[台湾留学日記~台中人になるまで~#6台湾留学中の中国語勉強体験談(後半)]
大家好!
だいぶ前回の投稿から時間が経ってしまいましたが、今回は留学中の勉強体験談後半ということで、渡航から約半年経った9月の新学期から帰国直前の2月半ばまでのお話を共有していきます!!それでは開学了~
夏バテ×大切な人の帰国、モチベどん底の新学期開始前
…9月の新学期開始前、私にとってとてつもなくモチベが下がることがありました。留学史上二大モチベ下がり事件、1つ目は人生で1位2位を争うレベルの夏バテ。そういえば台湾って暑い国なんですよ。
まあとにかくスーパー夏バテ状態が長々続いていたわけです。実は8月に入ったころから予習→授業→復習のサイクルは完全に崩れ、最低限授業に出席する、今まで授業中に100吸収できていたとしたら、夏バテで茹で上がった脳みそでは40も吸収できなくなっていたように感じます。もったいない。
そして2つ目のモチベ下がり事件は前学期同じクラスだったお姉ちゃんが国に帰ってしまったこと。ハンガリーから来ていた方で私よりもずっと年上のお姉ちゃん、2人ともダンスが好きでよく一緒に踊ったり、ご飯を食べに行ったりと幸せな時間をともにしていました。そして私にとってこの時期悩みを素直に打ち明けられる人唯一の人であり、スーパー夏バテ状態の私を支え続けながら「優しさとは何か」を教えてくれたように感じました。そんなお姉ちゃんの帰国、大切な人とのバイバイで精神的に大ダメージを食らいました。なんやかんや自身の帰国直前まで姐姐ロスは引きずっていましたね。
新的老師登場で真面目な生徒ごっこ開始
さて新学期のはじまり、いつもの教室に来たのは新しい先生でした。というのも私たちの担任の先生がこの時期イギリスに行っていたので2週間だけ臨時の先生に授業を担当していただくことになっていました。
ベテランっぽいおばちゃん先生で発音修正もしっかり目に、反復練習多めで教科書は使いつつもかなりゆっくり・しっかりって感じの授業スタイルで、私個人としては授業内で身につく感覚があるのが結構好きでした。
ただ周りの意見はそうでもないようで、前回の記事で登場したお兄ちゃんはいつも誰よりも楽しそうに勉強しているのにこの2週間は見事に目から光を失っていました。
ここでずる賢い夏バテ女は思いつきます、このお兄ちゃんのやる気がないうちに自分がたくさんクラスで発言して真面目ちゃんになってやろうと。新学期が始まると以前のクラスから半分くらいは帰国、残り半分はクラス続行、そこに新入生が加わるという形なのですが、前学期から引き続きいる人たちが新しい先生のスタイルに戸惑っているうちに、そして新入生がクラスに慣れないうちに自分だけ上達してやろうともくろみます。
そこから事あるごとに積極的に手を挙げ、ちゃんと予習復習をする習慣を取り戻しました。実際この2週間で習ったことはかなり印象深く脳みそのしわに彫り込まれている気がします。あとは留学期間で1番綺麗にノートを取っていました笑 まだしっかり夏バテ中でしたが、なんかこの時ばかりは新しいクラスと先生とで緊張感を保てていたおかげで勉強に身が入ったのかもしれません。
恐怖のクラス分けテスト
無事に臨時の先生ご担当の2週間が過ぎ、みんな大好き私たちの先生が帰ってきました!!久しぶりにお会いする先生のお顔を見て安心した、ということはここまでの半年で相当クラスの居心地がよく感じられるようになったんだなーと振り返ってみて思います!お兄ちゃんの目の輝きも無事戻りました、めでたしめでた…
と思いきや全然めでたくないことが起こります。前学期からクラス数が減っているにもかかわらず新入生の数が以前より多い、少人数で1人ひとりへの丁寧な対応を売りにしている学校にしてはあまりにうちのクラスの人数が多かったんです。
そこでクラス分けテストが実施されました。100点満点中80点だか85点だかを取れれば今のクラスにステイ、そうでなければ1つ下のクラスに行くというもので(前期から在籍していた勢は点数に関係なくクラス移動なし、でもプライド的に合格点以上は取りたい…)私は確か合格点より2点だけ上回り、何とかプライドを守り抜いたのですが、そのテストが結構どころではなく難しく、これを難しいと感じる自分への情けなさをやる気に変えるまでに相当時間がかかるほど落ち込みました。。
