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『超訳万葉集』の題の書籍もあるが、ここでは上野誠著の『小さな恋の万葉集』を覗いてみる。広く言えば口語訳万葉集だけれど、もっとふだんの話し言葉に近い。もし、ここに訳されているようなニュアンスだとしたら、1300年前も今も恋を語る言葉はほぼ同じだと感じさせられる。 例えば、次のような歌がある。 ふたりのほかに だーれもいないお国が どっかにないんやろか…… あの子とふたりっきりで 手に手をとって デートを楽しめるお国はないんかい! こんな歌、ほんとに万葉集にあるのか。もし、
大和歌を英訳で読むマガジン(2) の第5回は万葉集巻3の321番の歌です。 不尽の嶺を 高み恐み 天雲も い行きはばかり たなびくものを 富士の嶺が高く恐れおおいので、天の雲も行くのをためらって、たなびいている。 (英語万葉集) 作者は高橋虫麿 (生没年不詳) とされています。 長歌と短歌の関係、また「恐み」をどう捉えるか。 英訳を通してこの歌をながめてみます。 * 目次 読み下し文 英訳 解釈 他の学説 * 【マガジンの案内】 名称:大和歌を英語で読む(
大和歌を英訳で読むマガジン(2) の第4回は万葉集巻3の289番の歌です。 天の原 振りさけ見れば 白真弓 張りて懸けたり 夜道は吉けむ 天の原を振り仰いで見ると、月は白い真弓のように張られて空に懸けてある。夜道は行くのによろしいだろう。 (英語万葉集) 作者は間人大浦 (生没年不詳) とされています。 世界文学の中で月を弓にたとえる表現は、たぶん、めずらしくないとリービ英雄氏はいいます。この歌の場合はどうなのでしょうか。英訳を通してこの歌をながめてみます。 *
大和歌を英訳で読むマガジン(2) の第3回は万葉集巻1の36番の歌です。 ……百磯城の 大宮人は 船並めて 旦川渡り 舟競ひ 夕河渡る 此の川の 絶ゆる事なく 此の山の いや高しらす 水たぎつ 滝の都は 見れど飽かぬかも ……たくさんの石で築かれた大宮殿の宮廷人たちは、船を並べて朝の川を渡り、船を競わせて夕の川を渡る。この川のように絶えることなく、この山のようにいよいよ高くお治めになる、水が力強く流れる滝の離宮は、いくら見ても飽きることはない。 (英語万葉集) 作者は柿
大和歌を英訳で読むマガジン(2) の第2回は万葉集巻1の28番の歌です。 春過ぎて 夏来るらし 白妙の 衣乾したり 天の香具山 春が過ぎて夏が来たらしい。白い布の衣が乾してある、天の香具山。(英語万葉集) 作者は持統天皇 (645-703) とされています。 [里中満智子『天上の虹——持統天皇物語』] 万葉集が「翻訳しやすい」と言われる理由が本歌の大和ことばに見られると、リービ英雄氏はいいます。どういうことなのでしょう。 英訳を通してこの歌をながめてみます。 *
大和歌を英訳で読むマガジン(2)の第1回は万葉集巻1の2番の歌です。 大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は 大和にはたくさんの山があるが、その中で草木が茂ってみごとに装っている天の香具山に登り立って国見をすると、国原にはかまどの煙が次つぎと立ちのぼり、海原ではかもめがしきりに飛び立つ。良い国だぞ、蜻蛉(あきづ)島の大和の国は。(英語万葉集) 作者は舒明天皇 (59
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大和歌を英訳で読むマガジン(1) の第5回は万葉集巻3の319番の歌です。 なまよみの 甲斐の国 うち寄する 駿河の国と こちごちの 国のみ中ゆ 出で立てる 不尽の高嶺は 天雲も い行きはばかり 飛ぶ鳥も 飛びも上らず 燃ゆる火を 雪もて消ち 降る雪を 火もて消ちつつ 言ひも得ず 名付けも知らず 霊しくも 座ます神かも . . . 作者は未詳とされています。 なまよみの甲斐の国と、波が打ち寄せる駿河の国、二つの国の間よりそびえ立つ富士の高嶺は、天の雲も行くのをためらい、
大和歌を英訳で読むマガジン(1)の第4回は万葉集巻3の318番の歌です。 田児の浦ゆ うち出でて見れば 真白にそ 不尽の高嶺に 雪は降りける 作者は山部赤人 (700?-736?) とされています。 有名な叙景歌です。百人一首には〈田子の浦にうち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ〉と、少し違うヴァーションが採られており、好みが分れるところです。 英訳を通してこの歌をながめてみます。 * 目次 読み下し文 英訳 解釈 日本学術振興会訳 McAuley 訳
大和歌を英訳で読むマガジン(1)の第3回は巻1の29番の歌です。 ……大宮は ここと聞けども 大殿は ここと云へども 春草の しげく生ひたる 霞立ち 春日の霧れる 百磯城の 大宮処 見れば悲しも 作者は柿本人麿 (660?-724?) とされています。 近江の荒れた都を詠った歌です。文明の崩壊を描くソフィスティケーションに驚嘆させられます。 英訳を通してこの歌をながめてみます。 * 目次 読み下し文 英訳 解釈 日本学術振興会訳 McAuley 訳 参考文献
大和歌を英訳で読むマガジン(1)の第2回は万葉集巻1の16番の歌です。 冬ごもり 春去り来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山を茂み 入りても 取らず 草深み 取りても 見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてそしのふ 青きをば 置きてそ嘆く そこし恨めし 秋山我は 作者は額田王 (630-90) とされています。 [上村松篁「額田女王」] 春山と秋山について額田王が判定した歌といわれています。額田女王はどちらを上とした
大和歌を英訳で読むマガジン(1)の第1回は万葉集巻1の最初の歌です。 籠もよ み籠もち ふくしもよ みふくしもち この岡に 菜摘ます児 家聞かな 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居れ しきなべて われこそ座せ われこそは 告らめ 家をも名をも 万葉集巻頭の歌として有名な歌です。作者は雄略天皇 (418-79) とされています。この歌はいったい何を詠っているのでしょうか。 万葉のことばをそのまま現代の日本人が受取ることが、もし難しいとしたら、それは日