国際情勢:ゼレンスキーの戦争
・ゼレンスキーの演説
2023/09/19、ウクライナのゼレンスキー大統領は、国連総会で演説した。
マスコミの報道では、空席が目立ったとの事だが、それはそうだろう。きっと、世界の大半は、どっちもどっちだと思い始めている。
2022/09/21のビデオ演説では、国連総会は、ゼレンスキーに対して、スタンディングオベーションだったのと好対照を為している。この一年で流れが変わったという事だろう。
・ポーランドによる武器支援停止
今回のゼレンスキーの演説では、人類は国連に希望を抱いていないとか、欧州の一部の国は、モスクワを手助けしているとか、内輪に向けた批判も多く、あまり好感を抱けない内容だった。そしてこの演説の翌日、ちょっとした事件が起きた。
2023/09/20、ポーランドは、ウクライナへの武器の支援を止めると発表した。アメリカを別にすれば、心情的には最大級のウクライナ支援国だった。それが武器の供与を停止すると言う。これが、ゼレンスキーが言う欧州の一部の国という事だろう。分かり易い。背景はこうだ。
2023/07/17、ロシアが穀物合意から離脱したため、ウクライナは、黒海の海路は安全でなくなったため、陸路で穀物を輸送せざるを得なくなったとして、トラックで運び始めたのだが、輸送費がかかるので、隣国ですぐ降ろした。その結果、小麦粉の価格が暴落した。
案の定、ポーランドとトラブルとなって、ウクライナへの武器の供与は停止となった。小麦粉の価格が変動したのは、ポーランドだけではない。ハンガリーも影響を受けていると思う。何も言っていないが、迷惑だと感じている事だろう。
ウクライナとしては、全部ロシアのせいにするところだろうが、ウクライナが持ち込んだ大量の小麦粉が有難迷惑なのは、変わらない。少なくとも、ポーランドは、小麦粉の件で、武器の供与停止という「報復」にも見える対抗手段を取った。
小麦粉の価格の件は、一時的な問題だと思われる。戦争でウクライナの小麦粉の生産が減れば、自然に解消されると思われる。そうなれば、また対立の構図も変わるだろう。
またポーランドは、ウクライナの隣国なので、長期的に対立は苦しい。
・アメリカの予算枯渇
2023/09/21、ゼレンスキーは、アメリカのバイデン大統領と会い、追加支援を取り付けた。ウクライナはアメリカの支援がなければ、負けてしまうと言っていたが、正直でよろしい。
古今東西、他人の褌を借りて、戦に勝った奴はいないと思うので、図らずも自らの航路が暗い事を内外に示す形となった。なお追加支援の中に、長距離ミサイルという劇薬も入っていた。
こんなものを欲しがる辺り、それがどんな結果をもたらすのか分からない、末期症状を迎えた患者のようだ。なおバイデンは自分の腹が痛まなければ、何でもサインする人なので、気にしていない。それどころか、2024年の大統領選の宣伝、見せ場だと思っている。
ゼレンスキーはその後、アメリカ議会を訪れ、共和党関係者と会った。 時々フリーズする共和党上院トップのミッチー・マコーネルと一緒だ。下院のハウス・スピーカー、ケビン・マッカーシー(10/03解任)は、ゼレンスキーと会ったが、内心複雑だった事だろう。
今、アメリカ議会は、ウクライナ支援で割れ始めている。いい加減、天井知らずでウクライナ支援に金を費やすバイデン政権に批判が出始めている。一年以上経過して、そろそろ費用対効果が求められる頃だろう。マスコミの報道では、ウクライナの反攻作戦が連日報道されている。過熱気味だ。理念だけでは、お金は出し続ける事はできないという事か。
アメリカでは、大統領が予算案にサインしても、議会で通らなければ、意味がない。だからゼレンスキーとしては、ぜひアメリカ議会にも訪れて、協力を依頼したいところだろう。
ゼレンスキーは返す刀で、トランプ前大統領を斬る事も忘れない。かの前大統領は、戦争を24時間で終わらせる腹案があるらしいが、それがウクライナの領土を保全しないものだったら、絶対許さない。腹案を公表せよと迫った。勿論、前大統領から返事はない。
だがそのアメリカも、予算の枯渇が始まっている。09/30にギリギリ繋ぎ予算で、45日間の予算を確保したが、アメリカ連邦政府の閉鎖が迫っている。政府休業は、オバマ政権の時もあった。国立公園、連邦図書館、連邦博物館が閉鎖となった。部分閉鎖だが、今回予算が枯渇した場合、どこまで閉鎖になるのか分からない。また部分閉鎖か、それともそれ以上か。