まあ実際どのクラスもこの学期は人数飽和状態だったので1つ下のクラスに行ったとて状況が変わることはなく、結局テストの結果に関係なくみんなで仲良くでかい教室に移動して授業を進めることになりました。
熱舞社(ダンス部)への入部でリスニング力爆上げ
10月ごろだったでしょうか、2022年3月、4月、私が渡航した時期はまだコロナの対策が厳しく学内の部活やアクティビティが軒並み延期や中止になっていました。高校がダンス部だったこともあり、留学したら現地のダンス部に入ってみたい、という漠然とした夢があったのですが、留学前半戦では叶わず。9月からは各部活新歓や仮入部などが始まり、もともとJazzが主ジャンだったのですが台湾ではHiphopをすることにしました。(ハンガリーのお姉ちゃんも以前Hipにいたので)
日本人やヨーロッパからの留学生も数人いたものの英語が伝わる台湾人学生が数人しかおらず、初めの方は先輩の指示が50%くらいしか聞き取れなかったので残りの50%を英語が話せる台湾人学生に翻訳していただいて補っていました。
12月のはじめの方に学内公演があったのですが、基本的にはそれに向けた練習と基礎練、週1回外部コーチがWSを開催してくださる感じで活動が進んでいくのですが、静宜大学のダンス部は日本の大学のダンスサークルというよりも高校のダンス部に近いものを感じました。明日休みかと思ったら練習を追加されたり、練習参加人数が少なくて先輩たちの顔が引きつり始めたり、
本当に高校時代の朝から晩まで頭にダンスしかなかったあの頃を思い出しました。先輩といっても実質同い年の方々が指揮をとっているのですが、やっぱり幹部の方々の実力はすごいなーと思うと同時に、本番が近づいてきているというのに全く振りやフォーメーションが揃わなかったりなんてことがあると、まるで高校時代の自分たちを見ているようで、ああ、後輩から見える景色はこんな感じだったんだと考えされられることも多々ありました。
【ポジティブ】説教されて中国語の成長を確認!
勉強の軸から話は逸れてしまいましたが、もちろん練習期間、部内ラインの連絡、新しくできた友達との会話はすべて中国語なので自然にリスニング力は爆上がりしました。特に先輩方からお説教されている間にテキストに載っていた文法や単語が出てくると、活きた言語で学んでいる!という感じがして留学らしいなーなんて思ってました。(説教を真面目に聞け)
一番の成長を感じたのはあまりの出来の悪さに堪忍袋の緒が切れた先輩方の有難いお説教を聞いた後に自然と涙が流れてきたことです。高校で先輩に怒られた時はもちろん先輩が話す言葉も自分の母語でしたが、今回は中国語で怒られて、その意味が聞き取れた上で「頑張ってるのに何で…」という自分の悔しい感情が湧いたことで、少しずつ現地の生活、コミュニティに染まることができている自分に自信を持つことができた出来事でもありました。
スピーチコンテスト参加、留学前から抱いた夢の舞台へ
静宜大学の華語クラスには年に4回、各クラスの代表1人が全クラスの生徒の前でスピーチをするイベント「国際生期末成果報告」というものがありました。華語クラスでは1年を4学期(春・夏・秋・冬)で分けていて、各学期の終わり頃に開催していました。
日本の大学の先輩が以前このイベントに参加したと聞いていて、静宜大学への留学書類作成や大学の国際センターの先生と面接をした大学1年の頃には既にスピーチコンテストに出ると心に決めていました。留学にあたっての面接(日本の大学でのもの)でもしっかり宣言してます笑
内容の指定はなく、自分の好きなことを話して良いとのことで、私は18歳の時に日本語・英語教育ボランティアで渡航したカンボジアでの経験について、また大学に入ってから所属した主にカンボジアの小学校へのサポートを行う学生団体での活動経験を通して、「子どもにとって情操教育を経験することはどんなメリットがあるのか」というなんとも小難しい話をしてきました。何でこの話題にしたかという話は後日別の投稿で長々と語ります。
中国語で1000文字くらいの原稿を考えて、先生に添削していただいた後、先生のクリアな発音で録音していただいた音源を聞きながら本番までに自分のものにしていきました。本番までの2週間くらい毎晩寮の洗濯物干しスペースで原稿を唱えている怪しい化け物になっていたので、原稿内に出てくる単語やスピーチの内容に関することは中国語として結構頭に入った気がします。こういうのって本番より準備の過程がいい勉強だったりします。
