偏愛を活かして自分の仕事を作っていく
会社員を辞めてフリーランスになって8年。大変なこともありました。それでも精神的、経済的に続いたのは、深い欲求から生まれる偏愛を活かせたことが大きかったです。ということで「偏愛」という切り口で独立のプロセスを振り返ってみます。
会社員時代、仕事と自分の特性がフィットせず悶々とする日々を送っていました。抑圧されたエネルギーの放出先を求めて、何を思ったのか狂ったように人の横顔を撮りまくりました。それを知った友人の紹介でファッション雑誌の特集に掲載されることに。とりあえず行動することで何かが起こることを経験します。
今度はFacebookに写真を載せていきました。そのほとんどは女性が被写体のポートレイト。当時、カッチリした投稿が多い中で、そんな写真をアップしまくっているのは自分ぐらい。「とにかく女性の写真を撮っている」「どこで被写体と出会っているの?」という謎を含んだ認知が周りに生まれ始めていきました。自分と一緒にいる女性がコロコロ変わるのでご飯屋さんの店員から軽蔑の眼差しを向けられた時はとても辛かったです。
ある日、ついに家族写真撮影の依頼が来ます。どうしよう。「料金はいくらですか?」と聞かれ、「初めてなのでいくらもらっていいかわかりません。決めてもらっていいですか?」少し、大いにテンパりながら答えました。「わかりました、では1万円をお支払いさせてください」自分の偏愛が初めてお金に変わった瞬間でした。
引き受けた仕事を公開する。それを他の人が見る。偏愛エフェクトが少しずつ広がっていく。少しずつ自信もついてきて単価も上がる。その内「こういうこともできる?」と周辺の相談も生まれました。もし、これまでにやったことがなくても好奇心が働けばそのたびに学習して、偏愛を拡張します。
「ヌード写真を撮ってもらえませんか?」というレアな依頼も女性からいくつか来ました。お金を払ってヌードを見るならまだわかります。お金をもらってヌード撮影をする日が来るとは思ってもいません。最初は友人からの相談でした。その写真を見た人が依頼してきた、という流れです。
撮影中に涙を流す人、全身を使って踊る人、撮影は抑えていた感情を解放する場になって「自分は存在してよかった」と思える特別な体験になリました。
偏愛活動を続けていると、いろんなことが起き始めます。現代アート活動で海外に訪れたり、想定していない仕事が生まれたり、パートナーと出会ったり、たまに人に怒られたり。計画とは真逆な世界。今までと違う体験をしたい、これまでの枠を取っ払いたい人にはぜひ推したい活動です。
偏愛は「なんでそんなことをやってるの?」と思われる非合理で個人的なものです。続けているうちに偏愛エフェクトが発揮され始めます。「やるぞ!」と気合を入れるような類ではなく「ついやってしまう」ような活動がオススメです。自分は人の魅力的な瞬間(感情)を撮りたくてしょうがありませんでした。誘惑に弱いのかもしれません。
「自分にはそんな偏愛的なものはない」と思う方もいるかもしれません。たぶん、あります。いや、絶対あります。自分はヒトという生物の歪さ、多様性を信じています。社会で生きていく中で、矯正されていった、抑えられた偏愛の狂気的なエネルギーをうまく引き出して調整することで、私たちの仕事はもっと面白くなる。そんな人が増えればもっと日常が楽しい。
以上、偏愛の世界へのお誘いです。あなたの偏愛に出会えることを楽しみにしています。
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この恩はきっとゆるく返します