アメリカはずっと、歳入の二倍の金額で、予算を組み続けてきたのである。お金が足りなくなるのは当然だ。国債で、借金の上限を引き上げる事によって、予算を獲得しているが、国だからと言って、無限に借金の天井を引き上げ続ける事はできない。どこかで破綻する。
我々はある日、アメリカ合衆国が、借金で首が回らなくなって、倒産する日を見るだろう。
今、日本を含めた先進国の大半が、歳入以上の予算を組み、足りない分は国債で賄っている。日本も歳入の二倍以上の予算を組んでいるが、政治家・役人によると、日本は倒産しないので、安心して欲しいと言っている。最終的には、国民の預貯金で担保すると言っている。
我々の預貯金は、一連のDX政策によって、すでに政府に押さえられつつある。気が付いたら、中南米のバナナ共和国みたいに、銀行からお金を降ろせなくなっているかもしれない。
アメリカの場合、預貯金もないので、担保がない。金本位制の時代、大量の金塊を溜め込んでいたが、今はそれもない。様々な利権を投げ売りするしかないだろう。1929年よりも酷い事になるかも知れない。その時は諦めるしかないだろう。どうせお金は、死んで持って帰れない。
今回、アメリカ議会で通った繋ぎ予算には、ウクライナ支援は含まれない。当然だろう。自国の政府が閉鎖するかどうかの瀬戸際に、他国を支援している余裕はない。だがバイデン大統領は、いかなる時も、ウクライナ支援を絶やしてはならないと言う。ご高説と言う訳だ。
だがホワイトハウスのカービー戦略広報調整官によると、あと二か月で、ウクライナ支援はできなくなるらしい。予算が切れるとの事だ。考えてみれば、アメリカはお金を使い過ぎた。特にバイデン政権になってから、様々な理由を付けて、湯水のように使った。人気取りだ。
それから、155mm弾も枯渇してきていると言う。アメリカもNATOも在庫がないらしい。生産が追い付かない程、155mm弾を消費していると言う。(月間100,000発消費)だから今、高価な巡航ミサイルでクリミアを叩いたりしている。攻勢の限界点は近い。
予算面でも、物資面でも、アメリカのウクライナ支援は、限界に近づいている。そして一度、中断した場合、支援を再開できるのか、誰にも分からない。そもそもアメリカが危ないのであれば、猶更だろう。ゼレンスキーもそれを知っている。だから一人で動いている。
アメリカの支援が切れる時を、一つの区切りと見るべきだろう。ウクライナ戦争は、ここで止めるべきだ。だが今イギリスが、陸軍をウクライナに派遣するかもしれないと言い出している。訓練目的と言っているが、本当にそうなのか。極めて危険な感じがする。
イギリスのロシア敵視政策は、伝統的だが、19世紀のように、勢力圏の摩擦を抱えている訳ではない。利権の摩擦はあるかもしれないが、戦争をする程ではないだろう。それでももし、イギリスが、陸軍をウクライナに派遣するなら、NATOとロシアの激突となるだろう。
それはゼレンスキーにとって、願ってもいない事だから、イギリス陸軍がウクライナに来る事は拒まないだろう。ウクライナ一国で戦わないで済む。欧州大戦、世界大戦にしてしまった方が、自らの生存戦略は高まると考えているのだろう。迷惑極まりない。
・ゼレンスキーの戦争
ここ一年、ゼレンスキーの発言を追っていると、過激化の一途を辿っている。
ウクライナ語を理解しない誤訳、フェイク・ニュースだと言われているが、他の国はロシアを核攻撃するべきだというゼレンスキーの話が、一頃出回った。英訳を読む限り、そのように読めるが、なぜこの部分だけ、間違った翻訳が出回ったのか、理由が分からない。
2023/09/17、ゼレンスキーは、アメリカのCBSのインタビューで、ウクライナが敗北したら、世界大戦になるという趣旨の発言をしている。プーチンを止めるか、世界大戦を始めるか、全世界は選ばなければならないとも言った。これはフェイク・ニュースではない。
要するに、ウクライナを支援しろという事だろう。こういうのを脅迫と言う。
早い話、ウクライナが降参すれば、戦争が終わる事を、全世界は知っている。それを侵略とか、領土の保全とか言って、戦争を長引かせているのは一体誰か?
