ちりぎわは、おうかのはなよ、かぜまかせ。
昭和20年4月1日、海軍兵学校七十二期生、立花馨少尉は考えていた。
――未来の日本か。この状況で、それを考える事に、どんな意味があるんだ?
宿舎の窓から桜島が見える。ここは九州、鹿児島の鹿屋(かのや)飛行場だ。
今日もゼロ戦が飛び立つ。52型だ。出撃前の最後の訓練飛行だろう。入念に行わる。
――まるで若鳥だな。飛び方が拙い。アレで体当たりなんてできるのか?
太平洋戦争末期。戦局も傾き、海軍も特別攻撃隊を編成して、戦場に送り込んでいる。このゼロ戦による体当たり攻撃も、非常手段ではなくなり、常態化した。パイロットの命と引き換えに、敵艦を沈める。異常な作戦だったが、一定の効果はあった。
流石に、戦艦や空母は沈まない。だが軽空母、巡洋艦以下であれば、撃沈は在り得た。最低でも250㎏爆弾を抱えて、敵艦に体当たりする。一種の有人巡航ミサイルか。
特攻は続けられた。最初は志願者を募ったが、次第に軍が人を選ぶようになった。志願が命令に変わり、未帰還前提の体当たり攻撃が組まれる。当時の日本の若者たちは、疑問に思う事はあっても、抵抗しないで、命令に従った。この流れは昭和20年8月15日まで続く。
そんな中、立花少尉に相談があった。特攻隊の若者の悩みを聞いて欲しいと。
内容は、未来の日本だった。彼らは未来の日本について、知りたがっていると言う。日本のために死ぬのは構わない。だが自分が死んだ後、残された人たちはどうなるのだ?それだけが気掛かりだと言う。軍は慰労したが、無駄だった。純粋に未来を知りたいと言う。
立花少尉は陰陽師だった。水の陰陽道が使える。だから海軍に入った。元の姓は安倍と言い、立花神社の婿養子になっている。海軍の霊的な問題に対処するため、内勤が多かった。
戦艦陸奥の第三砲塔爆発事件を担当した事もある。その時、艦内神社の御霊とも対話している。髪や瞳の色が明るかったので、外国の女性かと思って、ドイツ語や英語を話したりした。
軍の中でも、立花少尉の立場は特殊だった。だが特攻隊の若者たちが、何を知りたがっているのか、分かっていた。これまでも同期が多く飛び立っている。知らない仲でもないのだ。
何とか彼らの希望を叶えてやりたかった。しかし陰陽師でもできない事はある。特に自分は未来系に弱い。だが一つ希望があった。奥さんだ。彼の奥さん、立花やちよだ。
立花やちよは、立花神社の正統継承者である。後に昭和の歌巫女と言われるようになるが、現段階ではまだ知られていない。戦前、海外で過ごし、英語やドイツ語が達者な巫女さんだ。歌巫女と言われるだけあって、音楽に関する霊能力を持つ。彼女の能力は珍しい。レアだ。
立花神社は埼玉県にあり、距離はあったが、奥さんを呼ぶ事にした。軍からの正式な依頼だ。費用は出る。必要な機材も運ばれる。何に使うのか、大型の発動機まで持ち込まれた。照明用かと思ったが、どうやら違ったようだった。あとはギターと見知らぬ音響機器が幾つか。
立花やちよは修行時代、ギター1本で、北大西洋、エジプト、ドイツなどを渡っていた。ヴァンパイアハンターで、考古学者のアメリカ人退魔師とコンビを組んで、大冒険をしていたと聞く。一体どんな謎を追い掛けていたのか不明だが、彼女の話はいつもスケールが大きい。
「うん。分かった。皆の前で歌うよ」
やちよはやって来ると、開口一番そう言った。基本的に彼女は歌う事しかできない。
「……彼らは未来の日本について知りたがっている」
立花少尉は、特攻隊の若者の希望を伝えた。やちよは頷いた。その笑顔は明るい。
「オッケー!ノープロブレムだよ」
戦時下でも、平気で和製英語を使う子だった。やちよは戦争と関係ない。立花少尉もステージのセットアップを手伝った。軍人たちも、見知らぬ音響機器を中継器に繋いでいく。大型の発動機には貴重なガソリンが注がれて、火を灯す。電気を起こして、中継器と繋げられる。
「……これは一種の増幅装置か?」
やちよの指示で動いているうちに、機材の意味が何となく分かってきた。立花少尉は彼女を見た。コードでつないだ蒼いメタリックなギターを下げている。未来的だ。見た事がない。彼女は巫女さん姿だ。藤色の袴に、紫のたすき掛けをしている。長い髪は後ろに纏める。
特攻隊出撃の日、ステージのセットアップが終わると、やちよはすぐに始めると言うので、立花少尉は、特攻隊の若者たちを慌てて集めた。飛行場の片隅に、彼女の小さなステージが出来ていた。観客は50名程度。ちょっと意味が分からなくて、皆戸惑っている。
ギュイーン!と爆音が響いた。あまりに凄い音だったので、皆何事かと、ステージに立つやちよを見る。試しに弾いて、ギターの音を調整しているようだった。とんでもない音量だった。電気的に音を増幅している仕組みは、海軍の軍人だから分かる。だがこれは一体何だ?
