東京都知事による日本知事会の発足
「日本知事会の発足を宣言します!」
その都知事はマスコミの前でそう宣言した。記者たちは、改めて手元の資料を見た。1都1道2府42県の名が連ねられている。全国の知事たちも列席していた。女性の北海道知事もいる。なぜかオブザーバーで笑顔のカルフォルニア州知事も同席していた。突然の記者会見だった。
「東日本大噴火、西日本のボートピープル、そして北海道情勢。日本は今、未曾有の国難に直面している。そして今朝、中東でも戦争が始まり、日本の石油が止まった」
都知事は、マスコミが激しく焚くカメラのフラッシュに晒されている。
「だが日本政府は何をやっている?何も対策を発表していない」
ガソリン価格が高騰し、天井知らずになっている。物流が止まり、飲食と小売が死んだ。
「石油に関しては、今朝僕がテキサス州知事と話を付けてきた。カルフォルニア州経由で日本に石油が届く。だがこれは高いし、かなり遅い」
マスコミは黙って、都知事の話を聞いていた。カルフォルニア州知事は満面の笑顔だ。
「日本政府は一体何をやっている?危機管理ができていない!」
その都知事は言った。マスコミは黙って、都知事の話を聞いている。
「だから日本知事会を立ち上げた。これは1都1道2府42県、知事たちの総意だ」
そこで初めて、記者たちもどよめき、事の重大さに驚いた。自治体が政府に歯向かっている?
「……すみません!質問いいですか?」
マスコミの一人が堪らず声を上げた。だが都知事は遮った。
「質疑応答は後で取ります。まずは僕の話をさせて下さい」
有無を言わせない迫力があった。この都知事は、まだ何か重大な事をしようとしている。
「この後すぐに、西日本のボートピープルの皆さん向けに、僕からハングルで呼びかけます。東京都知事の責任で、武装解除を呼びかけ、山や海から出てもらう。そして全国の宿泊施設に泊まってもらう。費用は日本知事会で決めた負担額で、各自治体が民間宿泊施設に支払う」
これにはマスコミも仰天した。こんな話、全く聞いていない。これは一体何だ?
「北の人たちにはどうか分からないが、南の人たちで僕の名を知らない者はいない」
その都知事は韓流のスターだった。両親共に日本人だが、なぜか彼だけ憧れて、半島に渡り、10年で韓流ドラマのスターになった。帰国後は突然、都知事選に打って出て、東京都に君臨していたあの女帝でさえ、圧倒的な大差で倒してしまった。まだ30代でさえある。
都知事が合図を送ると、全世界オープンチャンネルで、ハングルで演説を始めた。東京都知事による西日本のボートピープルに対する呼びかけだ。武装解除を呼び掛けている。各自治体で受け入れ、民間の宿泊施設に泊まってもらうと言った。忽ち、全世界で同時通訳された。
その演説は、演出家がいて、ドラマのような筋書きがあったのかもしれない。驚くほど、感動的で、聞いている人の胸を打った。世界は戦争にうんざりし始めていたので、このような感動的な話を待望していた。そして人道に基づくとある秘話、ストーリーさえ語られる。
それは若いお母さんが、北の小さな男の子のために、キッチンで歌を歌いながら、タマゴ粥を作って食べさせた話だった。だがそれも、最後は銃撃戦で終わってしまったと語られる。もうこのような悲劇は沢山だと都知事は言った。本人が涙さえ流している。人々は話を聞いた。
そして最後に、政府に代わって、東京都知事と日本知事会の名の下に責任を持つと結んだ。
物凄い騒ぎになった。だが効果はすぐに現れて、記者会見中に続々と西日本で、山や海から北や南の人たちが出て来たと報告が上がった。持っていた武器は捨てられ、自治体で受け入れられる。全ての人が出て来た訳ではないが、この演説で大勢が自治体の誘導に従った。
