カフェをとりまく人々#1 ヒガシさんと豆茶香
2006〜2022年、私はカフェオーナー兼、料理人だった。
毎日仕込みをして、注文をとり、せっせと料理やデザートを作った。
店をきれいに保ち、人を雇い、話し、笑い、たまに泣いたり怒ったりしながら、一生懸命に働いた。
カフェが好きで、やろうと思ったきっかけのひとつが「人が好き」だからだ。
家でもなく職場でもなく、その人が、自分として休憩する場所。
いろんな人生が垣間見える場所。
そこで出会った、興味深く愛すべき人々のことを、少しずつ思い出しながら綴っていこうと思う。
#1 ヒガシさん
ヒガシさんと出会ったのは2005年頃だと思う(あらやだもう20年近く前)。
カフェ開業を目指して準備していた私に、知人が「カフェオーナーさん紹介するわ」と連れて行ってくれた。
それは、同じ市内で、国道から見えるログハウスのような建物だった。
中はとても狭く、どこもかしこも木でできていた。
アジア雑貨がほどよく飾られ、狭いけれど居心地の良い店内、
温かい家庭料理のような、でもとびきりおいしいランチ。
小鉢に入ったお惣菜まで全部手作りで、のちにそれはヒガシさんのお母様が拵えたものだと知る。
で、当のヒガシさんは、色白で目鼻立ちのくっきりした、私より少しだけ歳上の女性だった。
私はそのコックピットのような小さなキッチンで、皿洗いを手伝わせてもらった記憶がある。
カフェを開業することへのあれこれを、惜しみなくアドバイスしてくれたと思う。
その後、ヒガシさんやその友達と、女性自営業者で悩みや目標を共有する「電卓の会」を発足。
県外のパン屋さんや、古民家の旅館など、自営業の成功例を一緒に見に行きつつ、遠足のように楽しんだ。
2008年、ヒガシさんの経営するカフェは、隣の市の古民家へ移ることになった。
自分たちの手で改装し、広くなったお店は、より一層、人気のカフェになった。
私のカフェも、地元のリピーターに恵まれ、繁盛していた。
私たちの休日はだいたい月曜日。月曜祝日があると、火曜に休んだりした。
ヒガシさんに会うと「週末、どうだった?」「すごかった、カフェタイムも並んでた」
「金曜日、めちゃくちゃ暇じゃない?」「そうなんよ、静かすぎる」
お客さんの流れは、よく似ている。
そういう話を共有できるのが嬉しかった。
ヒガシさんの言葉で忘れられないのは
「好きな仕事だからって好きにできるわけじゃない」
そう、思うようにいかないことも、山ほどあった。
2016年末、ヒガシさんのお父さんが病気で亡くなった。
私は6ヶ月になる長女を母に預けてお通夜に参列したので、覚えている。
電卓会の仲間がいて、ホッとした。
お父さんは、ヒガシさんのお店のテーブルやベンチを、日曜大工で作ってくれた人だ。
ヒガシさんのお店は、いつも家族に支えられていた。
ヒガシさんのお店は、惜しまれながら2021年に閉店した。
今は、別の仕事をしながら、広島の北に古民家を借りて、たまにカフェをしている。
私はカフェをやっている間、いつも「カフェオーナーって、仕事というより、生き方だ」と思っていた。
簡単にやめられるもんじゃない、そういうふうに生きたかったんだもの。
だから、今もカフェオーナーを生きているヒガシさんのこと、めちゃくちゃわかるよ。
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