侵略戦争の禁止、領土保全は、国際法で守られた権利であり、侵してはならないと言う。
でもそんなもの、人類の善悪の前では、霞んでしまう。大した概念ではない。国際法よりも上位の概念が存在する事を知るべきだ。国際法も法の哲学に淵源があるが、その法の哲学よりも、上位の概念は確実に存在する。簡単に言えば、人類の幸福だ。
人類の幸福のため、ウクライナが降参して、困る国があるのか知らないが、被害は理念的なものに留まるだろう。であるならば、ウクライナは降参した方が、人類にとって幸福ではないか?核戦争のリスクを高めていい事はない。周辺の国も迷惑している。
いや、ロシアの侵略は絶対に許さない?仕掛けてきたのはプーチンだ?
そういう見方もあるだろう。いや、こちらの方が一般的なのだろう。だがロシアにはロシアの言い分があり、それがどれほど、おかしいと言われようが、ロシアの言い分を聞かない限り、戦争は止まらないだろう。それを外から独裁者、非人道的と言ったところで、彼は聞く耳を持たないだろう。ロシアの存立が危ういと見れば、プーチンは核の使用も躊躇わないだろう。
だからそろそろ交渉のテーブルに着かないと、本格的に危ない。だがゼレンスキーは、交渉のテーブルに着くなら、できる限り、奪われた領土を取り返したいと考えている。そのために攻勢に出ている。だが反攻作戦の犠牲は大きい。攻める側が、守る側より、犠牲が大きいのは、戦争の常だ。そして領土奪回のための反攻作戦なら、それは政府主導であり、政府の責任だ。防衛戦争でもない。そして戦争を続けている限り、人は死に続ける。罪だ。
・戦争と死後の世界
死んだ人は帰って来ない。また生まれ変わって、地上に戻るとしても、それはまた別の人生だ。その人の人生は失われる事に変わりない。だからなるべく戦争で死なない方がいい。横死は横死なので、人生の中断となる。人生の目的が果たせない。無念が残り、不成仏霊になる。
フランス語で見た動画(ARTE独仏共同番組)で、17歳のウクライナの少年が、この戦争は映画ではない。兵役は怖い。自分は残りの人生を生きたいと言っていたのが、印象に残っている。恐らくこの少年は、戦争で自らが死ぬ事を予感しているのだろう。眼差しが凄かった。
戦争のよくない点は、人生のあらゆるものを破壊してしまう事だ。特に敗戦国は悲惨を極める。無論、戦争がなくても、人は普通に死ぬが、戦争で人が死ぬと、美しくない。
人は地上で美しい思い出を持ち帰るために生まれて来る。だが戦争でその生を中断してしまうと、苦しみだけ持ち帰る羽目になる。それを地獄と言う。あるいは、永く地上を彷徨う羽目になる。古戦場や戦場跡で見かける不吉な人影だ。誰だってああはなりたくはない。
無論、美しい思い出を守るために戦うという考え方もある。愛国だ。愛する人たちを守るために戦う事も間違っていないが、権力者に利用され易い。その点は注意が必要だ。
領土とか、国家とか、そんなもののために、自分の命を捧げる価値があるのか?確かに素晴らしい国であれば、その価値もあるかもしれない。でもゼレンスキーの国である。そんな価値があるのか?戦争のため、ウクライナでは大統領選挙もやらないと言う。一体いつまで戦争を続ける気か?この戦争はいい加減、もう止めるべきだ。アメリカの支援が切れた時点で停戦、そして休戦・和平でよいではないか。これ以上、人が死ぬ方が損失である。世界が美しくなくなる。それがこの星にどういう作用をもたらすのか、考えた事があるか?星は無生物ではない。
別に領土なんて取られたって、困る事はない。別に国家が消滅したって、困る事はない。それよりも人類の幸福だ。歴史を見ても、ポーランドなんか、何度も地図から消滅している。だが必ず後で復活している。それはポーランド人がいるからだし、世界もポーランドという国はあった方がいいと考えているからだ。だから復活する。何度でも。ウクライナも続け。
