戦艦「陸奥」第三砲塔爆発事件
昭和十八年六月八日午後十二時十分過ぎ、戦艦「陸奥」は突然、爆発して柱島で沈んだ。目撃者の証言によると、第三砲塔付近から白煙を噴き上げ、そのあと弾薬庫が大爆発を起こした。第三砲塔がポーンと空を飛び、四番砲塔後部甲板部から船体が二つに裂けて、轟沈した。
事件当日、千四百七十四名が乗り込んでいたが、救助されたのは、三百五十三名だった。その死者の殆どは、溺死ではなく、爆死だった。艦長の遺体は艦長室で見つかった。近くにいた戦艦「扶桑」は「ムツバクチンス。一二一五」と発信した。
戦艦「扶桑」は短艇を出し、直ちに救援作業に就いた。戦艦「長門」も駆けつけ、同じく救援作業に参加した。戦艦「陸奥」は爆発後、右舷に傾斜すると、転覆して沈没。千切れた船体の艦尾部分だけ上を向いて浮かんでいた。だがそれも四時間後には沈んだ。
戦艦「長門」と呉鎮守府は、米潜水艦の攻撃と判断し、対潜水艦配備を行ったが、特にそれらしい痕跡は見当たらなかった。戦後の調査でも、現場に米軍はいなかったとされた。
不祥事だった。すぐに厳重な箝口令が敷かれた。通信も禁じられた。
直ちに、爆発事故調査のため査問委員会が編成され、弾薬庫の爆発が沈没の原因と断定された。三式弾という対空用の砲弾が疑われた。呉工廠で、弾薬庫付きで第三砲塔の模型まで作られ、実験を行って、考証を重ねたが、経年劣化による砲弾の自然発火はないとされた。
戦艦「陸奥」の生存者の大半は、下士官や新兵たちで、すぐに別の艦、別の任地に飛ばされて、消えて行った。そして時間の経過と共に、証言者たちは失われて逝った。敵艦の攻撃や弾薬の自然発火ではないとしたら、内部の者の犯行しかない。査問委員会は犯人を捜した。
海軍兵学校七十二期生、立花馨海軍少尉は、戦艦「陸奥」第三砲塔爆発事件の査問委員会の一員だった。彼が兵学校を卒業したのが、昭和十八年九月十五日だったので、事件後に査問委員会に入った事になる。彼が査問委員会の一員に選出されたのは理由があった。
当時戦局もすでに傾いていたので、立花少尉は内地勤務が多かった。
元々、海軍も彼に戦闘任務は期待していない。どちらかと言うと、海軍内の不祥事を調査する内偵のような任務を考えていた。というのは、この海軍少尉は、多少の霊力があったからだ。
今は婿養子として、立花の姓を名乗っているが、彼の元の姓は安倍と言い、平安時代から続く陰陽師(おんみょうじ)に連なる家系の者だった。安倍の姓は、水の陰陽道を司ると伝えられている。そのせいで、海軍内でも珍しがられて、あちこちから声が掛かった。
そして最初の任務が、第三砲塔爆発事件の査問委員会に入って、証言者からの聞き取りだった。だがすでに最初の聞き取り調査は終わっており、別の班で犯人らしい人物に目星を付けて、追いかけている。立花少尉には別の証言者が振られていた。二回目の聞き取り調査だ。
その日、海軍少尉が会ったのは、中川という下士官で、戦艦「陸奥」爆沈の生存者だった。書類を見たが、最初の聞き取り調査は、要領を得ない。意味不明な言葉が多く、その後、土浦の兵舎から飛び降りたという報告が、備考欄に追記されている。今は怪我も完治していた。
「……中川飛曹、貴様が何を見たのか、改めて話せ」
「サンサモンにはすでに報告しました」
第三砲塔と査問委員会をかけた海軍の隠語だった。
「話す気はないという事か……」
立花少尉は腕組みした。中川飛曹は黙って下を向いている。彼は陸奥の艦載機の飛行士だった。だが別に話さなくても、この海軍少尉には、何の問題もなかった。自分で調べられる。
「今から取り調べを行う。動くな」
立花少尉は目を閉ざすと、右手をかざした。
陸奥の第三砲塔が見えた。まだ煙は上がっていない。
「……事件当時、現場にいたな?」
詰問すると、中川飛曹は怯えて、慌てて首を横に振った。
「嘘を吐くな。分かるんだ。何を見た。言え」
海軍少尉は、さらに見ようとした。周りが暗い。これは夜か?
ふと第三砲塔の上に人影が過った。女?