本番はというと、私以外の参加者が結構ネタに走る系の内容でしっかり会場の笑いを取っていたので、この空気の中小難しい話をしに行くのは勇気がいるものでした。率直に思ったのは「私もネタに全振りすればよかった」です。完全に私のスキル不足が原因なんですが、伝えたいことや自分の中にある感情をあまりみんなと共有しきれなかったかな、という感じでした。ただこんなにもネタ系スピーチが多数派だったのは1年間通して私が参加した秋学期末の回のみでした。でも語学のスキル云々より、いかに見てくれる人を楽しませるか、それを軸にして考えるべきだったかなって思います。でも渡航前からの夢が1つ叶ったのでオールオッケー☆
英語が下手になる危機再来
これはもう帰国まで2か月あるかないかくらいの出来事ですが、自分の英語の退化に驚愕した日がありました。
台湾での交友関係として大きく分けて日本人、台湾人、外国人があるので
日本人→日本語、たまに中国語が混ざる
台湾人→中国語、やたらと日本語ができる人とはもう日本語で話す
英語ができる台湾人→英語と中国語が半々
英語の方が得意な外国人→授業中は中国語、遊ぶときは英語
中国語の方が得意な外国人&意地でも英語に逃げたくないという信念がある外国人→中国語
という感じで誰とどのタイミングで話すかによって言語を使い分ける生活をしていました。留学前半は「英語の方が得意な外国人」の枠に当てはまる人との関わりが多く、日常での割合が英語:中国語=6:4くらいだったのに対して後半は「台湾人」と「意地でも英語に逃げたくないという信念がある外国人」との関わりが増えたことによって英語:中国語=3:7くらいになりました。
ある日、長いこと会っていなかった友達に道端で出会いました。その子とは普段英語で話すのですが、そのときの自分の英語の退化はさすがに戦慄物でした。今まで自分が外国の友達と滞りなくコミュニケーションをとる手段だった英語が頭に浮かばない、言われたことに対する返答は先に頭の中で中国語で浮かんでしまう、脳内で中国語→英語に翻訳してようやく返事ができる
という自分としては結構ショックな状態に陥っていることを確認しました。
その分中国語は伸びたのかもしれませんが、ここにきて留学前半のようなことが起こるとは、、でもこの時期周りの友達もまた似たような状態だったらしいので留学あるあるなんだ、と片付けることにしました。
その後しばらく洋楽を聞いたり前期に帰国した友達と電話したりしているうちに無事英語は復活しました。帰国して2か月が経とうとしている今、急激な中国語の退化が予想されるので気休めに通学中は中国語の歌を聴いてます。
1年間の成長を振り返って
1年を通して見ると、4技能の中で一番伸びたのはリスニング力、その他は大体同じくらいの伸びだった気がします。実生活の中で言語を身に付けていく機会が多かったので、言語のスキルアップと台湾での生活の楽しさは比例関係にあったんじゃないかなと思います。はじめは30%くらいしかわからなかった授業もいつしか少し集中が逸れてもすべて聞き取れるようになっていて
最後の方には先生からも「成長したね」とお褒めの言葉をいただきました♡
TOCFLでいうと7月の模試がA2だったのに対して9月はB1、11月はB2、年明け1月もB2(C1欲しかった…)とまあ順調に伸びたと言ってやってもいいんじゃないですかと自分に甘い遅咲きの私は思ってしまいます。
今後は中国語能力を維持していき、あわよくばTOCFLでC1を取るために努力していきたいです。やることは人前で宣言しとかないとさぼっちゃうので、今後の中国語勉強プランが思いついたらnoteにやります宣言をしようと思います。とりあえず現状は台湾の曲を聴く、台湾人Youtuberのチャンネルを見る(気が向いたら)、中国語で日記を書く(気が向いたら)って感じです。退化の兆しが丸見えですね、はい。頑張ります。。
【番外編】言語能力は酒バフがかかる?
よく酒が入ると外国語のスキルが一気にネイティブレベルになる、という人を耳にしますが(これ私の周りだけじゃないですよね…???)私もその一種だったのか、台中の地元の人ばかりが通うクラブに連れて行ってもらった時が自分史上一番中国語が流暢で英語と中国語の切り替えもスムーズだったと思います。初対面の人とも楽しく会話できました。定期的に酒の力を借りましょう。
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