その後も、ピロピロと音を出したり、色々試していた。皆、呆気に取られている。準備が整ったのか、やちよはマイクの前に立った。彼女は立花少尉に、ウィンクを飛ばした。恥ずかしい。
「今日はやちよのステージにようこそ!今から日本の未来を歌うよ!」
皆、拍手して若い巫女さんを迎えたが、頭の中は疑問符だらけだった。だがやちよは、目を閉じると、ステージの上で、柏手を二拍、力強く叩いた。まるで神前で行う柏手のように、場が引き締まり、あたかも土俵に塩でも蒔かれたかのように、周囲の邪気を祓った。
その時、立花少尉の目には見えた。天から光の柱が射し、地にいるやちよを照らした。
「昭和25年、1950年のヒット曲!」
その歌は赤いリンゴの歌だった。皆、びっくりして聞いている。昭和25年?1950年?今から5年後の歌?特攻隊の若者たちは神妙に聞いていた。歌詞は分かる。これは日本語だ。だがそこで歌われている内容に驚いた。戦争の気配が全くない。平和の歌だ。戦争は終わった?
演奏が終わると、皆、しーんとした。これは何だ?未来の日本の歌?いや、そんなバカな。
「続けて昭和30年、1955年のヒット曲!」
やちよは構わず、畳み掛けた。そういう子だ。次々歌って、皆に伝わるまで、日本の未来を歌うつもりだろう。歌巫女の本領発揮だ。彼女は、音楽だけに関して特化した霊能力を持つ。未来の音楽にアクセスして、未来の曲をダウンロードできるのだ。
かなり不思議な超能力だった。恐らくアカシック・レコードの類があるのだろう。その音楽部分だけ限定的に、アクセスが許されているようだった。未来視の一種だ。だが未来の音楽が分かるというのは、とても面白い。恐らく世界でも、今はやちよだけの霊能力だろう。
北米に渡った時、世界に先駆けて、ロック音楽なるものを披露して、アメリカ人の度肝を抜いた事がある。そんな力がある訳ないと、自分の霊能力を否定されたので、やちよはその場で、即興で演奏したらしい。例のムチを使う考古学者で、エクソシストともそこで出会った。
やちよは、音楽で嵐を巻き起こす子だった。もしかしたら、龍神の力も少し入っているのかもしれない。ちょっと人間離れした子だ。ギター1本で、演奏して世界を回る。歌唱力や演奏技術もプロだが、何よりも悉く未来の歌というのが、凄い。これで注目されない筈がない。
ステージで演奏は続いた。1960年代、1970年代と続いていく。ヒット曲を並べる事によって、未来の日本の世相を伝える。確かに特攻隊の若者たちの後にも、日本は続き、明るい未来社会が存在するのだという事を伝える。これがやちよなりの回答だった。
意図は伝わり始めていた。徐々に好奇心が目覚めて、特攻隊の若者たちも一曲、一曲、拍手で迎える。基地からも一体何事かと、多くの人が出て来た。たちまち、100人を超える。
「昭和64年、1989年のヒット曲!」
その歌は、ダイヤモンドだった。皆、びっくりして聞いている。昭和64年?1989年?今から44年後の歌?テンポが速い。メロディーが天に向かって何度も駆け上る。歌詞は日本語?もはや意味が取れない部分が出て来ている。しかしこの明るくて力強い曲は何だ?バブル?
演奏が終わると、皆、しーんとした。これは何だ?未来の日本はどうなっている?
