きみは特別
地球上に二人と同じ人間がいないことを思えば、明確にすべての人が特別な存在だ。
誰しもが息をしているだけで特別だし、息が止まってしまった人も、誰かの思い出の中では特別だろう。
「自分は特別じゃない」「特別じゃない自分には価値がない」と感じて苦しくなってしまうのは、自分が特別ではないという事実があるからではなく「他者から特別扱いしてもらえない」「他者と比べて優劣をつける」という「他者基準」で価値判断をしているからだ。
女性向けのマインド講座をされている方々が「周りから特別扱いしてもらえるようになる」という発信をされているのを時折目にする。その度に、「他者からの扱い」を基準にしていたら、特別扱いされた瞬間は良くても、そうではない瞬間に、自分に価値を感じられなくなってしまうことはないのかな?と少々モヤっとしていた。
特別扱いがあるということは、特別じゃない扱いを受ける人もおり、その人たちを見下せば、いざ自分が特別じゃない扱いを受けたときに、自分が見下した対象に成り下がってしまう。
他者からの扱い=自分の価値ならば、強制収容所に入られられた人たちは皆、おしなべて価値がなかったのだろうか。そんなはずはないし、そんな考えを受け入れてはいけない。
たとえ他者から虐げられ人間としての尊厳を踏み躙られても、頭の中は常に自由。自分だけが自分の価値を見失わずにいることができる、とフランクル博士は教えてくれる。
わたしは、周りからどんな扱いをされようと、自分は特別で価値があると信じられる方がいい。
誰の目から見てもわかりやすく"特別"な男の子たち。史上初となるアジア発の世界的ポップスターで、これまでにない能動性を持つ強力なファンダムを築き、人種的偏見やマチズモにも一石を投じるエポックメイカー。
LAでの授賞式に向かう車中、ルイヴィトンのスーツに身を包んだ彼は言う。「僕たちはセレブリティじゃありませんよ。ただのキムナムジュンとただのパクジミンなだけです。」と。
彼らは、地球上でほんの一握りの人だけがされる「特別扱い」を受けているだろう。会ったこともない世界中の人から熱烈に愛され、プライベートジェットから降り立てばキャーキャー大騒ぎになり、ハリウッドの授賞式に招待され、レストランでは常にいちばんいい席に通されるだろうし、高価なブランド品が山のように提供される。
しかし、彼らは他者からの扱いによって自分を見失うことがない。見失いそうになることもあるだろうけど、必死に耐えてくれている。そのことに、わたしは感動せずにいられない。
世界には彼らを特別扱いしチヤホヤする人々がいる反面、人種差別したり誹謗中傷したりする人も大勢いる。他者からの扱いに一喜一憂していては、彼らの命がいくつあっても足りないのかもしれない。
特別であることと特別扱いされることは別。
パクジミンはパクジミンだし、わたしはわたし。同じように特別で、誰からどんな扱いを受けようと、それによって価値が変わることなんてない。
息子が小学2年生のとき、アメリカの学校の先生からクラス全員に配られたお手紙と小物たち。生徒から保護者宛ての体で書いてある。未だにとっておいてある宝物。
わたしたちは生まれたときからみんなスター。誰とも違って、みんな特別。
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