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   ケインジアンたちの活動

 そのケインジアンたちは、穴を掘って、穴を埋めていた。(注6)
 近くに作業場があり、その男たちはシャベルと畚(もっこ)で土を運んでいる。
 延々と穴の列が続くが、その向こう側では、土を穴に戻している男たちもいた。
 不思議な空間だった。
 その若者は、いつからそこにいたのか、分からない。
 気が付いたら、ここにいた。過去の記憶がなく、自分の名前さえ思い出せない。
 ここでは変化がなく、ずっと同じなので、時間の経過が分からない。空間自体は果てしなく広がっているが、作業をしている男たちは、お互いそれ程、離れている訳でもない。
 家を建てている者たちもいた。
 ログハウスと言ったところだが、何棟も列をなして、作られているのだが、列の端の方で解体工事をしている者たちもいた。家を元の材料に戻して、トロッコで建築現場に運んでいる。
 木材は森の切り出し場から運ばれて来ていた。
 よく分からないが、広大な黒い森が広がっていた。森の中に入る者はいなくて、端から木を切り倒して、近くの製材所で家の資材に加工していた。木こりがいて、製材屋がいて、監督指揮をする者がいた。監督はどの現場にも必ず一人はいて、作業を監督している。
 だがこの者たちが、特別偉いという訳でもなかった。作業の中で、そういう役割を担っているというだけに見えた。実際、作業員たちは監督に従って動いているというより、自発的に作業しているように見える。現場監督たちは、それが乱れないように調整しているだけだった。
 その若者は丘に座って、延々と続く作業を眺めていた。
 男たちは飽きずに、延々と同じ作業を繰り返している。不思議だった。
 不思議と言えば、最近自分と同じく見学者たちがいる事にも気が付いた。彼らは作業をするのではなく、ただ作業を見ているのだ。時折、作業員に話し掛けたりしている。
 そしてどうやら、この中から、新しい作業員が発生しているようだった。
 自分に相応しい現場を見つけて、作業に参加するのだ。そういう話を聞いた訳ではないので、詳しい事は分からないが、状況から推測して、そのようだと何となく分かった。
 若者は何か変化が起きないか待っていたが、一向に変わる気配はなかった。男たちは延々と同じ作業を繰り返している。意味が分からないが、そもそも自分が誰だったのか、思い出せない以上、自分という存在に、何か意味があるのかどうかさえ、分からなくなっていた。
 その若者が、自発的に作業に参加するのは時間の問題に思われた。
 何もしないで、作業を見学し続けるという役割だけは、この世界になさそうだった。時間の差はあっても、遅かれ早かれ、見学者たちも作業に加わっている。それがここの流れだ。
 そういう意味では、唯一この世界で変化が起きている部分だった。
 若者は、いずれ自分もどこかの作業に加わるのかもしれないと思いつつ、一度作業に参加したら、抜け出せるのかどうか確信が持てなかったので、その判断をずっと保留にしていた。
 作業現場は、穴掘りと建築現場以外もあると聞いていた。
 若者は、ケインジアンたちの活動を見るため、丘から歩いて移動した。
 ふと高台から瀑布が見えた。人々がアリのようにたかって、何か作業をしている。若者は瀑布に近づいて、人々が何をやっているのか確かめようとした。
 それはダムの建設現場だった。
 かなり難航している。川を堰き止めている訳ではないので、作業が中々進まないのだ。川の水を流しながら、部分的に堰き止めて、川の端からちょっとずつダムを作っている。
 ここの作業現場には、ダムの設計者たちがいた。
 図面を持って、何やら議論していた。事務所まであり、設備は現代的だった。
 近くの作業現場では、ミキサー車からコンクリートを作る現場があったり、ショベルカーを操作している者までいた。ここはかなり進んだ現場のようだった。
 作業員がいて、監督がいて、設計者がいた。
 だが設計者が偉いという訳でもなかった。ただそういう事ができるというだけだった。
 若者はしばらくの間、工事の進捗を眺めていたが、あまり変化がないので、別の作業現場を見て回ろうと思った。高台から離れて、森とは反対側の野原を歩いていると、壁が見えて来た。
 2~3メートルの高さの壁が草原に広がっていた。土手みたいに上は歩ける。
 材質は石だけだったり、煉瓦で組んでいる箇所もあったりで様々だった。まだ木の柵しか立てていない箇所もある。立派な場所だと、門があり、櫓さえ立っていた。
 要するに、それは長城だった。
 草原に果てしなく広がっている。どこに終わりがあるのか分からない。
 とりあえず、端から石を置き、木の柵を立て、煉瓦を置き、壁を作っている。
 ここの作業現場はとてつもなく広かったが、基本的には穴掘りの現場や、家を作る現場と変わらなかった。作業員と現場監督がいる。設計者の姿は見えなかった。
 もしかしたら、どこかにいるのかもしれないが、見える範囲にはいなかった。
 若者は地平線に広がる長城を眺めた。果てしない。
 だが時折、長城が崩れて、ボロボロになっている姿が重なって見えた。眼をこする。
 それにしても構想力の壮大さから言って、どこかに管理者がいるのではないかと思った。
 しかしダムのように見える範囲に、作業場が限定されている訳ではなかったので、どこにいるのか分からなかった。これだけ広いと、全体の指揮を執っている者がどこにいるのか、探すのは困難だと感じた。探しようがないとも言える。
 若者は試しに長城に昇って、櫓がある門まで歩いた。
 櫓に昇ると遠くが見えた。遠くに砂漠が見えて、何か山のようなものが三つ見えた。
 若者はその山が気になったので、砂漠に向かう事にした。
 どれくらい時間が経過したのか分からないが、若者は草原を渡って、砂漠に来た。それは長い時間が経過したようであり、一瞬であるかのようにさえ感じた。時間の経過が分からない。
 見上げると、それはピラミッドだった。
 全部で三個ある。遠くから見た時は山のようだったが、明らかに人工物だった。
 そして驚いた事に、巨大な石材が宙に浮いて上昇していた。
 何百トンもありそうな巨大な石材の上に、魔術師然とした男が一人立ち、瞑目しながら杖を動かし、何事か口を動かしながら唱えている。呪文か。
 巨大な石材は一定の高さまで上昇すると、今度は横に動いて、あるべき場所に収まった。
 そのピラミッドは半分くらいできていた。どうやらこれが一番大きいようだったが、他の二つは大体完成しているように見えた。何か表面を磨いて、仕上げの作業をしている。
 だが時折、ピラミッドが崩れて、ボロボロになっている姿が重なって見えた。眼をこする。
 若者はピラミッドの作業現場に近づいた。基本的にここも規模が大きいだけで、他と同じだった。作業員がいて、監督がいて、設計者がいる。新しいのは、あの巨大な石材を宙に浮かせて、ピラミッドを積み上げる魔術師だった。若者は遠くから、魔術師の様子を観察した。
 巨石をはめ込み終えた魔術師は、ピラミッドから降りると、テントに向かった。テントの中には図面を持った設計者たちがいたが、他の魔術師たちもいた。何か議論している。
 若者はふと眼を見張った。なんと人々の中心に王がいた!
 興味を持ったので、若者はテントに近づいた。特に誰かに妨げられるという事もなかった。警備の兵のような男たちもいたが、何か武器を持っている訳でもない。
 若者はこっそりテントを覗き込んだ。人々の会話が聞こえた。
その王は、玉座に座っていたが、別に偉そうという訳でもなかった。
 ただそういう役割を充てられているという風に見えた。
 命令したり、指図をしているのではなく、ただPJの作業全体を円滑に進めるために、そこに座っているだけに見えた。この王がどんな技能を持っているのか分からない。
 もしかしたら、何もできないのかもしれない。
 このPJの神輿として、担ぎ上げられただけなのかもしれない。
 だがこの作業現場は、作業員がいて、監督がいて、設計者がいて、魔術師がいて、王がいる。
 そういう意味では、他の現場と大分変っていた。
 進んでいるのかどうか分からない。ダムの現場と比べて、作業が順調な事を考えると、もしかしたらこちらの方が進んでいるのかもしれない。
 しかしどういう判断基準でこの世界を見たらいいのか分からなかったので、判断は保留した。
 若者はテントから離れると、巨大な石材を丸太に乗せて運んでいる人々とすれ違った。恐らくピラミッドの前まで運んで、巨石を浮かす魔術師に渡すのだろう。人数も十分なくらいいて、作業は順調だった。
 若者は、どこかにこの巨石を切り出している作業現場があるのではないかと思い、巨大な石材を丸太に乗せて運んでいる人たちの群れを遡った。
 果たして石切り場は見つかった。岩山があり、オアシスさえあった。
 だがどういう訳か、その石切り場は人数が不足していた。作業規模からして、この人数では足りないという事は明白だった。作業道具まで余っていて、所々放置されている。
 まるで最近、何らかの理由で欠員が生じたかのようだった。
 若者はその石切り場を注目した。時々、切り出し終わった巨石を運び出しに来る班が来るが、明らかに作業は遅延していた。運搬する班の人員は足りているのに、石材を切り出す人員が足りていないのはどういう事か?ここだけ妙にバランスが悪かった。
 自分はここに加わるべきではないかと若者は思った。
 なぜこの作業現場に欠員が生じているのか分からない。単に他の部署に移っただけかもしれないが、ここには何か秘密があると思った。それを知りたかった。
 もしかしたら、自分がどこから来て、どこに立ち去るのか、分かるかも知れない。
 若者は石切り場に近づいた。
 しばらくウロウロ作業場を歩いて回った。
 作業に加わるには、誰かの許可が要るのではないかと思ったが、この作業現場には監督さえいないようだった。みんなただの作業員なのか、各自に石材を切り出している。
 若者はやむを得ないと思って、勝手にノミとトンカチを拾った。そして特に作業が遅延している場所に向かった。作業員たちが集まって巨石を切り出している。
 若者は一目見て、作業員たちが間違ったやり方をしていると見抜いた。
 これではとても効率が悪い。なぜこんな手間がかかるやり方をしているのか分からない。いや、各人は各人で効率よく進めているのかもしれない。だが全体としては無駄が多かった。
 なぜみんなバラバラに計測したり、何度も同じ事をして、情報を共有していないのか。
 これはとてもじゃないが、見ていられなかった。
 気が付いたら、若者が現場を監督し指揮していた。
 無論、全体の作業を遅延する事なく、円滑に進めるためだ。自分にできる事をただやっているだけとも言える。それ以上の意図はない。求められた訳でもない。ただ提案しただけだ。
 若者は、世界を見て、自発的に作業に参加していた。
 それはこの世界では、何も異常な事ではなかった。
 
 注6 ケインジアンとは、ケインズ(1883年~1946年)の経済学に従う人たちの事を指す。
 
          『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード14

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