[書評] 桐壺
紫式部「桐壺」(11世紀)
世の人ひかるきみと かゝやく日の宮ときこゆ
源氏物語の第1帖「桐壺」を読む。主人公の光源氏とその運命の相手、藤壺が早くも登場する。
この両名は原文でみると〈ひかるきみ〉および〈輝く日の宮〉と世の人がお呼び申上げると書いてある(「世の人ひかるきみときこゆ」「かゝやく日の宮ときこゆ」)。
現代語訳ではこの両呼称をさまざまに訳す。
与謝野晶子の昭和13-14年の訳では「光の君」「輝く日の宮」とし、明治44-大正2年の最初の訳では「光君(ひかるきみ)」「輝く日の宮」とする。
評者は今回の源氏物語再読にあたり、地の文はもっぱら英訳(Seidensticker, Tyler など)を、歌は原文(および英訳)を読むことにしているので、英訳を少し見てみる。歌を原文で読むのは、評者が強勢拍律言語(強勢でリズムをとる言語)詩の韻律を専門としており、詩学的関心があるからである。
サイデンスティカ(Edward Seidensticker, 1921-2007)は 'the shining one' および 'the lady of the radiant sun' とする。
タイラ(Royall Tyler, 1936- )は 'the Shining Lord' および 'the Sunlight Princess' とする。
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〈世人が申上げる〉(世の人きこゆ)とは書くものの、著者としては主人公らを表す名として、重要な意味合いを籠めているに違いない。名前そのものが響きあうことにより、運命のふたりであることが示唆されるので、できれば翻訳においてもその響きを保持してほしいものだ。その点ではタイラのほうがややそれらしく響く。また、Lord の語を使っているのも良い。
原語の「きみ」はここではおそらく〈貴人〉の意で、英語の lord にもその意はある。ただ、英語としてはやや古めかしい用法と言えるかもしれない(Tyler は London 生れの英国人で、米国の Columbia University で Donald Keene の指導を受けた)。
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歌は第1帖から多く挿入される。また、シナ語の言いまわしを引用した箇所を韻文のように訳したケースもある。
率直に言って、源氏物語の歌は、伊勢物語のような卓越した詩歌とは感じられないが、それでも登場人物同士の胸中を窺わせる貴重な言葉になっている。何より、高度な敬語システムを用いず、直截な表現がされているので感情がストレートに伝わる。
第1帖の源氏元服の段の歌を見てみる。
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いときなき初元結ひに長き世を契る心は結びこめつや
(幼子の元服の折、末永い仲をそなたの姫との間に結ぶ約束はなさったか[渋谷栄一・高千穂大学名誉教授訳])
源氏元服(12歳)のおりに、加冠役の左大臣に対し、その娘(葵上)と源氏の結婚を帝が勧める言葉である。物語ではその夜に大臣の邸で婿取りの儀式がおこなわれることになる。
だが、元服の直前の箇所で、入内していた先帝の四宮(藤壺)と源氏の運命的な出会いがある。
その意味では、この歌にはある種のアイロニがある。婚姻のめでたい歌となるはずが、源氏の心は既に別のひとのものであった。
言うまでもなく五七五七七の和歌である。「初元結ひ」(元服)の掛詞(「髻を結ぶ」意と「契りを結ぶ」意と)の技巧などもあるが、これをどう英訳するか。
サイデンスティカは次のように訳す。
"The boyish locks are now bound up, a man's.
And do we tie a lasting bond for his future?"
一方、タイラの訳は次のとおり。
"Into that first knot to bind up his
boyish hair did you tie the wish
that enduring happiness be theirs
through ages to come?"
サイデンスティカは原文とほぼ同じ長さの簡潔な英語を用いる点で優れている。英詩の詩形としては無韻詩に似る(が、future は弱で終わっている)。
タイラは和歌の音節構造を映す57577の音節詩になっている。タイラは一貫してそのように歌を訳している。本歌については次の注を付している。
This poem, like the Minister's reply, plays on the verb musubu, "bind up" the hair and "make" a vow (of conjugal fidelity). The cord used was purple (murasaki), the color of close relationship.
(大意——大臣の返歌[結びつる心も深き元結ひに濃き紫の色し褪せずは]と同じく本歌は結ぶという動詞が髪を束ねると結婚の誓いを結ぶの両意を掛ける。元結に用いられた紐は紫、すなわち親密な関係を表す色であった。)
このタイラの注は、紫が、大臣が籠めた「色し褪せずは」(色さえ変わらなければ=愛情が薄れなければ)の言霊信仰にもかかわらず、褪せやすい色ゆえ物語の不吉な予言となっているという渋谷栄一氏の注を想起させる(氏の個人サイト参照)。
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このようにみると、歌ひとつに物語の核心的な伏線が籠められていることがわかる。
そのあたりまで含めると、ふつうの現代語訳では物足りず、むしろタイラの英訳や渋谷栄一氏の注を参照しつつ読むのがよさそうだ。