[書評] パウンドが訳した古代エジプト恋愛詩
Ezra Pound and Noel Stock, 𝐿𝑜𝑣𝑒 𝑃𝑜𝑒𝑚𝑠 𝑜𝑓 𝐴𝑛𝑐𝑖𝑒𝑛𝑡 𝐸𝑔𝑦𝑝𝑡 (New Directions, 1978)
20世紀最高の詩の革新者であるエズラ・パウンド(Ezra Pound, 1885-1972)が古代エジプトの詩を訳していたことは、あまり知られていない。
パウンドにはいろいろな言語の詩からの翻訳がある。パウンドの最も得意な言語は中世プロヴァンス語を初めとするロマンス語系の言語だろうが、古英語やシナ語なども訳している。
評者はパウンドを専門にしているが、古代エジプトに関しては、パウンドの畢生の大作『詩章』にヒエログリフが出てくることを除けば、あまり知らない。
ところが、パウンドの娘の夫はエジプト学者だった。そのエジプト学者が聞かせた古代エジプトの詩にパウンドは魅せられた。
そこで、早速翻訳に取りかかったのだが、本書に収められた一篇を訳したところで病にかかり、残りは詩人ストック(Noel Stock, 1929-2013)が引継ぐことになった。
その結果、8篇の詩が収められたのが本書である。わずか28ページの詩集だが、そのみずみずしさは、ちょっと他に喩えようがない。ほとんどすべてが女性の作のように思われる。
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評者が読んだのは、1978年の再版の本。元の翻訳の事情は1961年(1962年)の初版(下)に、次のように書かれている。
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パウンドが訳した詩は、上に書いてあるとおり、'Conversations in Courtship' という古代エジプトの恋愛詩だ。
この詩を精密に分析すると、相当の分量が必要になるだろう。
ここでは、一つだけ、タイトルのことを述べておこう。
義理の息子 Boris de Rachewiltz がエジプトのヒエログリフからイタリア語訳したときのタイトルは 'Discorsi degli amanti' というものだった。パウンドはそれを英訳したのである。
イタリア語はそのまま訳せば〈恋人どうしの会話〉くらいの意味かと思うが、パウンドはどうして 'Conversations in Courtship' と英訳したのだろうか。
まず、まちがいなく、現代の一般的な英語話者なら、このタイトルを〈求愛の会話〉のような意味に取るだろう。
だが、評者のみるところ、これは、パウンドの専門である12世紀プロヴァンスの〈宮廷の愛〉(fin' amor)の意味をひそませている[英語で courtly love, フランス語で amour courtois]。
もし、この解釈が正しいとすれば、パウンドは古代エジプトの愛の詩に、現代にも通じるような恋愛の姿を見てとる以上に、中世の宮廷風恋愛の男女反転版を感じとったことになる。そうだとすると、大変興味深い。
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せっかくなので、'Conversations in Courtship' の冒頭部分だけでも引用しておこう。
最初に男性が話し、それに続く女性の最初の発言のところだ。女性は男性の声を聞くだけで、心が乱れるとうたう。
SHE SAYS:
His voice unquiets my heart,
It's the voice's fault if I suffer.
My mother's neighbor!
But I can't go see him,
Ought she to enrage me?
この部分の基になった Boris de Rachewiltz による伊訳は次のようになっている。
LEI
L'amato turba il mio cuore
con la sua voce
e per sua colpa soffro.
È uno dei vicini di mia madre
eppur non posso andar verso di lui!
È forse buona mia madre
a provocarmi così?
パウンドの簡潔な訳し方が非凡な詩才を浮かび上がらせている。
*
パウンドのこの訳詩はネット上にはまず見つからないだろう。また、本書(再版)も入手困難だし、初版の入手は不可能に近い。
唯一、簡単に読める方法としては、本詩(日本語訳、伊訳、パウンドによる英訳)を収録したボリス・デ・ラケヴィルツ編、谷口 勇訳『古代エジプト恋愛詩集』(而立書房、1992)がある。すばらしい詩集なので、ご関心の向きは一読をお勧めする。
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