国会議事堂の崩壊、不思議な夢
「お前は悪くない」
その日本国内閣総理大臣は、夢から目覚める寸前、そう言われた。
髭もじゃの真っ黒な大男がいて、夢の中でそう言っていた。
何の事かよく分からない。別に自分は悪くない。そんなの当たり前の話だ。
だが真夜中に、目が覚めてしまった。ふと、スマホが震えていた。誰だ?
「……総理。お休み中、申し訳ございません。緊急事態です」
秘書官だった。総理大臣は頭を切り替えた。
「どうした?何が起きた?」
「……テレビをご覧頂けますか?」
総理大臣は寝室のテレビを点けた。特にチャンネルを決めて見た訳ではないが、どのチャンネルも燃え上がる国会議事堂と、市ヶ谷駐屯地、米軍横田基地を映していた。
「何だ?これは?攻撃を受けたのか?」
総理大臣は、スマホを持ったまま、チャンネルを回した。国会議事堂の崩壊を報じている。
「……ええ、ミサイル攻撃のようです。国会議事堂がやられました。あと迎撃に入った市ヶ谷駐屯地と米軍横田基地もやられました。被害は確認中です」
「君、これはどこの手の者だ?」
「……確認中です。ですが報道に寄ると、東京湾からミサイルが飛来したと」
秘書官がそう言うと、総理大臣は驚いた。
「東京湾だと?どこの国だ?」
「……それは分かりません。ネット中、ミサイル発射動画が出回っています」
総理大臣は舌打ちした。またネットか。いつも先を越して来る。情報統制できない。
「君、これは工作の線も疑えないか?」
あまりに出来過ぎている。しかし一体誰がこんな事をやったのか?
「……ええ、それも含めて情報を集めているところです。至急……」
「ああ、分かった。官房長官は起きているかね?」
不眠症の彼の事だ。起きているに違いない。
「……はい、すでにマスコミ向けの報道準備に入っております」
総理大臣は時計を見た。深夜3時だ。よくやる。第一報は彼に任せよう。
「とりあえず、私も向かう。対策室を立ち上げるぞ」
「……関係閣僚を非常招集しますか?」
「ここで呼ばないでいつ呼ぶのかね?」
通話口の向こう側で、その秘書官は躊躇っていた。
「……第二波攻撃があるかもしれません。官邸に集まるのは危険かもしれません」
「地下司令室があっただろ。あそこなら安全だろう」
総理大臣は何を言っているのかと思った。戦争じゃあるまいし。
「……バンカーバスター(地中貫通弾)には脆弱です」
そんなものが来る訳がない。それでは戦争ではないか。いや、これは戦争か?
「……総理、これは私見ですが、テロ、クーデタの可能性もあります」
「国内勢力の犯行だと?」
総理大臣は驚いた。東京湾から都内をミサイル攻撃できる国内勢力がいると?
「……無論、外国勢力の線もあります」
「横田もやられたのだろう?米軍は何と言っている?」
「……まだ何も。ミサイル攻撃は受けたようですが、被害は不明です」
在日米軍も叩かれて、ただでは済まないだろう。沽券にかかわる。
「自衛隊は?」
「……海上自衛隊が動いていますが、初動が大きく遅れたようです」
何をやっている。東京湾を抜かれるなんて言語道断だ。
「分かった。とにかくこんな夜中から一斉にマスコミが報道し始めるのもおかしい」
まるで準備していたかのようだ。海外の報道まで始まっている。なんて奴らだ。
「それにしてもなぜ国会議事堂なんだ?」
「……分かりません」
この時点では狙いが分からなかったが、後日効果を発揮し始めて気が付く。議会解散だ。
それから忙しかった。夜中のうち、官房長官がマスコミを集めて、第一報を発表した。
国会議事堂がミサイルによる集中攻撃を受けて、建物が全壊。死傷者は確認中。夜中であったためか、また感染症対策のため、議員は帰宅しており、全員無事が確認されている。
市ヶ谷駐屯地の自衛隊は迎撃用のPAC-3が破壊された。横田米軍基地は滑走路が使用不能。
攻撃手段は多数の目撃情報により、ミサイルと思われる。なおネット情報として、東京湾から潜水艦発射したミサイルの動画が出回っているが、情報の真偽を含めて確認中。
総理大臣は、首相官邸の地下にある司令室から、官房長官の発表を見ていた。
「……彼は落ち着いているな」
淡々としている。質問するマスコミの方が過熱気味だが、冷静に裁いている。
「伊達に昼行灯(ひるあんどん)と言われるだけの事はありますな」
防衛大臣が言った。だから官房長官に選んだ。うるさいマスコミ対策にうってつけだ。
「しかしこれは大問題ですぞ。どう対応されるおつもりですか?」
外務大臣が腕組みしながら言った。
関係閣僚は深夜にもかかわらず、速攻で集まった。皆こっちを見ている。
「とりあえず、朝にでも、国民向けに話をせざるを得まい」
総理大臣は嘆息した。秘書官から資料を渡された。軽く目を通す。
「……あまり大した追加情報はないな。昼行灯の話と一緒だ」
総理大臣は、原稿を机に置いた。
「合衆国は何と言っている?まだお休み中か?夜中だもんな。いや、向こうは朝か」
総理大臣が皮肉たっぷりでそう言うと、外務大臣は渋い顔をした。
