道具(ツール)を使うことが目的になってないか?
様々なクライアントのコンサルやセミナーを仕事上行っているが、良く私がアドバイスで言うのが
「道具は使いよう。道具に振り回されてはいけない」
「ツール、フレームワーク、スキーム... それを使うことが目的になってない?」
ということ。そして、
「新しい未知のモノコトの創造には、新しい定規が必要」
とも伝えている。
昨今、どんな業界でも流行っている道具(ツール)やフレームワークというのはあるもので、IT系でいうと、プロトタイプ開発のアジャイルがあったり、UXデザインだとペルソナ法やCSJ(カスタマージャーニーマップ)など言い出すとキリがない。UI と UX なら、figma が便利とかAI系プログラム言語なら Python ? Haskell ? いいだすとキリがないので止めておこう。
今の時代、検索すればオススメのツールやスキームはいくらでも出てくるし、動画セミナーやワークショップでいくらでも知ることはできる。
しかし、これらのツールやフレームワークはあくまでも「道具」であることを忘れてはいけない。
道具というのは、過去の様々な人の行動なり作業を効率化するため、問題解決のため、簡易化するために作られたものである。つまり、未知の、これから想像できない事象に対して、どこまで通用するかはわからない。
私は大手電機メーカーに勤めていたが、世界に先駆けて新規プロダクツの開発や先端技術を研究開発し、それらを世に出すことで新しいメディアやカルチャーを作ることがミッションだった。そんな「世界初」「業界初」「最先端」な世界においては、過去のツールやフレームワークの上で考えていると、他社と同じ道を辿ることになり、先行することは難しいし、そもそもの課題もレベルが違って解くことすらできない状態であった。
20年近く前、ラピッドプロトタイプの手法(アジャイル風)も後輩らと検証していたが、気がつくとそれはS社流に変わってしまっていた。
良いところはどんどん吸収し、やりにくいところや問題点は修正して新たなフレームワークなりにしていくのが日常茶飯事だったのを今でも覚えている。つまり、マインドセットとして
道具(ツール)や手法(スキーム)は自分たちで作ろう
というのが当たり前だったのだ。
「基本的に道具や定規は自分たちで創るぐらいの気持ちじゃないと他社も同じところたどり着くよ」これが入社当時から先輩らからインプットされ続けたマインドセットである。
別に私がいた会社が特別なのではなく、業界見渡せば恐らくどの会社も独自のやり方を築いているはずだ。例えば、ルーカスフィルムやディズニーの映画が独自の映像表現や撮影方法を編み出していることは有名だ。
もちろん、私は最先端なことをやるわけじゃないから〜、という人も多いだろう。基本手法も含め多くの道具を使いこなせることもスキルの1つではあるし、ある道具を究めることも大きな武器になる。今ある道具から新しいモノコトは生み出せない分けではない。
一方で、時にはその道具や手法を疑い、道具を自分流に作り直す勇気をもつことも重要であると言いたい。道具やフレームワークを使うことがなんとなく目的になってしまっている人がいて、使ったことに満足しきってしまわないようにという老婆心でもある...
「この手法では、こういうことしたらダメなんですよ」
頑なに手法を守ろうとする人が時々いる。それも大事だけど、なぜそれを守らないといけないのか、守らなかった時のメリットデメリットもあるのでは、と疑うことも時には、その手段や道具の本質を知るには重要である。
特に新しいこと、人と違うこと、最先端なこと、など目指すのであれば、鉄板的な基本も抑えつつも、過去の資産を壊すようなやりかたもあっていいと思う。
定規というのは、何かを客観的に数字として見るのに便利なものである。しかし、未知のモノに対して過去の定規をあてることは最初は良いとしても、新しい定規が必要になる。定規を使うことばかりに目を向けていると、核心に届かないことがある。
私は今後も「俺流定規」を創り続けようと思う。