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番外編:想定外はいつも隣…⑤

大晦日、先生に言われたことを何度も何度も反芻しながら、
2023年を迎えました。

母の体力を信じて、
先生が言われた家に戻れる可能性もあるとの言葉を信じて…。

元日、本当は病院へ行きたいと思っていましたが、
前日に、先生から様子を聞いたばかりだったので、
あまり変化もないだろうと自分に言い聞かせ、
1日中、家で過ごしました。
TVから聞こえてくる賑やかな声も
ただ頭の中を流れてゆくだけ…
何もやる気になれませんでした。

2023年1月2日
病院へ行きました。
普段とは違い、駐車場もガラガラ。
院内も、受付、待合、全て照明が切れているので
薄暗い中、母のいる病棟へ。
ナースステーションで、いつものように名前を告げると、
担当の看護師さんが様子を話してくれました。

寝たり起きたりされています。
腎臓の方は、尿が出るようになってきました。
今は、リハビリがあまり出来ていませんが、
休み明けには、またリハビリを開始する予定です。
今の状態としては、落ち着いていますよ。

そんなことを終始、笑顔で話してくれました。

良かった…。
彼女の笑顔で、私も笑顔になり、
お礼を言って帰宅しました。

1月3日。
この日は、よく電話がかかってくる日でした。
家電です。
毎年、お正月にかかってくる親戚やら知人やら…。
今回の母の入院を知らない方たちなので、
お一人お一人に説明をして、
励まされたり、慰められたり…。

そんな中、お一人、母の現状を聞き、
「そうですか…。それはもう難しいかもしれませんね」
と、言われる方がいて、びっくりしました。
えっ⁉
そんなこと、言う?
例え、そう思っても、それを、私に言う?
本当なら、その場で電話を切ってしまいたい気持ちでしたが、
そこは大人なので、グッとこらえました。

1月4日。
午後、病院を訪ねました。
今日から診察が始まっていたので、
いつもの病院に戻っていました。
いつも通り、ナースステーションに行き、
担当の看護師さんを待っていると、
明るい雰囲気の看護師さんがみえました。

今日は、車椅子に座ることが出来たこと。
排尿も排便もあるとのこと。
ただ、発語がなくて…。
今朝、検査をしたが、結果はまた後日とのこと。

車椅子に座れた?
そうなんだ!
発語なんて、どうでもいい!
ウチに戻ってくれば、いつか言葉がでるかもしれない!
いや、きっと出るに決まってる!

2日に訪ねた時よりも、更に気分よく帰宅しました。

帰宅後、さっそく、兄に電話をし、
心配してくれていたお友達にもLINEで知らせました。

母が戻ってきたら、どうしよう?
もう、以前のようにはいかないとわかっています。
寝たきりかもしれない。
食事も、食べさせてあげなくてはならないかもしれない。

構わない!

とにかく、戻ってきてくれたら、
私は、何でもしてあげよう!
ずっと、そばにいてあげよう!

いろいろなことを考えながら過ごしました。

1月5日。
午後、お墓参りに行きました。
大晦日に行ったのですが、
今日は、母を救ってくれたお礼を伝えたかったのです。

お花を新しいものに入れ替え、
お線香をつけ、青空のもと、清々しい気持ちでした。


夕方、携帯が鳴りました。
スマホの画面には、病院の名が…。
いつまで経っても、この状況には慣れません。
またまた心臓バクバクさせながら、電話に出ました。

担当医の先生でした。

先生は、検査の結果や、今の状態を話されました。

胆嚢の炎症の数値は、5分の1ほどになっていること。
腎臓の機能も少し、回復してきていること。
寝たり、起きたりを繰り返し、
時々、何か単語を発するが、意思の疎通はまだ出来ていない。

検査の結果も良くなっていると知り、ホッとしました。

ただ、ここまででした。

ここまででした。

この後の先生のお話を聞き、私の身体は震えました。
スマホを持っている指も震えていました。
口の中がカラカラに乾きました。

それでも、聞き逃してはいけないと、
右手にペンを持ち、先生が話されることをメモしていました。

先生が言われたこと…。

炎症の治療が終わったので、
本来ならば、ここから食事を始めてゆき、体力を戻すのだが、
脳梗塞で、嚥下能力が落ちていたところに、
1週間以上、治療のために絶食をしていたので、
さらに嚥下能力が落ち、ここで食事を摂ると、
肺炎を起こしてしまう。
そうなると、あとは、点滴で栄養を入れるしか方法になる。
母の場合、高齢なので、胃ろうはやらないとのこと。
点滴は2種類。
今、行っている点滴を続けるか、中心静脈栄養に切り替えるか…。

ふたつの点滴がどのように違うのかの説明を受けました。
自然なかたちに任せるのであれば、今のまま。
延命したいのであれば、中心静脈栄養の点滴にする。

突然、そんなことを言われても…。
決められません…。

胆嚢の炎症が治まってきたことや
腎臓の機能がよくなってきたことを考えると、
そんな…これで、お終いなんて考えたくない…。

先生は、中心静脈栄養を行えば、まだまだ延命はできるが、
それが逆に母にとってつらいことかも知れないと言われました。

では、今のままの点滴では、母はどれぐらい生きられるのか?
それは、母の体力次第で、何とも言えないが、
1ヶ月は持たないでしょうと…。

1ヶ月、
1ヶ月、
1ヶ月…。

つい数時間前まで、母が戻ってきたら、
どんな生活になるだろうと考えていたのに、
いきなり、母の命の期限を知らされ、
何をどう考えたらよいのかわからない…。

母には、まだ、生きていて欲しいと、
正直な気持ちを伝えました。
というか、それを伝えるのが、精一杯だった気がします。

先生は、私の気持ちを察してくださったのでしょう。
「一度、お母さんにお会いになりますか?」
「明日でも、病院に来ていただいたら、看護師に伝えておくので、
直接、お会いになって、今の状態を見ていただいた方が…」

電話を切り、深呼吸をしてから
兄に電話をしました。
兄も答えに迷っている様子でした。

中心静脈栄養にすることで、母が苦しむかもしれないと
先生は言われたけれど、
今の点滴のままで、自然に母の命が尽きるのを待つのは、
母を見放したことにはならないだろうか…?

ネットで検索すると、中心静脈栄養について
反対されている先生が多い…。

どうしたらいいんだろう?

母に会えるのは嬉しいけれど、
答えを出さなくてはならないのが辛い…。




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