だがゼレンスキーは、ウクライナに対して、国家総動員令をかけた。これは罪深い事だと思う。第一次世界大戦を見れば分かる通り、国家総動員令をかけた国は、人口ピラミッドに数世代に渡る影響を及ぼす。明らかに時の政府の判断で、人類の幸福を阻害している。
また今回の戦争では、女性の参戦が目立つ。父親、夫、兄弟、息子、恋人を殺された女性が、銃を取って、戦場に立つ。動機は復讐だろう。命を産む存在である女性のやる仕事ではない。
これは確実にカルマになる。呪いになる。次生まれて、子供を産む時、一体何が起こるか知れたものではない。必ず恐ろしい事が起こる。だから女性は武器を取るべきではない。
そしてこれを止めるどころか、賞賛して、戦いをけしかけているのは一体誰だ?これも罪だ。
ゼレンスキーは、自分の考えで戦争を行っている。領土の保全とか、ロシアの侵略と言っているが、それは全て言い訳である。彼の国家防衛は正当ではない。2014年から続いているドンバス戦争が、ウクライナ戦争に発展し、世界大戦にまでなるなら、戦犯は間違いなく彼だ。
後世の歴史家は、厳しく断罪するだろう。それこそちょび髭の独裁者のように。
ウクライナは、ゼレンスキーが退場した後を考えるべきである。異なる道を選ぶならよし、まかりまちがって、同じ道を歩くなら、もうどうにもならない。だが戦争を続ければ、憎しみが溜まるので、慣性の法則みたいに突き進んで、国民は止まらないかも知れない。
その理由となるのは、国際法違反、国家主権侵害、領土の保全、人権の擁護か。
・国家主権、人権、国際法は最高概念ではない
現代の戦争は矛盾している。国家主権は最高だ。憲法は最高だと言いながら、お互い潰し合っている。もうそれ自体、最高ではない事を証明しているのに、なぜ気が付かないのか?
最高概念のバーゲンセールの結果、国家間で納まりが付かなくなっている。
答えは実に明快で、国家主権も、人権も、国際法も、最高概念ではないのだ。
人権というものは、最高概念ではない。そこには精神がない。
あの世があって、人はそこから、秘めた目的を持って、地上に生まれて来るという真実に気が付けば、人権は社会を守るためのルールで、下位概念だと分かる。それは個々の人格を認め、身の安全を図るための相対概念に過ぎない。自分が殺されたくなかったら、人を殺すなという教えと変わらない。無論、それは一定の真理を含むが、精神性は低いと言わざるを得ない。
その程度の事であれば、同族を決して殺さないイルカだって出来ている。
人と動物を分けるのは精神である。
精神は、地上で発生して、人が学ぶものである。あの世では学べない。だから生まれて来る。
世界史で言えば、ペルシア戦争で、少数精鋭のポリス社会が、ペルシア大王が率いる大軍を退けた時だろう。サラミスの海戦で有名なテミストクレスという英雄が、ギリシャ悲劇そのもののような人生を示して、人間の強さは、数ではない事を知らしめた。これが精神だ。
確かに血は流れたが、精神はあったと思う。現代の戦争はどうか?
国際法、国家主権、そして人権でさえも、流転する歴史の前では全て幻想である。下位概念と言ってもいい。より上位の概念は存在する。少なくとも、こんなものを最高概念だと思っているこの星の人類は遅れている。だから各国の憲法で決めた法を理由にして、争いを起す。
どちらも憲法は、国家の最高概念だと言いながら、争いが止まる事がない。国家間で矛盾を起している。機能不全だ。システムとシステムがコンフリクトしている。これは民族の問題でも同じ事だ。民族神と民族神で争っている。この星を超えた調停者が必要だ。
一応、念のため言っておくが、AIは神ではない。法律も神ではない。契約書も神ではない。経営者も神ではない。勿論、お客さんも神様ではない。
世界史が、この星の精神を顕している。そして世界は劇場で、世間虚仮唯仏是真(せけんこけゆいぶつぜしん)だ。人が精神を獲得する時、人は神と区別できない高みまで上昇できる。それを仏、絶対者と言う。この視点に立てる者だけが最高概念を理解できる。
以上