「……連中はずっと休業中ですよ。予算がないから、最低限の人員で回している」
合衆国は、お金の使い過ぎで、とうとう借金が返せなくなったため、議会を解散し、連邦政府は一年間の休業を余儀なくされている。大統領は休暇に出かけて、残務は州政府が受け持った。因みに在日米軍の予算は、日本が全部出している。米軍は態度のでかい傭兵になった。
「連中が本当に休んでいるのか眉唾ものだな。いくら大恐慌を回避するためとは言え……」
総理大臣は呆れるように言った。予算がなくて政府が休業とか聞いた事がない。前から図書館がお休みになるとかあったが、政府全体がお休みになるのは前代未聞だ。21世紀の世界であってはならない事態だ。だが連邦政府の借金は天文学的な数字になっており、議会は解散した。
もう半年以上経つが、合衆国が内部で何をやっているのか、皆目見当が付かない。連絡すれば、連絡くらいは付くが、責任者は何も判断しない。政府が休業中だからだ。
「……横田基地は滑走路の修理中ですが、追加予算の申請を求めています」
秘書官がそう言うと、総理大臣は嘆息した。
「テキトーに出してやれ。傭兵どもにも出番を頼むかもしれない」
在日米軍の予算全体を引き受けるのは重かった。日米で交渉があり、予算が降りない場合は、現地解散もあり得ると脅された。日本人は驚いたが、在日米軍に現地解散されても困るので、とりあえず、一年間を期限にそのままの条件で雇用した。日本人は不満だった。
だが欧州でも似た事が起きており、世界同時多発的に米軍が現地で雇用される流れとなった。とんでもない迷惑だった。まさか合衆国が、金食い虫である米軍を同盟国に押し付けてくるなんて、青天の霹靂だった。海外展開している米軍は全部、同盟国の負担となった。
「それにしても、21世紀で政府が休業とか意味が分からない。世界中の大迷惑だよ」
総理大臣がそう言うと、地下司令室に笑いが広がった。
「……じゃあ、我が国も休業しますか?政府の借金は合衆国に勝るとも劣らない」
外務大臣がそう言うと、財務大臣が発言した。
「日銀にもっといっぱい刷ってもらいましょう。マネーサプライです」
今、大量の紙幣が出回っている。新紙幣だ。評判が悪い。ハイパーインフレも起きた。
「……ああ、日銀様様だな」
どうせお金なんて魔法のように湧いてくるのだ。借金で政府休業なんてとんでもない。
「それよりも総理。今朝なんて言うか決めないと」
防衛大臣にせっつかれて、総理大臣は考えた。
「国会議事堂ミサイル攻撃で、防衛出動はちょっと大げさだな。君、こういう時、何かもっと軽い奴があったよな。何だっけ?治安出動?」
「警護出動ですか?」
防衛大臣が答えると、総理大臣は「そうそれ」と言ったが、外務大臣が口を挟んだ。
「え?我が国はすでに攻撃を受けて、国会議事堂を破壊されているのですよ?」
「だが誰がやったか分かっていないじゃないか。敵も分からないのに防衛出動できるのか?」
総理大臣がそう答えると、地下司令室は沈黙に包まれた。
「……警護出動が妥当でしょうな。国内テロ組織の可能性もある」
財務大臣が言った。だが防衛大臣が反論した。
「国内テロ組織が、東京湾から潜水艦発射のミサイル攻撃を?」
「……会議中、すみません。偵察総局から報告です」
ちょっと異様な雰囲気が流れた。総理大臣が報告を秘書官に求めた。
「動画と現場を検証した結果、東京湾から潜水艦発射のミサイル攻撃は本当だったそうです」
警察と自衛隊はまだ何も言っていない。やけに仕事が早い。そんな出前も頼んでいない。
「そうか。まぁ、いい。それも今朝の話に追加しよう」
それで対策室での会議は終わった。だが後から、太平洋から発射されたと訂正された。
それから総理大臣はマスコミを前に、国民向けの話をした。基本的に官房長官が敷いたレールの上を走り、警護出動を発令するとした。ここまでは良かった。だがその後、マスコミから厳しい質問、追及が始まり、ちょっと逃げられない感じがした。忽ち、レールから脱線した。
「……総理、今回の事件、誰が悪いと思いますか?」
その質問は、後からよく考えてみるとおかしかった。だがその総理大臣は言ってしまった。
「私は悪くない」
総理大臣は思わずそう答えてから、慌てて口を押えた。一体何を言っている?なぜそんな言葉が、自分の口から飛び出したのか分からない。在り得ない。今朝、言われたからか?いや、アレは誰かじゃない。夢でそう言われただけだ。だから思わず言ってしまった。これは罠だ。ああ、でも取り返せない。どうしてだ?なぜ?国会議事堂の崩壊、不思議な夢だ。
このあと「私は悪くない」はすぐにSNSでトレンド入りし、空前のヒットとなった。海外でも何度も取り上げられた。その内閣総理大臣は辞任した。一週間、持たなかった。それから次の総理も、そのまた次の総理も短期間で辞めた。日本政府の開店休業が始まっていた。
『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード72