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玄奘、天山南路を通過

 玄奘たち一行は、流沙(りゅうさ)に入っていた。
 天山南路の難所だ。砂の中、枯れた白い骨が散らばる。
 人か。馬か。駱駝か。はたまた二者か。三者か。人外魔境だ。
 玄奘は、約200年前、天竺に行った法顕(注160)の手記を思い出した。
 
 沙河中はしばしば悪鬼、熱風が現われ、これに遭えばみな死んで、一人も無事な者はない。空には飛ぶ鳥もなく、地には走る獣もいない。見渡す限り〔の広大な砂漠で〕行路を求めようとしても拠り所がなく、ただ死人の枯骨を標識とするだけである。(注161)

 確かにその通りの風景だった。
 同じ星、同じ天地とは思えない。
 ただ空の蒼さだけは絶景だった。
 ――deep blue sky
 信じられない高さを感じる。絶望的だ。
 天と地が離れている。神仏の目を感じざるを得ない。
 これがSeidenstrassen、絲綢之路、Silk Road(注162)だ。
 
 「……ここは本物の魔境です。旅人が多く斃れている」
 若い従者がそう言った。玄奘が乗る老赤馬もいなないた。
 「何か見えるな」
 砂丘の向こう側に、揺らめいて見えるものがある。都市?
 見ると、先頭を歩く女の童が、静かに首を横に振っている。
 「……悪鬼が見せる幻です。囚われないように」
 若い従者がそう言った。蜃気楼というものらしいが、初めて見た。
 「消えた」
 歩いているうちに見えなくなった。不思議な現象だ。
 「……もうすぐ石国(タシュケント)です」
 最後のオアシス都市だ。西から来る旅人にとってはスタート地点だ。
 「何とか難所を突破できそうだな」
 玄奘は呟いた。西域最後のオアシス都市が見えて来た。
 「……ここはもうソグド人の国です」
 若い従者はそう言った。玄奘は後に、旅行記でこう記している。
 
 赭時国(石国)
 赭時国(タシュケント)は周囲千余里で、西は葉河に臨んでいる。東西は狭く、南北が長い。産物・気候は笯赤建国(ヌージカンド)と同じである。城や邑は数十あるが、それぞれ主君を別にいただいている。[赭時国]全体の君主もなく、突厥に隷属している。これより東南のかた千余里で㤄捍国(フェルガナ)に至る。(注163)
 