マスコミは、東京都知事を見上げざるを得なかった。この男は一体何者か?新時代のヒーローか?そして待望の質疑応答が来た。これほど歴史的な記者会見は、そうそうないかもしれない。ベテラン記者でさえ、緊張するほど、場の雰囲気は厳粛かつ熱気に満ちていた。
「……日本知事会は日本政府に代わる組織ですか?」
その男性記者の質問は、本質を突いたつもりで、実は本質から逸れていたかも知れない。だからレトリックかつ、ソフィスティケートされた都知事の議論に、すり替えられて行く。
「これは僕の持論ですが、自治体と株式会社が機能すれば、社会は国家なんて必要としない。軍隊なんて必要ない。社会は警察だけで十分だ。国家を作り、軍隊を作れば、戦争が始まる」
「……日本知事会は、国家解体を目指していると?」
「曲解だけど、否定はしない。理想は国家なき社会だ」
東京都知事は、また自分の新刊本を取り出して見せた。タイトルも発言と同じだ。
「……でもそれだと、通貨の発行権はどこが担うのですか?自治体ですか?」
「それでもいいが、僕は企業でも構わないと考えている。テックジャイアントが、暗号資産を発行して、その企業の信用で経済を回せばいい。社会のDX化も促進できる」
それから都知事は歴史の話をした。古代メソポタミアのイシュタル神殿は、自分たちの信用で、通貨を発行していた。戦争で王朝がやたらと倒れて、社会が不安定だったから、神殿が通貨発行権を持ち、社会の安定化に努めた。そういう役割を持っていた。完全に脱線話だったが。
「……でも外国までそうなるとは限らないし、国防に関しては自治体や企業では無理でしょう。現に戦争は起きているし、今も大陸に覇権国が興きて、周辺国に覇を唱えている」
男性の記者がそう言うと、都知事は右手の人差し指を立てて言った。
「だったら地球上全ての自治体を結集して、世界政府を作ればいい。各都市の代表が、世界議会に出席して意見を言う。シン・コスモポリタニズムだよ。戦争根絶の究極の一手だよ」
「……世界政府を作れば、戦争は根絶できるのですか?」
男性の記者は驚いていた。都知事は気分よく話を続けた。
「国家をなくし、緩やかな自治体の連合を作る。そうすればきっとなくなる」
週刊ユウヒの女性記者が首を傾げながら、発言した。
「……戦争が起きているのは地球の人口が増え過ぎて、食料が足りなくなったからでは?」
食料・エネルギーの争奪戦としての戦争だ。別に国家・主義主張だけで起きる訳ではない。
「そういう一面もある」
都知事はちょっと嫌そうな顔をした。次回からあの女性記者は出禁にしよう。
「……当初に石油の話もありましたが、エネルギー危機の問題はどう解決されますか?」
「そこなんだよね。今一番頭が痛い処は……」
都知事は悩む素振りを見せた。会場に笑いさえ広がる。パネルに世界地図が投影された。
中東で戦争が起きていた。とあるシーア派の国ととある戦闘国家だ。両国の間には、幾つか国を置いて離れていたが、どちらも核武装を隠さない事で知られていた。とあるシーア派の国が核武装を目指し、戦闘国家は核武装をすでに完了していた。両国の関係は最悪だった。
お互いに航空機から巡航ミサイルを発射して、核関連施設を攻撃し合った。だがじきにお互いに弾道ミサイルを撃ち始めた。飛んでいる弾道ミサイルが、核ミサイルか、通常ミサイルか、見分ける手段はない。着弾結果を見る限り、核ではなかったが、世界は冷や冷やした。
巡航ミサイルから弾道ミサイルの撃ち合いにエスカレートした時点で、国連が仲裁に入った。だがやはり機能しなかった。お互いがお互いを非難する非建設的な会議が開催され、どこの国も止めあぐねていた。合衆国大統領は、休暇先のフロリダからお悔やみのコメントを発した。
欧州大戦は限定核戦争で止まっていたが、小規模戦闘は継続していた。弾道ミサイル発射の件では、北の大国は沈黙を守り、西側諸国は欧州大戦で疲弊していた。大陸の大国が、相互理解、世界平和のお題目を唱えていたが、乾いた拍手で迎え入れられただけだった。
この戦争の結果、ホルムズ海峡が封鎖されて、石油タンカーが止まった。日本の石油の9割はここを通過する。ある意味、一番のとばっちりを受けたのは日本だった。石油が来なければ、エネルギー危機になる。日本は全部止まっている東日本の原発を、再稼働させるかどうかの瀬戸際に立たされていた。特に世界最大規模の原発施設、新潟の柏崎刈羽原発が意識された。
「……東日本全体の原発の再稼働は在り得ますか?」
男性記者が尋ねると、都知事は新潟県知事を見た。知事は頷いている。
「それは必要に応じて、慎重に判断するよ。でも新潟県知事の承諾は内々に得ている」
「……柏崎刈羽原発が再稼働するのですか?!」
衝撃が走った。原発が運転を停止してから、七基全機再稼働まで漕ぎつけた政権は過去ない。
すると、パチパチパチパチと、心からの乾いた拍手をしている男がいた。議員一年生だった。
「君のアテナイとデロス同盟(注42)に乾杯!」
なぜか白酒の杯さえ持っており、嫌そうな顔をした隣に座る仙人と乾杯している。
「いや、そこまでやったなら大したものだ。君が日本を指導すればいい」
都知事は眦を細く鋭くした。議員一年生を真っ直ぐ見詰めている。
「でも君にはトゥーキュディデース(注43)を読む事を奨めるよ」
「……『歴史』かい?それは読んだよ」
都知事と議員一年生が視線を交わした。見えない火花が弾けていたかも知れない。
「それは失礼。じゃあ、君はペロポネソス戦争(注44)でも始める気かい?」
「……君こそ同盟に参加しなかったスパルタ気取りかい?」
「スパルタは紀元前のソ連か、ある種の戦闘国家だから、最後まで栄光ある孤立を守るさ」
記者たちは突然始まった都知事と国会議員のやり取りを黙って、見守った。
「都市同盟は長く続かない。それは歴史が示す通りだ。君のシン・コスモポリタニズムとやらも、圧倒的な武力の前に征服されるかもしれない。ἀνάβασις(アナバシス)だよ」
「……君はその征服者側の人間じゃないのか?」
「とんでもない。君となら上手くやっていけると思っている」
「……敵の敵は味方という訳かい?あまり裏がある人とは僕は付き合いたくない」
よく言う。議員一年生は笑っていた。こちらを選挙で落そうとしていたくせに。
「ああ、嫌われてしまったか。でも今は利害を共にしている。違うか?」
東京都知事は沈黙した。彼も大陸から只ならぬ圧力を感じている筈だ。
「ケンカハイケマセン」
ここで突然、笑顔のカルフォルニア州知事が、片言の日本語で割り込んで来た。
「トチジカッカハヨイコトヲシテイル。ワタシハカレヲミマモリタイ」
善行ときたか。それは結果論の話だ。真の善行はその動機も問われる。結果じゃない。
「ワガガッシュウコクモキキニオチイッテイマス。アナタガタヲミナライタイ」
「ええ、自治体全てが一丸となって、未曾有の危機を乗り越えます」
「……この資料、沖縄県の名前がありませんが?」
そこで、週刊ユウヒの女性記者が鋭く斬り込んだ。都知事は軽く目頭を押さえた。
「その事なんだけど、もうじきどういう事か分かる。だから僕の口から言えない」
都知事はそう言って、記者会見を打ち切った。当然、マスコミはどういう事かと騒いだ。だが列席した知事たちも固く口を閉ざして、誰も沖縄県についてコメントしなかった。
東京都知事による日本知事会の発足は、それで終わった。
注42 デロス同盟。紀元前478年。アテナイを盟主に結成。最盛期200のポリスを数えた。
注43 Θουκυδίδης 紀元前460~395年 アテナイの歴史家 主著『歴史』
注44 ペロポネソス戦争。紀元前431~404年 ギリシャ世界を没落させた戦争
『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード76