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せ 生と死
大切な家族の死に遭遇し、悲しみの淵から立ち直れない人や心の病におかされる人など、「死」は人間にとって大変大きなテーマです。極論を言えば、人は死ぬために生きている…と言っても過言ではありません。
私も10年ほど前に父を亡くし、デパートの「父の日」コーナーを見るにつけ、「そうか。もう今年はプレゼントを贈る相手がいないのかぁ…」と、涙が頬を伝わり感傷的になっていた一時期もありました。
その当時、僧侶をしていた友人に一冊の本をもらいました。映画にもなりアカデミー賞を受賞した「おくりびと」の原作者、青木新門氏の講演を一冊の本にまとめたものです。
その中でこんな文章を発見しました。
中国の道綽という方が書かれた文章だそうです。
「前に生まれん者は後を導き
後に生まれん者は前を訪え
連続無窮にして
願わくは休止せざらしめんと欲す
無辺の生死海を尽くさんがためのゆえなり」
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いのちは個人の所有物ではなく、「いのちのバトンタッチ」をしながら、親から子へ、そして孫へ、大きな愛をもって受け継いでいく、ということ。すなわち生と死は密接に結びついており、生も死も個人の所有概念から葬り去ると、新しい境地に達することが出来ると言った内容でした。
青木新門氏は実体験を元にこの「納棺夫日記」を執筆したそうですが、仕事を通じて人の死やそれに遭遇する家族を多く見聞きしてきたからこそ、死からみえる生のあり方について語れるのかもしれません。
コロナ以降、葬儀が益々略式化されて、「いのち」があっという間に葬りさられる昨今、生のあり方を見つめるのは非常に困難になってきたようにおもいます。