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なぜ短歌を詠むのか

1/31は第67回短歌研究新人賞の締切日だった。

わたしも詠み手として、まずはチャレンジしてみるか…と半分ほど詠んだ時に、ふと思ってしまった。

締切3日前のポストだ。
いいから早く詠め、と言いたいところだが笑
こう思うのには自分の性格が関係していると思っている。

前の筆名(星乃咲月)で、過去に短歌研究新人賞に応募したことはあった。
2013年第56回 ・・・ 佳作(5首掲載)
2014年第57回 ・・・ 予選通過作(2首掲載)

なんともしょぼくて申し訳ない笑
2016年頃から色々あってほぼ短歌から離れてしまったので、今回応募するなら、本当に久しぶりであった。

しかしながら、わたしにとっての「歌壇」や「結社」は、なんとなく「気軽に近寄り難いイメージ」といった感覚が否めない。
それについては、わたしと短歌の出会いも関わってきて長くなるので、また別にお話することとする。

いずれにせよ、「わたしが短歌を詠むのは、新人賞を受賞したいからなのか?」と考えた時に、今のわたしは「なんか違うな」と思ったのだ。

万が一受賞すれば、それは嬉しいだろう。
みんなからおめでとうと言われ、著名な先生方からありがたい評をいただき、晴れ晴れとした気持ちになるだろう。
やっと歌壇の仲間入りをした、という気持ちにもなるかもしれない。
そこから新たな人の繋がり、新たな試みも生まれるかもしれない。

けれど、わたしが短歌を詠んで本当に得たいのはそういうものだったか。
わたしが今まで詠んできて嬉しいと思ったのは、どんな時であったか。

そう考えた時に、直近だとこれであった。

2023.11.3 うたの日『上』

このシマタクさんの言葉が何より嬉しかった。

わたしはわたしにしかできない表現で、切り口で、誰かを驚かせたり、誰かの胸に届くような歌を届けたい。
それができたら、わたしにとっては賞をとるレベルで「よっしゃーー!」と心の中でガッツポーズをするだろう。

でも世の中には、わたしなんててんで及ばない感性の持ち主がたくさんいるのもわかっている。
穂村弘、東直子、笹井宏之、木下龍也、井上法子、大森静佳…色々な素晴らしい歌人の方に出会うたび、「なんだこの飛び抜けたセンスは…もう無理…短歌やめよ…_| ̄|○」と思うこともしばしば笑

でもなんとなく続けているのは、どこかでまだ自分を信じていて。
まだ見ぬ歌でまだ見ぬ誰かときっと繋がりたいからだ。

それにぴったり合うツールがわたしにとっては「短歌」であり、新たなツールが生まれない限りは、わたしはまた自分の宇宙の中で言葉の海に溺れるのだ。

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