまだに原発を推し進めるのか。
今年の正月にも大きな地震がありました。
最も被害の大きかった珠洲市では、過去に原発誘致の話があったが、住民運動により原発誘致を止めた。
原発、そして核。
「#全ての核はなくすべき」
綺麗事ではない、政治ならやれる。
大人の責任として、地球上から全ての核をなくす。
それが原爆被害国、そして原発事故のあった日本のやるべきこと。
人の人生、人の命ほど重いものはありません。
また必ず福島に行き、國分さんのお話をもっともっと聞きたい。
そして、次は國分さんから農業を教えてもらいたいです。
時間がいくらあっても足りなかった、福島への旅、色々なことを感じることの出来た、二泊三日の旅でした。