1990年のヒット曲は、小さな翼だった。その後も立て続けに演奏した。それはバラードだったり、ロックだったりした。トランスさえ披露した。2000年代に入ると、アニソンやボカロも入った。歌詞が全部英語の歌さえある。特攻隊の若者たちは、完全に息を呑んでいる。
曲は2010年代に入る。この文化の爛熟ぶりは一体何だ?特攻隊の若者たちは、一部付いていけないものもあったが、全体として、それが未来の日本の歌であり、未来の日本の音楽だという事は理解した。しかしそこで描かれている未来社会が、豪華絢爛過ぎて、よく分からない。
立花少尉は、ステージ上のやちよを心配していた。力を使い過ぎている。急速に消耗しつつある。彼は合掌して、彼女にパワーを送り始めた。力が足りない。最後までもつか?
2020年代は一転して、曲調が大きく変わった。全く別次元の音楽が始まる。天上の音楽だ。それ以前の音楽と比べて、クラシカルで、曲調も歌詞も分かり易い。大和言葉になっている。2030年代、それは壮大な天国と地獄の音楽だった。世界観が全く異なる。これは日本か?
2040年代の音楽。もう皆、黙って聞いていた。涙を流す者さえいる。未来の日本は確かに存在する。だがこれは一体何だ?もっと未来を知りたい。やちよは今からちょうど百年後、2045年の音楽を演奏する事で、力尽きた。ステージで倒れそうになり、立花少尉が支えた。
「みんな、ゴメンね。私ができる事はここまで。でも未来の日本は確かに存在するから」
やちよには見えるのだろう。だがそれを伝える術は音楽だ。音は風のように吹き渡り、人々の心に、爽やかさだけ残して消えて行く。彼女なりのメッセージだ。立花少尉は、最後の方の音楽を聴いて震えていた。やちよの口から、シャボン玉のように、言霊が出ていたのだ。アレが見えるのは、陰陽師である自分だけだろう。彼女も気が付いていない。
「最後にへたっぴだけど、私のオリジナルソングを聞いて。皆に送るよ!」
それは大和言葉だった。歌巫女の詩だ。
「おおそらの、ますらおたちが、とびたちて、いのちをつなぐ、あさのひのもと。ちりぎわは、おうかのはなよ、かぜまかせ。
わだつみの、おおつつほえる、きみのこえ、てんまでとどけ、やまとおおゆめ。あまわたる、やまとおおかみ、いとたかし。
おおかみの、ゆめのなかこそ、いだかれて、ますらおたちよ、いまよみがえれ。めのまえに、あすのひのもと、ひろがりぬ」
やちよは歌い終わった。彼女が一礼すると、皆拍手した。
「みんな愛してる!I love you!Ich liebe Sie!」
やちよは、ステージから、投げキッスを振り撒いた。立花少尉の目には、本当に花ビラのようなものが飛んでいた。その一つ一つが、特攻隊の若者たちの心胸に吸い込まれていく。
いよいよ出撃の時、特攻隊の若者たちは、コクピットの中から、歌巫女に敬礼していた。
やちよも、出撃する神風特攻隊に向かって手を振っていた。手を振る彼女は笑顔だ。最後の一機が飛び立つと、急に倒れたので、立花少尉は慌てて支えた。だが彼は見た。彼女の魂が抜けだして、大空に駆け上がって行くのを。幽体離脱だ。彼女は幽体離脱ができる。
立花少尉は、やちよが自分は北欧神話のワルキューレだと言っていた事を聞いた事がある。そういう使命を持った光の巫女であり、戦士たちを愛し、彼らを天国に導く存在であると。
やちよの魂は、ゼロ戦と並走して、大空を飛んでいた。時速200キロを超えている。
九州の空を出て、そのまま坊ノ岬沖を通過する。眼下には、戦艦大和と最後の二水戦がいた。沖縄特攻だ。神風特攻隊は翼を振って、一足先に沖縄を目指した。目指すは敵艦、沖縄に迫る米艦隊。すなわち、それはレイモンド・スプルーアンス海軍大将が指揮する艦隊だ。
やちよの魂は、ゼロ戦のコクピットの後ろに付き、一機一機突入コースに入る前、背中からパイロットたちを抱擁して、別れを告げた。無論、彼らはそんな事に気が付かない。だが彼女は戦士たちの魂を救済するために、抱擁する。ゼロ戦は敵戦艦、敵空母に吸い込まれて行く。
散華する。やちよは全てを見届けると、合掌して天に祈った。彼らの御霊を救い給えと。
『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード88
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