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「@にたい」とラベリングされた気持ち
数日前から元々おばあちゃんの実家だったところが空き家になっている、よく言えば別荘、に1人でいます
海沿いの、自然が豊かで、でも交通も不便じゃない、いいところです。
1人になって、波の音と鳥の鳴き声で朝を迎え、このままここで一人暮らしができたらどんなに幸せだろうなって思いながら。
それでも夜になるとどうしても思考が暗い方向に行ってしまいます。
もう覚えてはいないけど、中学か高校から、あるいは小5くらいからだったか、実家にいると、毎晩死にたくなっていました。
台湾に留学した1年間だけ嘘のようにその感情から解放されて、逆に帰国後にまた現実に引き戻されることが怖くなってパニックになったほどでした。
友達との旅行中やお泊まり会の時はこの現象が起こらず、お泊まり会が日常的に行われているような留学期間は、本当に本当に素敵なルームメイトに巡り会えたこともあり、寝る前も朝起きた時も基本的にはネガティブ感情はありませんでした。
たった一度だけ、台湾にいる期間中に「死にたい」に襲われたことがありましたが、偶然なのか、もともとそばに誰かが必要なタイプだったのか、ルームメイトがいない日でした。
昨日、私なりに「死にたい」を分析してみたんです
あ、もちろん調子がいい時に。
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毎晩毎晩、ふと「あ、死にたいかも」っていう瞬間が来ます。
じゃあ死ぬ?ってほどでもないしそんな勇気もない
私がいつも「あ、死にたいかも」で想像するのは自分の葬儀です
棺桶に入った自分から見えるのは、母親が泣きながらごめんなさいと私に謝る姿、自分の大切な友達が頑張ったね、しんどかったねって慰めてくれる姿
そして初めて自分自身のすべてを受け入れられた私は、安らかな気持ちで棺桶の中で眠りにつく
そんなことをほぼ毎晩想像しています
何度か未遂まではいったことがあるけれど、今はその時の感情と違う、生物的な意味で「死」にたくはないみたいです
じゃあ私の脳が「死にたい」とラベリングしているこの感情はなんなのか
1つは母親からの「ごめんね」がほしいこと。
これはきっと一生かけても無理な願いだからさっさと諦めないといけないです
もう1つは今の自分そのままで受け入れてほしい、慰めてほしい、支えてほしいという欲求。
自分は普段友達に支えてもらっているという事実を夜になると忘れてしまうのか、ハグをしたり、傍にいたり、言葉をかけたりという支えがほしくなってしまうのか
2つ目の感情とはなかなか折り合いがつかなそうです
じゃあなんで夜は「死にたい」とラベリングされた感情になるのか
単純に脳が疲れているから、とりあえずそういう結論にしときます。疲れてバグってるだけなのかなーって
脳みその疲れのせいで、「死にたい」が来て、それをかき消すためにリスカしたりODしたりが始まって、毎晩何かとしんどくなる
どうやったら脳みその疲れが取れてくれるのか、それはよくわかりません。こんだけ自己分析してみても、多分私はこのあとまた死にたくなります。でも「死にたい」とラベリングされているだけで、「死」を望んでいるわけではないんです。要するに「助けてほしい」なのに疲れた脳が「死にたい」に変換しやがるのです。
今日は"別荘"滞在最終日、明日ボランティアがあるので帰らないといけません。今晩が1人で声を出して泣けるラストチャンスなので、もう今日くらいは泣きたい時にアホほど泣いて、自分の真の感情に向き合ってみようと思います。
…なんか最後の方スピってるかもしれません。