 石国で、高昌人たちと別れた。彼らはトルファンに帰る。
 玄奘は別の隊商に加わり、天竺までの旅を続ける。
 「……師よ。ここでお別れです」
 若い従者がそう言った。玄奘もお別れの言葉を伝えた。
 「よい旅を」
 そう言って、両者は別れた。玄奘は旅装を改める。
 砂漠の難所を抜けたので、草原の道に入った。
 緑が豊かで、森や湖が点在する。長閑な旅だった。
 タシュケントからサマルカンドまでは問題なさそうだった。
 「……来ますね」
 早朝、前を歩いていた女の童が立ち止まった。
 玄奘もただならぬ気配を感じて、老赤馬の足を止めた。
 隊商は続いて行く。先に行くように伝える。玄奘は馬から降りた。
 一行が見えなくなると、孫悟空・猪八戒・沙悟浄も現界した。
 「また妖魔の類か」
 玄奘は錫杖を構える。霧が出て来た。足元が見えない。
 「……人払いの結界だな」
 ブタの💝様は言った。外野はこの霧の中には入って来れない。
 「……少し麻痺の成分が入っている」
 猿渡空が、ハンカチで口許を覆いながら言った。
 「毒か?それは不味いな」
 玄奘も片手で口を覆うとした瞬間、何かに襲われた。
 激しい金属音がして、ノックバックした。どうにか錫杖で凌いだ。
 「……この野郎!」
 猪八戒がまぐさで、割り込んで、玄奘を守った。
 それは銀色の狐の面を被った戦士だった。半月刀で斬り掛かって来る。
 「……悟空!お師匠様を頼む!」
 ブタの💝様は、まぐさで半月刀と数合撃ち合った。
 「……危ない!」
 女の童が叫んだ。濃霧の中、もう一体、斬り掛かって来た。
 「……見えてるよ」
 猿渡空は如意棒で、半月刀を止めていた。
 こちらは金色の狐の面を被った戦士だった。
 孫悟空はアクロバティックな動きで、半月刀と数合撃ち合った。
 「……このキュアモンキーについてこれるなんて、中々やるね!」
 猿渡空が間を置くと、金色の狐の面を被った戦士は下がって行った。
 「……馬鹿野郎!目を離すな!」
 猪八戒が戦いながら叫んだ。逃がさないように戦っている。
 不意に霧の中から、また玄奘に斬り掛かって来た。
 だが孫悟空は動きを読んでいたのか、如意棒を伸ばして刀を止めた。
 「……情けないね。お前達。仕留められないのかい?」
 いつぞやの妃が現われた。高昌以来だ。こんな処まで追い掛けて来た。
 「……あ~!妖怪BBA!」」
 だが一行は、画皮妖怪が、人質を取っている事に気が付いた。
 若い従者だった。縛られて、首に刃を当てられている。
 「……そういう事だ!武器を捨てろ!」
 孫悟空と猪八戒は動きを止めた。アイコンタクトして武器を捨てる。
 「……金角!銀角!唐僧をやっておしまい!」
 画皮妖怪が、そう叫ぶと、全員が一斉に動いた。
 猿渡空は真剣白刃取りで、金角の半月刀を止めた。
 ブタの💝様は、なんと脂肪で、銀角の半月刀を止めた。
 沙悟浄は人質を解放していた。若い従者はこちらに向かって走る。
 「……河童に水気を与えるなんて下策だったな」
 霧の中、水分を纏って霧に同化して、不意打ちしていた。
 「……いつの間に」
 画皮妖怪は後退した。だが沙悟浄が通せんぼした。
 「……河童は元々ステルス性が高いんだよ」
 河童型宇宙人は言った。因みに水がある処では、能力値が上がる。
 「……何が狙いですか?いい加減しつこいですよ!」
 女の童が言った。周囲では金角銀角が戦っている。
 「……仏法を弘げてなるものか!居場所がなくなる!」
 玄奘がその言葉に反応して、画皮妖怪に向き直った。
 「では仏法とは何だ?」
 「……諸行無常、諸法無我、涅槃寂静でしょう?知ってるわよ!」
 如来の三宝印と言う。仏教の旗印だ。一切皆苦も加えて四宝印もある。
 「……大体、諸行無常って何よ!酷くない?」
 「万物は流転する。誰にも止められない」
 玄奘が当然のようにそう答えると、画皮妖怪は癇癪を起した。
 「……私の美しさまで流転してどうするのよ!絶対、止めるわよ!」
 猿渡空が、金角と戦いながら、明るい声で笑った。
 「……言うねぇ。でもどうするの?無理じゃない?」
 「……だから私は画皮なのよ!」
 孫悟空は首を傾げた。ちょっと話が繋がらない。
 「……真花は時と共に朽ち、画花は永(とこ)しなへに春なり」
 沙悟浄がボソッと言った。中国古典か。
 「……そうそれよ!私はまさに画花なんだから!」
 画皮妖怪は、我が意を得たりと言わんばかりに、自己主張した。
 「……まぁ、皮一枚で変身する、遊園地の着ぐるみと同じだけどね」
 猿渡空が言った。玄奘も女の哀れさを理解した。
 「美は悟りではない。美しければよいというのは間違いだ」
 「……何でよ!美しいは正義でしょう?皆、私の美にひれ伏せ!」
 画皮妖怪がそう叫ぶと、皆呆れた。
 「……可愛いは正義って奴?一部の人にしか通じない」
 孫悟空は、金角を押し切った。猪八戒も銀角から刀を落とした。
 「改心しろ。女。お前が歩む道は外道だ」
 玄奘は錫杖を構えると、Z字に印を切り始める。
 「……折伏されてなるもんか!48計逃げるが勝ち!」
 金角銀角、画皮妖怪は逃げた。それが玄奘、天山南路を通過だった。
 
 注160 法顕(ほっけん)337~422年 僧 東晋→インド→東晋
 注161 『法顕伝・宋雲行紀』長沢和俊訳注 平凡社 東洋文庫 p9
 注162 ザイデンシュトラーセン ドイツの歴史家リヒトホーフェン命名。
 注163 『大唐西域記1』玄奘著 水谷真成訳 平凡社 東洋文庫 p69

            『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』補遺044

『玄奘、サマルカンドで論戦』 10/20話 玄奘の旅 以下リンク

『玄奘、西天取経の旅に出る』 1/20話 玄奘の旅 以下リンク


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