中川飛曹が突然、絶叫し始めた。手が付けられない。
「おい、こら。落ち着け。これでは取り調べができん」
立花少尉は、それでもなお見ようとしたが、本人の精神状態が乱れたので、よく分からなくなってしまった。修行が足りないため、自分の霊力では、これ以上見るのは無理だった。
仕方なく、当直の者を呼んで、飛曹を手当して、医務室に運んだ。
「……少尉、どうだった?何か分かったか?」
報告に上がると、山田中佐はすぐに結果を求めた。中佐が査問委員会への推薦者だった。
「第三砲塔の上に女がいました」
「……女だと?」
海軍に女はいない。出港した軍艦に女が乗っている事なんて在り得ない。
「多分、あれは前日の夜だと思います」
山田中佐は腕組みして考えた。
「……爆発した時刻は一二一五だぞ」
昼間だ。夜、第三砲塔の上に女がいるなんて、ますます在り得ない。
「もう少し調べてみます。何か分かるかも知れません」
「……どうするんだ?」
「陸奥の艦内神社は何処にありますか?」
戦前も戦後も、日本の戦闘艦には、艦橋に神棚が設置されている。
戦時中は、御真影(ごしんえい)も置かれていた。艦が沈む時、真っ先に持ち出す。
翌日、立花少尉は、軍の保管室で戦艦「陸奥」の神棚だったそれを見た。
箱から取り出して、机の上に置いてみる。壊れていない。綺麗なままだ。
海軍少尉は目を閉じて、右手をかざすと、内なる目を開いて見た。
戦艦「陸奥」の起工から進水、処女航海までの様子が見えた。ここら辺の情報は要らないので、早回しする。昭和十八年六月八日の近くを意識する。
すると昭和十八年六月七日の夜、中川飛曹が第三砲塔付近を通り掛かった。そして砲塔の上で月夜に踊り狂う巫女姿の女を見た。彼が仰天して、腰を抜かす姿が見えた。
――ああ、これだな。
立花少尉はさらによく見た。
女に嫌な感じはしない。むしろ、神々しい。
だがその砲塔の上で踊り狂うさまは、全体として不吉な印象を与えた。
――ああ、これは警告をしていたんだな。中川飛曹は勘違いしている。
海軍少尉は納得した。ふと、気配を感じて、振り返ると、若い女がいた。
「……陸奥の女か」
立花少尉は詰問した。その娘は巫女服を着ていた。髪は明るくブラウンで、瞳の色も明るい。
「Where are you from?」(どこから来た?)
海軍少尉が尋ねると、その巫女服の娘は、ちょっと首を傾げた。
「Woher kommen Sie?」(どこから来た?)
念のため、ドイツ語もぶつけてみた。日本人には見えなかったからだ。
「なぜ異国の言葉を使うの?ここは日の本なのに」
その娘は、少し頬を膨らませていた。海軍兵学校七十二期生は、戦時中につき、仏語、独語、露語が打ち切られていたが、立花少尉は欧州行を希望していたので、独語を独習していた。
「……日本人か?何者か?」
神々しい姿をしているので、低級な付喪神(つくもがみ)の類ではなさそうだった。
「何者と聞かれても困るけど……そうね。言うならば、私は○○よ」
聞いたことがない日本語だった。よく認識できなかった。この時代の言葉ではない。
彼女はもう一度発音して繰り返した。艦の娘という意味だろうか。概念的によく分からない。
「とにかく、それは分かった。何か伝えたい事があるのか?」
海軍少尉の中で、陰陽師としての血が騒いだが、人間より上位の存在だと考えて自重した。
「……こんな事で戦船を失って悲しい。役目を果たしたかった。残念無念」
その巫女服を着た若い娘は言った。
「あれは警告していたんだな?」
立花少尉が尋ねると、陸奥の女は頷いた。
「……雪風が羨ましい。私も水雷戦隊で思い切り走り回りたかった」
「花の二水戦か。あれは駆逐艦の隊で、戦艦は配備されないぞ」
海軍少尉は呆れた。まさか戦艦が、そんな事を考えているとは思わなかった。
「艦のみんなも傷つけてしまった。誠に申し訳ない」
その巫女服を着た若い娘は謝罪した。
立花少尉は、その挙措を見て、確かに日本人だと感じた。恐ろしく古風だ。
太古の昔の日本人は、目の色や髪の色も、今と異なると聞いた事がある。
面白かった。この存在は、平安時代の陰陽師でも分からない。時空を超えている。
「……それは伝えておく」
陸奥の女はこちらを見ていた。まだ何か言いたい事があるのか。
「警告はありがたいが、見える人間、意味まで分かる人間は限られている」
帝国海軍の軍人としてではなく、陰陽師としての見解を述べた。
「……艦から降りる娘を見たら気を付けて、その艦は沈むから」
後にレイテ沖海戦で、戦闘前に艦から降りる娘たちの姿が、多数目撃された。
戦場にありがちな幽霊話にしては妙で、不吉だった。人々はこの話を嫌がった。
「分かった。伝えておく」
無論、沈むと分かっていても艦を降りる者などいない。降りたら、帝国軍人じゃない。
それから、立花少尉は二度とその女と会う事はなかった。
終戦まで忙しく、少尉は内地で海軍内の特殊任務に励んだ。
時には陸軍の同業者と一戦も交えた。だが総じて、大した事はなかった。
欧州行も逃した。ドイツ語の学習は無駄だった。そのうち、英語もろとも忘れた。
時は流れ、元少尉は長生きし、戦後、孫たち、ひ孫たちまで見た。
ひ孫たちはPCでゲームをやっていた。それはよくあるブラウザ・ゲームだった。
戦争ゲームで、第二次世界大戦の軍艦を集めて、謎の敵と戦うゲームだった。
軍艦は擬人化されて、全て若い女の子の姿をしていた。巫女服を着ている者もいる。
ゲームの中で彼女たちは、自分たちの事を、艦の娘を意味する言葉で呼称していた。
その時、元少尉は戦争中の出来事を思い出した。陸奥第三砲塔爆発事件だ。
同じだった。あの時聞いた言葉と全く同じ言葉だ。あれは未来の言葉だったのか。
あの時点では誰も使っていなかった概念だったので、よく認識できなかった。だが今であれば認識できる。まさかこんな形で、再び聞くとは思わなかった。完全に忘れていた。
元少尉は、ひ孫たちに、戦争中に出会った艦の娘について、語って聞かせた。
その娘たちは面白がって、元少尉の話を聞いた。信じたかどうかは分からない。
元少尉は、今は神社の神主をしている。藤色の袴を着た巫女がいて、白い鳥居が立っていた。
『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード25
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