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出口を探せ!
私がふたり(母にとっては別人物)いたり、
テレビの世界に入ってしまったり、
夢を引きづったり、
あれやこれやと母の行動と闘いながら、
私は私で、このままではいけないと考え、調べていました。
何をすれば、元の母に戻ってくれるか?
何故、退院して数ヶ月経つのに、戻らないのか?
といっても、素人ですので、ネット頼りです。
まずは、症状で検索し、母の状態を「せん妄」ということを知りました。
まったく聞いたことのない言葉でした。
しかし、ネットに書かれていることによれば、
入院などによって出現した「せん妄」は、
退院し、「元の生活」に戻ることで、自然に消滅するとのことでした。
戻りません。
退院して数ヶ月経過しても戻りません。
病院へ行くとしたら何科を受診したらよいのだろう?
私の住んでいる地域で、治療してくれるところはあるのだろうか?
色々調べていくうちに、市立大学病院のHPに「せん妄」を見つけました。
しかし、治療方法として、「入院治療」と書かれていました。
コロナで面会出来ない中、
入院したことよって「せん妄」になってしまったのに、
また入院というのは…。
何より母が納得するわけもなく…。
それでも、とりあえずは受診してみよう。
「藁にも縋る思い」…。
ひょっとしたら、何かヒントぐらいは得られるかもしれないと思った私は、
かかりつけ医に紹介状を書いてもらいました。
診察予約の日、病院へ行ってみると、「脳神経内科」での診察でした。
実は、1年ほど前、母は別のことで、その脳神経内科を受診しており、
当時のカルテなどが残っていました。
まずは、簡単な認知症テストを行い、
更にCT、MRIなどで検査を行いました。
2週間後、1年前の画像とあまり変化は見られないとのことで、
その日は更に詳しい認知症テストを約1時間ほどかけて行いました。
それは、専門の先生によるもので、
耳が遠い母に大きな声で質問をしている先生の声が、
待合にいる私にも聞こえていました。
帰宅後、どんなことを聞かれたのかを訊ねてみると、
意外にもすんなり答えてくれる母に対して、
「認知症ではないな」と確信しました。
さらに2週間後、検査結果を聞きに受診しました。
「年齢なりの認知機能の低下は認められるが、認知症とは言えない」と、
予想通りの結果を伝えられました。
その時の私の感想を正直に言えば、
「わかっとるわいっ!だから『せん妄』って言ってるじゃん!それをどうすれば良いかを聞いてるのに!」。
さらに医師から伝えられたことは、
「認知症を遅らせる薬はあるが、副作用もあり、特にお母さんは心臓疾患を持っておられるので、あまりお勧めはできませんし、必要もないと思います。」ということでした。
いやいや、違うし…。
欲する返答が得られないときのもどかしさに絶望していると、
「まあ、『せん妄』に関しては、しばらく様子を見てもらって、今、治療するとしたら、上手く睡眠が取れていないようなので、一度、睡眠外来を受診されてみてはいかがでしょう?」と、言われました。
睡眠外来…。
確かに母は、夜間に睡眠を取ることが全くできず、
睡眠薬を常用しており、朝方になって効き始める薬で、
昼間はほぼほぼウトウト…。
で、また夜は眠れないといった悪循環を繰り返していました。
睡眠を規則正しいものにすることで、
せん妄が良くなるのかどうかはわかりませんが、
この際、何でも試してみようと思っていたので、
迷わず受診することにしました。
同大学病院の睡眠外来は、耳鼻科にありました。
なんだか不思議な気がしましたが、
その日は予約を取り帰宅し、別日に受診しました。
耳鼻科の先生は、ベテランの女医さんでした。
とてもハキハキとした話し方をされ、
それでいて女性特有の細やかな気遣いをされる私好みの先生でした。
母も「感じの良い先生」と気に入っていました。
様々な質問を受けた結果、
睡眠を上手くとるために、
母の場合は、現在の睡眠薬を別の薬に変更することと、
補聴器を使用することが必要だとのことでした。
補聴器に関して言えば、確かに母は耳が遠く、
数年前に、片側だけですが、補聴器を作ったのですが、
結局、「鬱陶しい」という理由で使わなくなってしまいました。
先生の説明によると、
「耳の聞こえ」は、生活に刺激を与えるものでもあり、
母の場合は、その刺激が入ってこないために、
朝も夜も区別がなくただ時間が流れているだけの状態。
もちろん、よく言われているように日光を浴びることも重要だけど、
「耳の聞こえ」も生活のリズムを整えるために、
とても重要だとのことでした。
診察の最後に、先生が言われたこと。
「耳が聞こえないと、外からの刺激がないので、
自分の世界だけに閉じこもってしまいがちです。
更に通常、せん妄は退院し、日常生活に戻ることで治っていくのですが、
お母さんの場合、
今までの様に家事をしたりといった日常生活に戻れないとなると、
せん妄もなかなか戻せない状況です。
まずは、補聴器で耳からの刺激を入れることで、
生活のリズムを戻すことから始めてみてはどうでしょう?」
先生のその言葉は、見事に腑に落ちました。
ここのところ、一段と耳が遠くなっていた母は、
入院中、全てを遮断しました。
知らない人たちに囲まれ、
必要最低限の会話以外を聞くこともなく、
テレビも観れない(操作がわからない)。
唯一、見知った顔は、ガラス越しでの面会のみが許された私の顔であり、
唯一、出来る会話は、電話越しの私との会話のみ…。
どちらも長い1日のうちのほんの数分でした。
それ以外の時間、母は、ただぼんやり昔のことを思い出したり、
聞こえないテレビの映像を見つめ、
どんどん想像の世界へと入ってゆき、
いつしか作り上げた世界が、母の中の真実となってしまったのでしょう。
そして、自宅に戻ってからも、
支えがなければ立つことも出来なくなってしまったので、
当然、以前のような生活には戻れず、
1日中、椅子に座って過ごしていたために
「せん妄」から逃れることができなくなっていました。
そうに違いない!
そう思った私は、まずは補聴器を作りに行くことにしました。
幸い、数年前に作った片方の補聴器は、
調整してもらうことで使用可能でした。
できれば両耳装着した方が良いと先生に言われたので、
もう片側も作ってもらい、
数週間後には、普通の声の大きさで会話ができるようになりました。
処方してもらった睡眠薬(導入剤)も少しずつ効果がみられるようになり、数週間後には、薬の量も半分となり、
やがて、服用なしに眠れるようになってきました。
耳が聞こえるようになったことで、
母に気力が戻ってきたような気がしました。
今まで、何もやろうとしなかった母が、
「編み物でもしようかしら?今からなら夏物が編めるかな?」と言い出しました。
元々、母は、編み物とか手芸事が得意だったのです。
せっかちな私は、ネットで本を購入し、
「どれにする?」と促し、必要な材料を買い揃えました。
母は、私が購入した編み物の本を眺めながら、
新しく購入した糸で試し編みなどをしていました。
その姿は、数年前の母と何も変わりませんでした。
では、肝心の「せん妄」は…?
そちらの方は、相変わらずTVの世界に入ってしまうし、
夢から覚め切らず寝ぼけていたり…。
時々、怒号が飛び交うような喧嘩をする日もありましたが、
少しずつ改善されてきているような…。
光が見えてきたように思える日々でした。